北海道新聞05/13 18:48
老朽化で、建設から50年たたずに道が解体方針を決めた北海道百年記念塔(札幌市厚別区)を複雑な思いで見つめる人がいる。設計者の井口健さん(80)=札幌市中央区=。道立野幌森林公園にそびえる高さ100メートルの塔は、北海道命名100年に当たる1968年に「道民がみんなで築く躍進北海道のシンボル」をコンセプトに着工し70年に完成。だが、井口さんは「そもそも塔は造りかけで、アイヌ民族など先人を慰霊するモニュメントも設置するはずだった。完成させてやりたかった」との思いを抱き続ける。
檜山管内今金町出身。札幌工業高卒業後、札幌の建築事務所に入った。現在の道庁本庁舎の新築工事で現場監理をしていた67年のある日、事務所に貼られた百年記念塔の設計公募のポスターが目に留まった。冬季の耐久性や空からの視認性なども条件に、道や経済界でつくる建設期成会が案を募った。道の「百年記念事業」の目玉の一つだった。
「歴史に残る建造物を造りたい」。1級建築士になったばかりの井口さんに熱い思いが湧いた。夜を徹してアイデアを練り、ひらめいたのが、水平に近い土台部分が曲線を描いて次第に垂直になり、天に向かって伸びていくデザイン。「天をついて限りなく伸びる発展の勢い」を表現した。
公募には299点が寄せられ、国際的建築家の黒川紀章さんら有力者も出品したが、井口案の高いデザイン性が評価され、最優秀賞に。「まさか選ばれるなんて」。まだ29歳。喜びをかみしめた。
総工費5億円の半分は道民らの寄付で賄われた。ただ、井口案通りには造られなかった。塔の根元に隣接し巨大な石積みのモニュメントを置くはずだったが、「当時の道幹部に予算不足で造れないと断られた」。
百年記念事業は当初から、和人の歴史観が強くにじみ、同化政策を強いられたアイヌ民族への敬意を欠くとの批判が多々あった。
井口案にあった石積みのモニュメントには、壁面にアイヌ文様を施すとしていたが、結局、造られることはなかった。「モニュメントには、アイヌと和人、全ての先人への慰霊と感謝を込めた。記念塔のそばにあることで初めて完成たり得た」と井口さんは悔やむ。
強度実験が重ねられ、鉄骨造りの塔が完成。外壁には「耐候性高張力鋼」という、表面に高密度のさびを生じさせて内側の腐食を防ぐ素材を使った。だが、その素材選定が災いした。
塔は複雑な構造のため所々雨水がたまりやすく、壁面の腐食が思ったより進み、近年はさび片が幾度も剥落。訪問者を危険にさらした。道が2年かけて有識者に塔の安全性について聴くと危険視する意見が相次ぎ、昨年末に解体方針を決定。跡地に「将来の北海道を象徴する」モニュメントを新たに作ることも決めた。
4月に鈴木直道知事が就任し、塔の解体時期や新モニュメントの議論も始まる。「塔が危険なのは百も承知。願わくば、北海道の自然の厳しさに任せるまま朽ちるのが一番なのだが」。違う未来を見ていた井口さんは、それ以上語らない。(小林史明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/304619
老朽化で、建設から50年たたずに道が解体方針を決めた北海道百年記念塔(札幌市厚別区)を複雑な思いで見つめる人がいる。設計者の井口健さん(80)=札幌市中央区=。道立野幌森林公園にそびえる高さ100メートルの塔は、北海道命名100年に当たる1968年に「道民がみんなで築く躍進北海道のシンボル」をコンセプトに着工し70年に完成。だが、井口さんは「そもそも塔は造りかけで、アイヌ民族など先人を慰霊するモニュメントも設置するはずだった。完成させてやりたかった」との思いを抱き続ける。
檜山管内今金町出身。札幌工業高卒業後、札幌の建築事務所に入った。現在の道庁本庁舎の新築工事で現場監理をしていた67年のある日、事務所に貼られた百年記念塔の設計公募のポスターが目に留まった。冬季の耐久性や空からの視認性なども条件に、道や経済界でつくる建設期成会が案を募った。道の「百年記念事業」の目玉の一つだった。
「歴史に残る建造物を造りたい」。1級建築士になったばかりの井口さんに熱い思いが湧いた。夜を徹してアイデアを練り、ひらめいたのが、水平に近い土台部分が曲線を描いて次第に垂直になり、天に向かって伸びていくデザイン。「天をついて限りなく伸びる発展の勢い」を表現した。
公募には299点が寄せられ、国際的建築家の黒川紀章さんら有力者も出品したが、井口案の高いデザイン性が評価され、最優秀賞に。「まさか選ばれるなんて」。まだ29歳。喜びをかみしめた。
総工費5億円の半分は道民らの寄付で賄われた。ただ、井口案通りには造られなかった。塔の根元に隣接し巨大な石積みのモニュメントを置くはずだったが、「当時の道幹部に予算不足で造れないと断られた」。
百年記念事業は当初から、和人の歴史観が強くにじみ、同化政策を強いられたアイヌ民族への敬意を欠くとの批判が多々あった。
井口案にあった石積みのモニュメントには、壁面にアイヌ文様を施すとしていたが、結局、造られることはなかった。「モニュメントには、アイヌと和人、全ての先人への慰霊と感謝を込めた。記念塔のそばにあることで初めて完成たり得た」と井口さんは悔やむ。
強度実験が重ねられ、鉄骨造りの塔が完成。外壁には「耐候性高張力鋼」という、表面に高密度のさびを生じさせて内側の腐食を防ぐ素材を使った。だが、その素材選定が災いした。
塔は複雑な構造のため所々雨水がたまりやすく、壁面の腐食が思ったより進み、近年はさび片が幾度も剥落。訪問者を危険にさらした。道が2年かけて有識者に塔の安全性について聴くと危険視する意見が相次ぎ、昨年末に解体方針を決定。跡地に「将来の北海道を象徴する」モニュメントを新たに作ることも決めた。
4月に鈴木直道知事が就任し、塔の解体時期や新モニュメントの議論も始まる。「塔が危険なのは百も承知。願わくば、北海道の自然の厳しさに任せるまま朽ちるのが一番なのだが」。違う未来を見ていた井口さんは、それ以上語らない。(小林史明)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/304619