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観光担う人材育成を 道内活動の専門家ら講演-G20国際シンポジウム

2019-05-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2019/5/25配信

北海道観光の在り方などについて活発に意見を交わした国際シンポジウム
 【後志管内倶知安町・伊藤真史】10月に倶知安町で開催されるG20観光相会合に向けて行われた次官級会合は25日、地方創生国際シンポジウム(観光庁、倶知安町、G20観光大臣会合実行委員会主催)が同町の公民館で開かれた。参加各国の代表者など約600人が参加。道内で観光分野に関わる関係者らが登壇し、人材育成の必要性や自然を活用した多様な観光サービスの提供、アイヌ文化を生かし、住民を巻き込んだ本道観光の在り方を示した。
 ニセコ町の片山健也町長は「小さな世界都市ニセコ」を目標に街づくりを進めていると説明した。同町ではウインターレジャーをはじめ世界中から観光客が押し寄せ、就労する外国人も急増。ニセコ観光圏3町(ニセコ、倶知安、蘭越)で49カ国1228人が住み、さまざまな国籍の子供たちが公立の小中学校やインターナショナルスクールに通って町民との異文化交流が進んでいる。
 片山町長は地元で観光産業を担う人材育成を進めたいとし、「大学サテライト校の設置を含め連携できないか」と提言した。
 オーストラリア出身でニセコアドベンチャーセンターのロス・フィンドレー社長は、観光客に自然を活用したアクティビティー(遊び・体験)を通年提供する会社をニセコ町で1995年に創業。国土交通省の観光カリスマに認定されている。「パウダースノーが世界一の品質だから各国からスキーヤーが訪れる」と強調。その上でスキーにとどまらず「ニセコという一つのリゾート地に誰でも体験できるアクティビティーがたくさんあった方が盛り上がる」と述べた。
 阿寒アイヌ工芸協同組合の秋辺日出男専務理事は、「かつて道民の中にはアイヌ文化に触れてはいけない雰囲気があった」と振り返った。近年は自然、文化、歴史を観光の対象とし、環境保全とその持続可能性を考える「エコツーリズム」が普及。先住民族にもスポットが当たり、アイヌ文化を観光の一つとしながら北海道の未来を切り拓いていく環境になってきたと説明。「地元民が主体性を持って観光客にアピールしていこう」と呼び掛けた。
 シンポジウム終了後、観光庁の田端浩長官は「持続可能な観光をどう取り組んでいくべきか、さまざまな議論が行われた」と総括。10月25、26日に行われる観光相会合では共同声明を出すことで調整していることを明かした。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/16358/

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<風街だより>千歳支局長・中川大介(56) アイヌ語教育 遺志継承

2019-05-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/25 08:25 更新
 「シーポロヤムニ、チョロポクタ(大きな栗の木の下で)!」。水曜夜、千歳市の蘭越生活館に子どもの歌声が響く。千歳アイヌ文化伝承保存会のアイヌ語教室だ。大人たちは会話文を反復する。「エイワンケ ヤ(元気かい)?」
 開講から28年。本年度は大人の部を「本科」「入門」に分け、歌やゲームでアイヌ語に親しむ「こども教室」を設けた。市立支笏湖小3年、松沢汰知(たいち)君(8)は「知らない言葉をしゃべれる」と元気いっぱいだ。
 私も昨秋から生徒の一人だ。「ハポ」は「お母さん」の意味で使う地方が多いが、千歳では「お父さん」を指す―などと教えられても、さび付いた頭にすんなりとは入らない。ありがたいのは千歳方言のテキストの存在だ。単語や例文を読み上げた音声CDで正しい発音も確認できる。
 アイヌ語研究者の中川裕・千葉大教授とともに、テキストを作る中心を担ったのは、保存会の初代会長を務めた中本ムツ子さん(2011年死去)。同化政策や差別の下で封印され、かろうじて家庭内で語り伝えられてきたアイヌ語の豊かな世界を、フチ(おばあさん)たちから引き出した。
 「ムツ子さんが亡くなって、教室を続けるか逡巡(しゅんじゅん)した時期もあったんです」と、教室の「校長先生」である中村勝信・千歳アイヌ協会副会長(75)は言う。「でもムツ子さんが始めたものを途絶えさせたくない、と受け継ぐ人が現れて」
 生徒は現在20人弱。8割はシサム(和人)だ。アイヌ文化を大事に思う人なら誰でも入れる。シサムにも分け隔てなく接した中本さんの考え方が、テキストとともに受け継がれている。
 千歳アイヌは、千歳川に上るサケを糧とした「川の民」だ。明治以降、政府に漁を禁じられ苦難を強いられたが、24日施行されたアイヌ施策推進法の下でサケ漁をはじめとする伝統文化を復興させ、生業につなげたいとアイヌの人々は願う。そのうねりの底流に、アイヌ民族とシサムによる継承の努力がある。
 千歳川は湧き水が豊富だ。地中に潜った水がやがて川底から湧きでて、太い流れをつくる。テキストの音声CDに収められた中本さんの声を聴くたび、ひたひたと静かに、絶えることない千歳川の流れを思う。
☆シサムのムは小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/308643

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大自然に触れてみませんか オランウータン、熱帯雨林 東カリマンタン

2019-05-26 | 先住民族関連
ジャカルタ新聞 2019/05/25 00:11:53
 東カリマンタン州にあるバリックパパンはジャカルタから飛行機で2時間、港湾都市として有名な東カリマンタンの主要都市のひとつです。港湾都市としての機能が大きいですが、都市部を少し離れると深い熱帯雨林が広がり、オランウータンの保護施設などもあります。バリックパパンのおすすめ観光地としてサンボジャ・レスタリ(オランウータンのリハビリ・保護施設)、ブキット・バンキライ森林公園、ブラックリバークルーズをご紹介します。
■サンボジャ・レスタリ
 サンボジャ・レスタリはバリックパパン市内から約50キロの位置にあり、オランウータン保護団体(BOS財団)によって造られたオランウータン保護施設です。野生に戻るためのリハビリを行う施設や、数十頭のオランウータンが生活をする水路に囲まれた人口島があります。人口島に暮らすオランウータンたちは密売や暴力を受けていた経験があり、野生に戻ることが難しいオランウータンたちで、現地ではスタッフによる詳しい話を聞くことができます。ただオランウータンに会って感動するだけじゃない、スタッフの詳しい現地事情を聞きながらいろいろ考えさせられる施設でした。またこの施設内サンボジャ・レスタリにはマレーグマ保護施設もあり、こちらもオランウータン同様、絶滅危惧種となっています。
 敷地内にはロッジがあり宿泊はここがおススメです。宿泊するロッジはカリマンタンの先住民族ダヤック族の建築様式となっており、ロッジ頂上にある展望台は、広大な熱帯雨林とそこに沈む夕日を眺めることができる感動スポットです。大自然の中でのエコロジーな宿泊施設での宿泊は旅の思い出のいいアクセントになると思います。宿泊費にはオランウータンの保護費も含まれているので泊まるだけでオランウータンの支援ができちゃいますよ!
■ブキット・バンキライ森林公園
 ブキット・バンキライはサンボジャ・レスタリから約1時間の位置にある森林公園です。ここでは樹齢数百年の木々が残っており熱帯特有の植物や昆虫などを観察しながらトレッキングができちゃうアドベンチャーな場所です。このブキット・バンキライでの目玉はなんといってもキャノピーウオーク! キャノピーウオークとは木々の上に架けられたつり橋で、地上約30メートルの位置にかかる橋の上からは熱帯雨林を見渡すことができます。(高所恐怖症の方には少し難しいかもしれません……)
■ブラックリバークルーズ
 ブラックリバークルーズは熱帯雨林の中を木製ボートで川くだりをするツアーです。夕方にはカリマンタン島のみ生息するテングザルが川沿いに現れます! 名前の通り天狗のような鼻を持つテングザルは顔も体型も突っ込みどころ満載のユニークなお猿さんです。オスザルは大きな鼻が特徴で、手で鼻を持ち上げながら食べている場面も見られるかもしれません。またテングザルは独特な鳴き声ですので、ぜひ現地で聞いてみてください。テングザル以外にも現地の水上集落も垣間見ることができます。
 ジャカルタからバリックパパンまで飛行機で約2時間と、1泊2日で気軽にオランウータンに出会えるところがおすすめです。カリマンタンにしかいない動物と大自然に触れてみませんか。(パンダバス、中村友美、写真も)
◇パンダバス
電話 :021・722・1022
メール :jkt@pandabus.com
ウェブ :https://www.pandabus.com/jkt/ package/tourdetail/JKT_BPN/
https://www.jakartashimbun.com/free/detail/47800.html

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失われたカリブの手描き植物図鑑 190年ぶりに発見

2019-05-26 | 先住民族関連
ニッケイスタイル 2019/5/26

米大陸の熱帯から亜熱帯に分布するオオゴチョウ(Caesalpinia pulcherrima)のイラスト。コーネル大学図書館の稀覯本写本コレクションに所蔵されていたアン・ウルストンクラフトの手描き原稿に含まれていたもの(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK)
米国ニューヨーク州北部で、190年間失われていた手描きのイラスト原稿が見つかった。3巻にわたる図鑑ともいうべきイラスト集には、カリブ海の国キューバに生育する様々な植物が色鮮やかに描かれている。写真で紹介していこう。
◇  ◇  ◇
マーブル模様の表紙を開くと、扉に手書きの筆記体で「Specimens of the Plants & Fruits of the Island of Cuba by Mrs. A.K. Wollstonecraft」(A・K・ウルストンクラフトによるキューバの植物と果実の標本)と書かれている。手稿は経年による摩耗がみられるものの、その内容は飾り気のない外見からは想像できないほど充実していた。
121枚のイラストには、深い紫色のサルスベリや黄色のキダチチョウセンアサガオといった花々が細かい部分まで見事に描き込まれている。
これに加えて、関連する歴史的事実、現地での利用法、詩、個人的な観察記録などが英語で220ページにわたってつづられている。イラストは科学的慣習に忠実に従い、植生、植物の一生、生殖部の断面図が描かれていた。押し花がテープで貼り付けられているものもあった。図鑑を作ったウルストンクラフトは、植物学者の助言も得ず、誰からも支援を受けなかったと、断り書きを残している。
「キューバの植物に関する文献の宝です」とは、キューバ人植物学者ミゲール・エスキベル氏の弁だ。そして、近年まれにみる偉大な発見であると語る。
「アン・ウルストンクラフトの原稿の発見は、大変重要だと思います」。米ワイオミング州ジャクソンにある脳内化学物質研究所の所長で民族植物学者のポール・コックス氏も言う。「彼女の描いた植物とその説明は特に珍しいものではありませんが、現地の人々がその植物をどのように利用していたかに関する詳細な説明は、植物の利用可能性についてまったく新しい理解をもたらしてくれるもので、新たな薬剤開発につながるかもしれません」
例えば、サワーソップという木の根は魚中毒の解毒剤に使われ、その葉は駆虫薬や抗てんかん薬に用いられると書かれている。また、「病的な甘さ」と表現される果実に「サワー」という名は合わないと思っていたら、島の先住民がこの木を「スーサック」と呼んでいたことから、発音が少し変化してサワーソップと呼ばれるようになったのではないかとも書いている。
■地道な調査から発見へ
ところで、この発見がなければ、ウルストンクラフトの業績は世に出ることはなかったかもしれない。その意味でも、発見した元弁護士で歴史家、キューバのものなら何でも収集するというエミリオ・クエト氏の功績は大きい。
ウルストンクラフトの仕事が記録されたのは、1828年にスペイン語の週刊誌「El Mansajero Semanal」に、キューバから亡命した人権運動家のフェリックス・バレラ神父とホゼ・アントニオ・サコが、「キューバ在住で、キューバの植物を絵に描いている米国人女性がいる」と書いたのが最初だ。
クエト氏はウルストンクラフトの作品を直接目にすることなく、実際に作品が残っているかどうかもわからないまま、2002年にヒストリーマイアミ歴史博物館で自ら開催したキューバの動植物展で、展示目録の参考文献一覧にウルストンクラフトの名を加えた。
過去の文献を当たってみると、ウルストンクラフトの英語のつづりが違っていたり、旧姓のキングスブリーが使われている資料もあった。さらに、下の名がアンになったり、ナンシーに変わったりした。
クエト氏は、ウルストンクラフトの原稿を探してオンラインの図書目録を100回以上調べた末、ついに2018年3月、目指すものに行き当たった。作者名のつづりがやはり誤表記されていたのだ。扉に書かれた筆記体の母音が判別しにくかったのだろう。苗字の「a」が「o」に変わっていた。だがクエト氏には、これが探し求めていたものであることがわかった。
「やった!あの女性だ、と思いましたね。これこそ探し求めていたものだと。つづりの間違いをはじめ、いくつもの不幸が重なって、これまで埋もれていたんです」
■偉大な女性科学者
ラッセル氏が調べたところによると、ウルストンクラフトは1828年に46歳で死去した。後には、書きかけの項目や下書きのメモ、本に綴じられていない原稿などが遺されたという。
「彼女の仕事は未完でした。しかし、図鑑を見つけなければ、彼女が残した仕事が永遠に忘れ去られていたかと思うと、寒気がします」と、ラッセル氏。
クエト氏は現在、ウルストンクラフトの業績を次世代へ伝えるために活動している。ウルストンクラフトが第2の故郷としたキューバのマンタサスへ出かけて墓を見つけ、当時の地元新聞に彼女の名を探した。そして、彼女は19世紀に転地療養のためカリブ海へ移住した多くの米国人のひとりだったのではないかと考えた。米国で著名な女性の権利活動家メアリー・ウルストンクラフトは、彼女の義姉に当たる。
クエト氏は、多くの観光客が訪れる米国の首都ワシントンDCの国立女性美術館で、発見したばかりの原稿を展示する計画を立てている。また、最終的に本にして出版することも考えている。その際、序文として原稿の発見に至った過程も書き加えたいという。スペイン語に翻訳すれば、キューバの読者にも読んでもらえるだろう。
「科学と芸術の分野から忘れられていた新しい米国人科学者であり画家を発見しました。もっと長生きしていたら、きっとその世界では重要な存在になっていたでしょう」
次ページでも、ウルストンクラフトが描いた美しい「植物図鑑」をご覧いただきたい。
(文 CZERNE REID、写真 ROBERT CLARK、訳=ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年4月28日付記事を再構成]
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44761110U9A510C1000000/

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