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違いを認めて

2021-07-17 | アイヌ民族関連
NHK 2021年7月16日(金)午後7時00分 更新

アイヌ文様が施された刺繍の魅力を伝える女性職員がいます。女性は自らがアイヌであることを認められなかった時期もありました。工芸を通して伝えたい思いとは。
工芸の魅力
ウポポイの工房では、アイヌ文様の刺繍体験が開かれています。ここでは体験を通して、とげや渦巻きのような形をした代表的なアイヌ文様に触れることができます。講師を務める小沼史子さんは、文様の特徴を解説し、縫い方の基本的な技術を教えています。
小沼さん
「できたっ」という喜びの声を聞くとよかったなって思います。「また来るねー」の一言がさらにうれしいです。刺繍がきっかけになって手仕事だけでなく、アイヌ文化の多くの分野に目を向けてくれるとうれしいです。
アイヌと認めたくなかった
アイヌの家庭で育った小沼さんですが、若い頃はアイヌであることを認めることができずに避けてきたといいます。転機となったのは、ある写真を見つけたことです。そこに写っていたのは、曾祖母の貝澤こきんさんです。全国をまわり、アイヌ文化の普及活動をしていました。

曾祖母 貝澤こきんさん
小沼さん
写真では口に大きな入れ墨があるひいおばあちゃんがアイヌに伝わる歌を歌っていたんです。本来なら隠したい部分なのに、堂々と隠しもしない姿を見て心の強い人だと思いました。私も隠すのをやめて、アイヌだと言えるようになりたいと考えるようになりました。
想像力を大事に
20代後半から本格的にアイヌ文化を学び始めた小沼さん。ウポポイの工房で手仕事を担当したことをきっかけに、1本の糸から様々な形や文様ができるアイヌ伝統の工芸に夢中になり、着物をつくる過程で先人たちの偉大さを感じました。特に小沼さんが心を引かれたのが、刺繍や着物の中で、文様の入れ方に遊び心が見えることでした。小沼さんは、作り手の想像力の豊かさがあったからこそ、生み出された作品だと考えています。
そして、工芸を見る人によっても様々な見方を楽しむことができることも魅力でした。川の流れ、砂が舞った瞬間など、アイヌの文様が入った着物から受ける印象はそれぞれで違うといいます。
アイヌにルーツをがあることを認められなかった過去がある小沼さんですが、今は誇りを持ちながら仕事ができていると感じています。違いを認められる社会に向けて、ウポポイがそのきっかけの場になればと願っています。
小沼さん
集団の枠からはみ出ると、それがおかしいと思われてします。でも見方を変えれば個性です。特に若い子には、堂々と前向きにありのままで活躍してほしいと思います。
隠すことは何もありません 。
2021年7月9日放送
アイヌ文化ひとくちメモ
衣服
アイヌの人たちがつくる着物には、動物の皮や植物の繊維を使ったものや交易で手に入れた木綿を使ったものがあります。糸や布で施される文様も地域によって違いがあります。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n40e94619571e

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「父が作者」中国の収容施設から伝わったウイグルの詩 安否を気遣う在日留学生の娘

2021-07-17 | 先住民族関連
47NEWS 2021/07/16 07:00
 中国政府が新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒の過激派対策を名目に、先住民族ウイグル人を職業技能教育訓練センターに収容している。国連人種差別撤廃委員会によると、収容された人は100万人以上ともされる。昨年、施設に収容された人が詠んだものとしてウイグル人の間で注目を集めた詩がある。作者とされるのはウイグルを代表する文化人で、日本への留学経験があるアブドゥカディル・ジャラリディンさん(57)。2018年に治安当局に拘束され、現在まで行方が分からない。長女のブルブルナズ・ジャラリディンさん(30)も留学生として神戸大大学院で学びながら、父親の身を案じる日々を送っている。(共同通信=上松亮介)
 ▽再生回数9万回以上
 「片隅に独りでいる/好きな人がいない/真夜中の悪夢にうなされる/お護りがない/人生に特別な望みはない/静寂の中で考えに捕えられ/なすすべがない/私はかつて誰だった/今はどうした/分からない/心の内を明かすべき人が見つからない/天の気性を知る由もない/恋人のそばに行きたいが/力がない/移りゆく季節を小窓が教える/花とつぼみはどうしても見ることができない/想念が骨髄を通り抜けた/ここはどんな所だ/来る道はあり戻る道はない」(原文はウイグル語。在日ウイグル人の文学研究者ムカイダイス・ヌルさん邦訳)
 この詩を基に製作された音楽ビデオは動画投稿サイト「ユーチューブ」で9万回以上の再生を記録している。
https://www.youtube.com/watch?v=SjAeuB90Ne8&list=LL&index=38
 昨年夏、ブルブルナズさんは米国の研究者らからこの詩について「あなたの父親がつくったものではないか」と連絡を受けた。幼い頃からブルブルナズさんは多くの詩に触れており、「言葉の選び方から父のものだと感じた」という。記者の前で改めて詩に目を通し「父は暗い場所にいるのだろう。どんなひどい目に遭わされているのか」と顔をゆがめた。
 ▽日本に関する随筆も
 アブドゥカディルさんは02年10月〜03年3月、石川県能美市の北陸先端科学技術大学院大学に留学。詩人や作家として知られ、著作には日本滞在時の体験を基にしたベストセラーの随筆もあり、多くの若者が日本留学を志す契機となった。
 自治区の区都ウルムチにある新疆師範大学でウイグル文学を教えていたが18年1月29日、治安当局に拘束された後に消息が途絶えた。独立運動などには関わっておらず拘束の理由は分からないが、収容施設に送られたとの見方が強い。  当時、自治区ではアブドゥカディルさんの友人の作家らも拘束後に行方不明になっていた。
 ブルブルナズさんは「父たちは自らの仕事を通じ、ウイグル文化の発展に貢献してきた。中国政府の狙いは民族のアイデンティティーを消してしまうことではないか」とみる。
 在ノルウェーの亡命ウイグル人組織「ウイグル・ヤル財団」がことし4月に発表したまとめによると、16年以降、アブドゥカディルさんを含む大学教授や作家、詩人ら382人が治安当局に拘束されたという。またNPO法人「日本ウイグル協会」は、日本への留学経験がある人も複数行方不明となっているとしている。
 ▽最後の言葉
 ブルブルナズさんが最後に父親と顔を合わせたのは17年1月。当時留学していたトルコの最大都市イスタンブールをアブドゥカディルさんが訪れた時だった。神妙な面持ちで「帰って来てはいけない。気を付けて勉強に専念しなさい」と語り掛けたという。
 ブルブルナズさんは18年9月にトルコから来日した。「家族一緒に暮らし幸せだった昔との違いを考えると、時折とても悲しい気分になる。自宅の椅子に座り、いつも本を読んでいた父の姿がいまも思い浮かぶ」と話す。
 中国政府のウイグル弾圧に対し、米国は「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定、欧州諸国も批判を強めている。ブルブルナズさんは「まだ日本政府はウイグル問題に対する態度をはっきりさせていない。基本的人権を大切にしてきた民主主義国家として、無実の父の釈放を中国政府に働きかけてほしい」と求めた。
 ▽取材を終えて
 ブルブルナズさんは記者の質問に言葉を選びながらも、はっきりと自分の経験を話してくれた。メディアへの証言により、中国当局から脅迫など何らかの圧力を掛けられる恐れもあるが「父のため自分にできることをしたい」という覚悟が伝わってくる。また米国在住の弟も実名で同国のメディアに証言している。
 「お父さんの詩のように、あなたが証言しているという事実が彼の元に届くかもしれません。伝えたいことはありますか?」。こう尋ねると、ブルブルナズさんは「必ず家族で再会できる日が来る。あきらめず正義を貫いてほしい」と答えた。
 6月16日に閉会した通常国会では対中非難決議の調整が進められていたが、採択は見送られた。在日ウイグル人たちと話すと、日本の対応の鈍さは落胆を持って受け止められているように感じる。
 こうしている間も中国国外に逃れたウイグル人による証言は後を絶たず、状況は待ったなしと言える。ブルブルナズさんが父親に向けた「正義を貫いてほしい」という言葉は、私たち日本人にも問い掛けられているように感じた。
https://news.goo.ne.jp/article/47news_reporters/world/47news_reporters-20210713110856.html

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台湾人が大谷翔平に熱狂する理由。知られざる日本と台湾「絆の歴史」

2021-07-17 | 先住民族関連
MAG2NEWS 2021/07/16 05:00
投手と打者の二刀流で八面六臂の活躍ぶりを見せ、アメリカ全土を熱狂させている大谷翔平選手ですが、台湾でも大人気となっているようです。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、まさに大谷選手の一挙手一投足に大きく報道する台湾メディアと、台湾の人々の反応を紹介。さらに台湾野球の発展に大きく貢献したとある日本人の功績を記すとともに、「台湾野球は日本野球の弟であり、日本野球の至宝である大谷選手は台湾にとっても至宝」と結んでいます。
【関連】なぜ大谷翔平はグラウンドに落ちているゴミをわざわざ拾うのか
※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2021年7月14日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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【日台】日本の至宝・大谷翔平はなぜ台湾の至宝でもあるのか
● MLB明星賽》大谷翔平二刀流奪勝投史上第一 美聯退國聯摘8連勝(大谷翔平の二刀流での勝利は史上初。アメリカンリーグがナショナルリーグを退け8連勝)
7月14日はアメリカでオールスター・ゲームが開催され、史上初、投打の二刀流で出場した大谷翔平選手が勝利投手となりました。日本では連日、大谷翔平選手の活躍が報じられていますが、野球人気が高い台湾では、日本のプロ野球がケーブルテレビで見られることもあって、以前から大谷選手の存在を知る人も多く、日本同様に大谷フィーバーが起こっています。「自由時報」では、オールスターの様子を写真と映像で詳細に報じていますが、そこでも、注目選手として大きく取り上げられたのは大谷選手でした。
このメルマガでも3年ほど前に、アメリカでの大谷翔平フィーバーと、日本のみならず台湾、韓国での熱狂ぶりを報じましたが、さらにそこから歴史に名を残すほどの選手になったことは、非常に喜ばしいことです。
● 黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」バックナンバーリスト 2018年04月
以前のメルマガでは、大谷選手の所属するエンジェルスの本拠地ロスアンゼルスについて、韓国ロビーによって慰安婦像が建てられ、日本人子弟への偏見やいじめが報告されているなかで、大谷選手の活躍は、現地の日本人に非常に大きな勇気を与え、誤った日本人像を正す機会にもなるだろうと論じました。
昨年から武漢発コロナウイルスが大流行して死者が多発したアメリカでは、アジア人襲撃事件が頻発しました。そんななか、大谷選手の偉業は、アジア人の名誉を回復し、偏見を打ち砕くことにも大いに役立っていると思います。そういう意味では、アジア人の救世主だとも言えるのではないでしょうか。
大リーグのインデアンスには、張育成という台湾人選手がいます。5月にエンジェルスと対戦した際、一塁手の張選手が、出塁した大谷選手から「陽岱鋼選手を知っていますか?」と、日本で一緒にプレーした台湾人選手の名前を挙げて声をかけられ、2人で談笑したというエピソードが、台湾で大きな話題となりました。
● 【MLB】「陽岱鋼を知ってますか?」大谷翔平、満面の笑顔を見せた“一塁上の会話”に注目
7月5日は大谷選手の誕生日だそうですが、この日、大谷選手を打ち取った相手チームの選手が、「誕生日おめでとう、クソ野郎!」と罵ったというニュースが流れましたが、これに対してなぜか日本よりも台湾で炎上し、批判的な声が次々と上がったということが、わざわざ報じられるほどでした。それほど台湾では大谷選手の好感度が高いのです。
● 大谷翔平に暴言吐いた投手が釈明「彼に言ったのではない」=台湾でも注目「自己中」「大したことじゃない」
加えて、台湾は新型コロナの感染拡大で、野球の東京五輪最終予選への出場を断念しました。五輪の野球に台湾チームは不参加となったことで、より日本野球への関心が高まったともいえるかもしれません。
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中国語で野球は「棒球」といいますが、台湾では日本語での「野球」という言葉が流通しています。1969年から1980年までに、台湾のリトルリーグは9回も世界チャンピオンに輝いたこともあります。1989年にプロ野球が発足し、1990年からリーグ戦が始まりました。少年野球のほうは肩を壊す選手が出たことから批判が高まり、その一方で、次第にプロの人気が高まっていきました。
台湾に野球を根付かせたのは、言うまでもなく日本です。1895年、日清戦争の勝利で台湾が日本の領土となったことで、野球が日本から持ち込まれました。
1906年には、台湾総督府国語学校中学校が、台湾ではじめての野球チームを組織されます。1923年には先住民のアミ族による「能高団」が結成され、また、同年に全国中等学校優勝野球大会の台湾地区予選が開催されるようになりました。同年、甲子園に出場したのは台北一中。その後、台北商業学校、台北工業学校と、台北の学校が甲子園の常連となりました。とはいえ、これらのチームは日本人のみで構成されており、台湾人は含まれていませんでした。
そこに風穴をあけたのが、嘉義農林学校でした。日本人、台湾人、高砂族の3つの民族で構成された同校は、台湾でライバル校を次々と撃破、1931年、ついに甲子園初出場を果たします。甲子園でも快進撃は止まらず、順調に勝ち進み、ついに初出場にして決勝戦までたどりつきます。決勝では惜しくも敗れたものの、準優勝という栄冠を手にしたのでした。その実話を映像化したのが『KANO 1931海の向こうの甲子園』という映画であり、永瀬正敏氏や大沢たかお氏などの日本人俳優も出演、台湾で大ヒットしました。
学生を率いたのは、愛媛の松山商業を初の全国出場に導いた経歴のある近藤兵太郎。嘉義農林学校の野球部は野球経験のない教師が監督を務めており、試合で大敗したことで、部員たちがどうしたら強くなれるかを話し合い、嘉義商工学校に赴任していた近藤に監督をお願いしようということになったのです。そして校長が近藤に直談判、近藤は放課後にコーチをすることを引き受けました。
近藤は日本人のみならず、台湾人や先住民族の混成チームをつくります。当時、日本人以外の民族がいるチームは見下されていましたが、近藤は気にせず、身体能力に優れた選手をチームに入れていきます。そして、近藤の熱血指導で嘉義農林学校の野球部は強豪チームへと変貌。そして甲子園出場、準優勝にまで導いたのです。
映画『KANO』には、最初、嘉義農林学校を「蛮族」のいるチームとしてバカにしていた日本人新聞記者が、決勝に進む頃にはすっかり嘉義農林の大ファンになっていた様子が描かれています。実際、当時の「嘉農」フィーバーはすごかったようです。そして、嘉義農林学校の活躍は、台湾人に大きな勇気と自信を与えたのです。どこか、アメリカ人を熱狂させる大谷選手に重なるところがあります。
この嘉義農林のチームからは、その後、日本のプロ野球へ進んだ者や、台湾野球界のために尽力した者など、多士済々が輩出されています。とくに呉昌征という選手は、巨人や阪神、毎日オリオンズでプレーしましたが、首位打者に輝く一方、投手として戦後初のノーヒットノーランを達成するなど、大谷選手と同様の二刀流で大活躍しました。日本と台湾の両方で野球殿堂入りしており、これは王貞治に次ぐ2人目だそうです。
こうした野球の歴史は、日台の絆の歴史でもあります。台湾人が大谷翔平選手に熱狂するのも、日台野球の絆があるからです。台湾野球は日本野球の弟であり、日本野球の至宝である大谷選手は、台湾にとっても至宝なのです。
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https://news.goo.ne.jp/article/mag2/world/mag2-504736.html

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【戦国こぼれ話】秋田の檜山安東氏と戦国大名蠣崎氏(のちの松前氏)はどういう関係だったのか?

2021-07-17 | アイヌ民族関連
ヤフーニュース 7/17(土) 6:00 渡邊大門 | 株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 北海道松前町の名産品といえば、松前漬けが非常に有名であり、今も人気が高い。北海道の戦国大名といえば蠣崎氏(かきざき:のち松前氏)が唯一の存在であるが、そのルーツとは。
■安東氏の誕生
 安東氏は安倍貞任の第二子、高星(たかあき)をその祖とする。父貞任が前九年の役で源頼義・義家父子で討伐されると、高星は青森県の津軽地方を流浪し、藤崎(青森県藤崎町)を本拠としたという。
 鎌倉時代に安東氏は北条氏の代官となり、津軽における北条氏の所領を支配した。そして、津軽に住んでいたアイヌの統括も行っていたのである。
■安東氏の分裂
 鎌倉末期、安東氏は一族間で争った。この事件を「津軽大乱」といい、安東氏は「上国安東氏」と十三湊(青森県五所川原市)に拠った「下国安東氏」に分裂し、さらに下国安東氏は「(土崎)湊安東氏」と「十三湊安東氏」に分かれた。
 その後、東北の武将・南部氏の攻撃により「十三湊安東氏」は一時蝦夷地(北海道)に逃れたが、のちに本州に帰還すると、さらに十三湊から再び北海道の檜山(北海道江差町)へと移った。これが「檜山安東氏」のはじまりである。
 両安東氏は、戦国時代に入ると互いに争うようになるが、「十三湊」の家系に愛季(ちかすえ)の弟・茂季(しげすえ)が養子に入り、実質的に「檜山」の安東愛季が「十三湊」「檜山」両安東家を統一した。こうして、檜山安東氏が誕生したのである。
■蠣崎氏の出自
 一方、蠣崎氏の出自に関しては、若狭武田氏の近親が青森に移り、続いて北海道に渡ったという説がある。また、南部氏の庶流が蠣崎村を領し「蠣崎蔵人」と名乗り、南部本家との争いに敗れて蝦夷に渡ったという異説もあるが、詳細は不明である。
 道南において、安東一族の下国氏(二氏)と蠣崎氏は、もっとも有力な存在であった。そのような状況下、蠣崎季繁はコシャマインの乱(長禄元年・1457)を鎮圧した客将の武田信広を養子に迎え、蝦夷地の実質的支配権を掌握したといわれている。
■蠣崎氏の発展
 次の光広の時代になると、「下之国之守護」下国氏と「松前之守護」相原氏が滅亡した。光広は大館(北海道松前町)に移住し、安東氏から蝦夷地の代官に任じられた。
 この代官補任が蠣崎氏にとって大きな画期といえる。つまり、蠣崎氏は安東氏に代わって、蝦夷地を実質的に支配するようになったのである。
 時代の進展とともに、蠣崎氏は安東氏の支配下から離脱を試みようとする。そして、16世紀後半の豊臣秀吉の登場以降には、それが実現するのである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210717-00248125/

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盛岡市先人記念館で「金田一勝定」展 岩手の経済発展に尽くした姿に焦点当て

2021-07-17 | アイヌ民族関連
みんなの経済新聞 7/16(金) 11:36
 盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)が現在、第63回企画展「金田一勝定-盛岡財界の巨頭-」を開催している。(盛岡経済新聞)
 金田一勝定は1848年に現在の盛岡市本町通に生まれ、「盛岡銀行」や「盛岡電気株式会社」「岩手軽便鉄道」など多くの企業の創業に携わった実業家として知られている。1920(大正9)年に亡くなり、昨年没後100年を迎えた。本来、同展も昨年の開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、思うように研究が行えないことなどを理由に延期となっていた。
 同展では、勝定が設立のために力を尽くした3つの企業から実業家としての側面と共に、人となりや生涯について紹介する。展示は4章構成で、第1章は「勝定の人となり」と題して、人物像や県会議員・市会議員時代について触れる。第2章「実業家としての勝定」と第3章「勝定の最後」では、「盛岡銀行」「盛岡電気株式会社」「岩手軽便鉄道」の設立についてと、頭取や社長を務めた勝定の業績、勝定が亡くなる時までを取り上げる。
 担当学芸員の中村晶子さんは「政治家であり経済人、そして実業家だった勝定の広い人脈にも注目してもらいたい。例えば展示資料の『弔慰者芳名録』にもそれが現れていて、厚みがあり、企業の代表者の名前が多く、原敬の名前もある。勝定は『東北の渋沢栄一』と評されることもあるが、渋沢栄一本人からの弔文も資料として並べている」と話す。
 もう一つの注目ポイントは、勝定の「支える人」としての側面だという。勝定は娘のリウや婿の國士(くにお)など周囲の人の教育やサポートに熱心に取り組み、おいの言語学者・金田一京助のアイヌ語研究を費用面などで援助していた。京助はのちに「私のアイヌ語の産婆」というタイトルで勝定についてのエッセーを書き、自分の研究に対して理解を示した勝定への感謝をつづっている。
 資料展数は計87件121点。写真や文書、図面などから盛岡の近代化と当時の様子、勝定の功績を伝える。中村さんは「展示で取り上げている3つの会社はもうないが、盛岡銀行の建物は岩手銀行赤レンガ館として残り、盛岡電気は現在の東北電力へつながり、岩手軽便鉄道も現在はJR釜石線となっている。現代の暮らしの背景にある歴史と人物について思いをはせてもらえれば」と話す。「勝定は地元で企業を興し、経済を回そうとした。これは想像でしかないが、今、地元で頑張ろうとしている皆さんと同じ気持ちでいたのではないかと思う」とも。
 開館時間は9時~17時(最終入館16時30分)。入館料は一般=300円、高校生=200円、小・中学生=100円。8月29日まで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd2c04cc3128fd0eb7d568c644ab05d75f68d6b1

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「笑いと涙、新たな挑戦」 漫才コンビ・アップダウンが原爆劇 8月初公演

2021-07-17 | アイヌ民族関連
長崎新聞社 7/16(金) 11:02
 吉本興業のお笑いコンビ「アップダウン」が来月、原爆劇を交えた漫才を、長崎市内で初公演する。制作を依頼した被爆2世らが14日、試演の映像を視聴。「笑いと涙の両方があった」「継承への新たな挑戦」と期待の声が上がる一方、「原爆の場面を増やして」との注文も。意見を踏まえ、完成度を高めていく。
 アップダウンは1996年、阿部浩貴さん(44)と竹森巧さん(43)が結成。東京の劇場に出演する他、3年前から古里北海道のアイヌ民族や鹿児島・知覧の特攻隊など、歴史を扱う芝居も全国で上演している。
 今回の漫才は序盤で、長崎被災協・被爆二世の会・長崎(山崎和幸会長)に制作依頼を受けた時のエピソードや、普段の芸能活動を軽快なトークで紹介。その後、雰囲気をがらりと変え、広島と長崎の惨状を描いた絵「原爆の図」の解説文を朗読。2人芝居では被爆医師の永井隆博士と、心に深い傷を負った被爆者の少年を演じ、最後は復興に向かう戦災者の希望を表現した歌で締めくくる。
 14日は被爆者ら10人ほどが視聴し、ビデオ通話でアップダウンと意見を交わした。同市の胎内被爆者、陸門良輔さん(75)は「原爆を分かりやすく後世に伝えようという気持ちが伝わってきた」と評価。同会事務局長で被爆2世の柿田富美枝さん(67)は「(前半は)小学生の孫も笑うだろうと想像した。よく知る被爆者をしっかり演じてくれてうれしい」と話した。
 一方で「原爆に関わる場面や、歌をもう少し増やしてほしい」「話すスピードが速くて聞き取りづらい」などの意見も。竹森さんは「初めての試みで手探り。笑い(の内容や量)は精査する。めりはりをつけ、練習を繰り返して完成度を上げていきたい」と意気込みを語った。

 公演は8月11日(1)午後1時半(2)午後6時半、長崎市岡町の長崎原爆被災者協議会地下講堂。チケットは大学生以上千円、高校生500円、中学生以下無料。事前予約が必要で、定員に達し次第締め切る。問い合わせは山崎会長(電090・7581・9794)へ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f4f03b442e9a1381cbaa173a2e943e11c170946

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アイヌ文化振興へ事例報告 北海道博物館大会 課題も考える

2021-07-17 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2021.07.16
道内の博物館職員らが集う第59回北海道博物館大会が15、16両日、白老町で開かれた。地域のアイヌ文化振興に向けた博物館の役割や取り組みについて関係者が事例報告し、文化を発信する上での課題も考えた。同大会が白老町で開催されたのは1985年以来36年ぶり。
 北海道博物館協会など主催の大会は、博物館を取り巻く今日的課題や諸問題について考え、生涯学習拠点としての活動を推進するため毎年、各地で開催している。アイヌ施策推進法の制定や民族共生象徴空間(ウポポイ)の開設など、アイヌ施策の新たなステージを迎えた社会的状況を踏まえ、今回は「博物館とアイヌ文化―多文化共生の新展開」をテーマに設定。道内各地の博物館や郷土資料館などの職員ら約100人が参加した。
 町コミュニティセンターを会場にした基調講演ではウポポイの村木美幸副本部長が「ウポポイの役割―多文化共生と地域連携」、国立アイヌ民族博物館の佐々木史郎館長が「国立アイヌ民族博物館の地域連携の試み」と題して基調講演。先住民族アイヌの歴史と文化を正しく発信するための取り組みや課題、国内各地の博物館とのネットワーク構築などについて説明した。
 事例報告では、よいち水産博物館(後志管内余市町)の浅野敏昭館長が「余市町のアイヌ文化拠点施設構想」と題し、同博物館を改修し地域のアイヌ文化発信スペースを整備する構想に関して詳しく説明。平取町二風谷民芸組合の関根真紀さんは、地元の博物館が地域のアイヌ工芸家の育成を支えてきた状況について話した。
 また、北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原モコットゥナシ准教授は「アイヌ民族・文化を主体とした情報発信」と題して報告。アイヌ文化を発信する上で「企画段階や意思決定の場にアイヌ民族の参画をどう確保するかが課題だ」と指摘した。
 参加者は16日、ウポポイなどを見学した。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/22407

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アイヌの木彫家・藤戸竹喜の大規模展 ― 東京ステーションギャラリー

2021-07-17 | アイヌ民族関連
インターネットミュージアム 2021年7月16日
東京ステーションギャラリー「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜」会場
北海道出身の木彫家、藤戸竹喜(ふじとたけき 1934-2018)の作品を紹介する大規模展が、東京で開催される。
藤戸はアイヌ民族として北海道美幌町で生誕。木彫り熊の職人だった父親の下で12歳の頃から熊彫りを始め、技を習得。数多くの木彫作品を生み出した。
デッサンをせずに一気呵成に彫り進められる熊や動物の姿は、生きているかのような躍動感を持つ一方で、細密な毛彫りで仕上げられ、柔らかな質感も持ち合わせている。
アイヌ民族の先人たちの姿を等身大で彫った作品群も、威厳に満ちた存在感を示している。
展覧会では、藤戸の初期から最晩年にいたる代表作80余点を展示。その全貌が東京で紹介される、初めての展覧会となる。
「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」は東京ステーションギャラリーで、2021年7月17日(土)〜9月26日(日)に開催。入館料は一般 1,200円など。
https://www.museum.or.jp/news/103477

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札幌大学が「カルチャーナイト2021」で動画を配信します

2021-07-17 | アイヌ民族関連
札幌大学 2021年7月16日
幌大学は7月16日(金)17時からYouTubeで一斉配信される「カルチャーナイト2021」に参加します。
カルチャーナイトはNPO法人カルチャーナイト北海道が主催し、一年に一度、札幌市内の文化施設や企業施設を夜間開放し、各施設が特色あるプログラムを実施するイベントです。市民が地域文化を楽しみながら、いつもの街で新たな魅力を発見し街への愛着を育てる機会となっており、本学は2014年から参加しています。
今年は昨年に引き続き会場集客型ではなくオンラインで開催することとなりました。
当日は札幌市内の約60の団体が参加し、「業務紹介」「バックヤードツアー」「アート」「食」など102本のプログラムをYouTube公式チャンネルで楽しむことができます。
札幌大学も下記の動画プログラムを配信します。ぜひご覧ください。
(7月20日正午までの限定公開です)https://culture-night.com/
《札大プログラム・YouTubeリンク》
「あなたの知らない札幌アイヌスポット巡り」
-札幌市内に点在するアイヌスポットを札幌大学ウレシパクラブの学生が紹介します。
逸話や裏話などもお教えします。札幌大学の着物や木彫品、学生たちの踊りもお見せします。
https://youtu.be/hTFftErNzas
問い合わせ先
国際交流センター SUICC
TEL:011-852-9138
https://www.sapporo-u.ac.jp/news/student/2021/07160242.html

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