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<東胆振・日高 歴史を歩く>様似山道 蝦夷地で初の官製道路

2021-07-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/25 05:00
 様似町幌満の幌満川河口に様似山道の東口がある。角張った硬い石が積み重なる沢を登り、尾根へ出て西へ。その後3度ほど沢を登り降りし、最難所の「ルランベツ(ルエランベツ=アイヌ語で『坂・川』=の通称)」の沢では急斜面に張られたロープを伝い歩いた。道幅1メートル弱。険阻というほどではないが、骨の折れる道程である。
 アポイ岳(810メートル)山麓を東西に走る様似山道は延長約7キロ。江戸後期の1799年(寛政11年)、猿留(さるる)山道(えりも町)とともに江戸幕府が開いた蝦夷地(えぞち)初の官製道路だ。両山道の開削により、勇払(苫小牧)など道央と、厚岸、根室など道東を荒天時や冬季に行き来する困難さは緩和されたのだった。
■「第一の難所」
 それより前は、後年「日高耶馬渓(やばけい)」と名付けられた断崖絶壁の海岸線が通り道。箱館奉行・羽太正養(はぶとまさやす)の公務記録「休明光記(きゅうめいこうき)」は、ここを「蝦夷地第一の難所」とし、通行の困難さを伝える。「縄を下げ梯子(はしご)をかけて渉(わた)り、又(また)は巌(いわお)の下をくぐり、或(あるい)は浪の打寄る隙を見て飛び越ゆる所あり」
 旅人が「念仏を唱えつつ登り降りした」とされる絶壁を見下ろす場所が、山道から少し外れた崖の上にある。住民団体「アポイ岳ファンクラブ」事務局長の田村裕之さん(50)の案内でそこに立つ。奇岩「鵜(う)の鳥岩」が屹立(きつりつ)する海面は100メートルも下にある。
 山道はこの難所を山側へ迂回(うかい)する。開削は北方防備の強化と蝦夷地開拓が目的だった。1789年、和人の横暴に抗して国後島と対岸のアイヌ民族が蜂起(クナシリ・メナシの戦い)。ラッコの毛皮などを求め南下するロシアがアイヌ民族を懐柔することを恐れた江戸幕府は1798年、東蝦夷地へ巡察隊を送った。
 そこに加わった幕吏の近藤重蔵や最上徳内が、難所をかわす山道の必要性を説いた。「ロシアの動向などの情報を迅速に伝え、悪天候でも兵を送り込めるルートの確保を狙った」と様似郷土館の高橋美鈴学芸員(34)。細い山道は、北からの脅威に対する幕府の強い危機感の表れと言える。
 一帯の地形は約1300万年前の造山運動でできた。地殻を構成する東側と西側のプレート(岩盤)が衝突し、東側の境界面がめくれ上がって日高山脈となった。アポイ岳はその南端付近にある。地下深部の硬い岩石が突き上げられて急峻(きゅうしゅん)な地形となり、波浪に侵食され絶壁となった。
■プレートの境
 様似山道は、このダイナミックな地球の動きを実感できる道でもある。行路の途中で、足元の石の色が暗色から明色に変わるのだ。「東西のプレートの境で色が変わると考えられています」と田村さん。知らぬ間にその境をまたいでいた。
 山道沿いに明治初期、「原田宿」という宿屋があり、今も礎石が残る。宿の主の末裔(まつえい)で様似町の画商、原田恭宏さん(84)は1980年、山道の調査に加わり、宿の跡地を確かめた。「山道の存在を知る町民は少なく、原田宿も知られていなかった」と振り返る。
 調査を主導したのは様似町郷土史研究会。79年から調査を重ねて山道の全容を解明し、ササ刈りなど整備に取り組んだ。取り組みは官民に継承され、今は「アポイ岳ジオパーク」のフットパス(歩行用の通路)として維持されている。住民らの努力に感謝しつつ、5時間かけて同町冬島の山道西口にたどり着いた。(中川大介)
<ことば>様似山道 江戸幕府が1799年に東蝦夷地を松前藩から取り上げ、直轄領化した上で1年間の突貫工事で完成させた。3年後に南部藩士が補修。探検家の松浦武四郎や測量家の伊能忠敬も通ったが、明治期以降、海岸に道路が敷かれて廃れた。1985年に様似町が文化財に指定。一部は2018年に国史跡に指定され、19年には猿留山道とともに文化庁の「歴史の道百選」に選ばれた。原田宿は1873年(明治6年)から12年間、淡路島から渡道した原田安太郎が営んだ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/570639

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アイヌ文化伝承へ「ウポポイ」1年 歴史受け継ぎベテランや若手活躍

2021-07-25 | アイヌ民族関連
産経新聞 7/24(土) 20:30

北海道白老(しらおい)町にアイヌ民族の文化復興拠点「民族共生象徴空間」(通称ウポポイ)が開業して7月12日で1年を迎えた。アイヌの歴史・文化を学び伝えるナショナルセンターとして国が整備したもので、ウポポイの前身ともいえる施設の歴史も受け継ぎながら、伝承者や若手職員らが文化を次代につなげるための歩みを進めている。
■運営の土台は前身施設
ウポポイは白老町にあるポロト湖畔に整備された。敷地面積は約10万平方メートル。東京以北で初の国立博物館「国立アイヌ民族博物館」や体験型のフィールドミュージアム「国立民族共生公園」、体験交流ホール、伝統的な集落(コタン)などからなる。約1・2キロ離れた高台には慰霊施設も整備された。
この地には平成30年まで、ウポポイの前身ともいえる民間の一般財団法人アイヌ民族博物館があった。愛称の「ポロトコタン」はアイヌ語で「大きい湖の集落」を意味する。昭和40年に開業、長年にわたりアイヌ文化の発信活動などに取り組んできたが、ウポポイの開業準備に伴う運営団体の合併で、平成30年3月末に閉館した。
職員の多くはウポポイへと移籍し、培ってきた経験と歴史はウポポイ運営の土台につながっている。
■踊りと歌で伝承41年
ウポポイ唯一の伝承者、高橋志保子さん(71)=白老町出身=は今年で活動41年目を迎えた。19歳でポロトコタンに就職し、古式舞踊や歌などを来館者らに披露。今もウポポイ内の「チセ」(伝統家屋)で民族楽器の「ムックリ(口琴)」や踊り、歌などの定時公演を担当する。
「来てくれた人に楽しんで帰ってもらいたいと思いながら続けていたら、こんなに長くなっていた」
気さくな人柄が来館者から人気で、談笑しながらムックリの鳴らし方や昔のアイヌ民族の暮らしなどを説明。「楽しく交流できればそのことを誰かに伝えてくれるかもしれない。そうやって関心を持つ人が増えるとうれしい」と地道に伝えることの大切さを語る。
ムックリは新型コロナウイルス感染防止用のアクリル板を隔てても、独特の音色が美しく響き、演奏を終えるたびに来館者から大きな拍手が沸き起こる。
平成27年には、長年の伝承活動が評価され、地元の白老町から指定無形民俗文化財・伝統文化継承者に選ばれた。開業からの1年を振り返り「これからも来てくれた人たちを楽しませるために歌と踊りを続けたい」と語る。
■エカシの父の後を継ぎ
「父がいたポロトコタンにはよく遊びに行っていた」。ウポポイでアイヌ文化を伝える仕事を始めて7年目の山丸賢雄(けんゆう)さん(27)=白老町出身=は、そう幼少期を語る。アイヌ文化に携わるきっかけは伝承者人材育成プログラムへの参加。父の山丸郁夫さんに紹介してもらったという。
郁夫さんは「エカシ」と呼ばれる集落の長老だった。ポロトコタンでは、来館者に伝統舞踊を披露するなど文化振興を担当していたが、山丸さんが19歳の時に57歳で急逝した。
研修は父が亡くなって間もなく始まったが、「あちこちで『お前が郁夫さんの息子か』と声をかけてもらった。それがありがたかった」と振り返る。
第3期生として平成24年から3年の研修を受け、修了後にポロトコタンへ就職。今はウポポイでアイヌ語の体験教育を担当する。
アイヌ民族は文字を持たず口承で文化をつないできた歴史があり、そのことを分かりやすく伝えようと、「赤ずきん」など手作りの紙芝居で童話などを和訳しながら朗読。アイヌ語をカタカナ表記したカードを使うなど工夫を凝らす。
自身もアイヌ語を学ぶのが楽しいといい、「日常会話で使える環境にしたい」と話す。
ウポポイ運営本部の野本正博文化振興部長(58)は「これからは文化の創造が必要」と次のステージに向けた目標を語る。
今に伝わる古式舞踊などはかつての映像や音源などを参考に現代へ継承されてきた。野本さんは「先人たちも工夫を重ねて、これらの踊りを作りあげてきたはず。過去のものの再現だけではなく、今の時代に自分たちで生み出し、示すことも大切」と強調。人材育成プログラムの見直しなどを進めながら、新たな文化発信のあり方を探っている。(坂本隆浩)
https://news.yahoo.co.jp/articles/cdd115fb5db96ddd1ef023a0561ad8935172444f

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先住民の楊勇緯が銀、今大会台湾勢で初メダル=柔道男子

2021-07-25 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 7/24(土) 19:15
初出場の五輪で銀メダルを獲得した楊勇緯
(東京中央社)東京五輪は24日、柔道男子60キロ級が日本武道館であり、五輪初出場の楊勇緯(23)が銀メダルを取った。今大会台湾勢初のメダル獲得となった。
台湾原住民(先住民)パイワン族の血を引く楊。小学3年生の時から柔道を始めた。2018年アジア大会(ジャカルタ)で銅メダル、20年グランドスラム(独デュッセルドルフ)では銀メダルに輝いた。
今大会ではブルガリア、オランダ、フランスの選手を次々に破る快進撃を見せた。決勝では、日本の高藤直寿に負けて念願の金メダルを逃したが、台湾の柔道選手としては史上最高の成績を残した。(謝静雯/編集:羅友辰)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1f9455b5a5abbcf8a6eb3bc6a99340006cf8891

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柔道60キロ級決勝で高藤に敗れた台湾選手に日本国内から好意的なメッセージが続々!【東京五輪】

2021-07-25 | 先住民族関連
THE DIGEST 2021/07/25 06:00
決勝では敗れたものの五輪柔道競技で初めて台湾にメダルをもたらした楊勇緯が、日本のSNS上でも人気を集めている。(C)Getty Images(THE DIGEST)
 7月24日に行なわれた柔道の男子60キロ級決勝で、指導3回の反則によって高藤直寿に敗れた台湾の楊勇緯(ヨウ・ユウイ)。残念ながら金メダルには手が届かなかったが、それでも台湾柔道界に初めてメダルをもたらす快挙を達成した。
 この結果を受けて試合後、台湾の行政院長はすぐさまSNSを通じて「過去40年間の台湾の柔道の最高記録を更新しました。 チームを祝福するとともに、今後も台湾の選手たちに声援を送り続けてほしい」とコメント。
 その他にも台湾外交部や市長などからも「日本のチャンピオンは強かったが、ヨーロッパの強豪を倒して決勝進出は立派だ」といった、お祝いのメッセージが複数発信されるなど、台湾では大きな盛り上がりを見せている。
 そして楊を巡る盛り上がりは、日本のネット上でもグングン上昇している。その理由は様々だ。
「試合直後に日本語で高藤選手に“おめでとう”と祝福していて姿を見てすごく感動した」「台湾にとっては残念な結果だったけど、彼の戦う姿は勇ましかった」「カッコいいだけじゃなくて、可愛さがある」「とっても爽やかで、どっちを応援していいのか迷った」「表彰式で手にしたメダルをスリスリする姿がたまらない」といった楊に向けた好意的なコメントが数多くアップされたのである。
 台湾の先住民族であるパイワン族にルーツを持つ楊。台湾といえば今まではテコンドーを得意とする選手が多かったようだが、今回の東京五輪で楊が初出場ながら披露した活躍ぶりを見て、今後台湾で柔道に目覚める子どもたちが増えるかもしれない。
https://news.goo.ne.jp/article/thedigestweb/sports/thedigestweb-44192.html

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【東京五輪】 カナダ、ケニア、NZ、フィジーのラグビー選手が開会式で旗手の大役。

2021-07-25 | 先住民族関連
ラグビーリパブリック 7/24(土) 6:24
 さまざまな困難を乗り越えて、東京2020オリンピックが開幕した。
 新型コロナウイルスの影響で大会は1年延期となり、ほとんどの会場は無観客となるが、並々ならぬ努力と精神力でこの地にたどり着いたアスリートたちの檜舞台。ラグビーは2016年のリオデジャネイロ大会に続き、7人制ラグビー(セブンズ)が正式競技として実施される。
 7月23日に国立競技場でおこなわれた開会式では、4か国の代表選手団でラグビー選手が旗手として行進した。
 大役を務めたのは、ネイサン・ヒラヤマ(カナダ)、アンドリュー・アモンデ(ケニア)、サラ・ヒリニ(ニュージーランド)、ルシラ・ナンガサウ(フィジー)。
 セブンズ男子カナダ代表はオリンピック初出場で、最も経験豊富なネイサン・ヒラヤマは共同主将のひとりとしてチームをけん引する。15人制でもワールドカップ2大会出場を含め代表23キャップを持つ万能選手のヒラヤマだが、2016年からは7人制に専念してきた。そして、33歳でついに夢の舞台に立つ。曾祖父母がカナダに移民した日系4世。自身のルーツがある日本で、メープルリーフの旗を持って誇らしく入場した。
 ヒラヤマにとってオリンピックは初舞台だが、ワールドラグビーセブンズシリーズ363試合出場はカナダ代表史上最多。同シリーズ通算1,859得点は歴代世界3位の記録で、エースとして活躍が期待される。
 ケニアは才能の宝庫といわれるアフリカで屈指のセブンズ強豪国であり、東京オリンピックには男女そろって出場する。特に男子代表はメダルが期待され、チームをけん引するのが37歳のアンドリュー・アモンデだ。ワールドセブンズシリーズ歴代世界2位のトライゲッターであるコリンズ・インジェラと並ぶスターで、2016リオ大会に続きセブンズ男子代表の主将を務める。
 ケニアは陸上競技でメダル候補が多いことを考えると、ラグビー選手が旗手に選ばれたのはとても名誉なことであり、女子バレーボール代表主将とともにケニア選手団の先頭を歩いた。
 ニュージーランド選手団の旗手に選ばれたサラ・ヒリニ(旧姓:ゴス)は、金メダルを狙う女子セブンズ代表の主将だ。5年前のリオでは、23歳の若さでキャプテンを務め、準優勝の涙を味わった。東京オリンピックで旗手に選ばれ、言葉を失ったというヒリニは、「たいへんな名誉です。私と家族にとって本当に、本当に大きなことであり、再び国の代表になれたこと、そして最大のステージで自分の国をリードできることにとても興奮しています」とコメントしていた。
 先住民族マオリの血を引き、2019年に女性で史上初めてラグビーの年間最優秀マオリ選手に選ばれたことでも知られるヒリニは、東京オリンピックでニュージーランド選手団の顔となり、“ブラックファーンズ・セブンズ”の主将として悲願達成を目指す。
 そして、7人制ラグビーが国技といわれるフィジーは、女子セブンズ代表主将のルシラ・ナンガサウが旗手を務めた。当初は2大会連続の金メダルを狙う男子セブンズ代表のジェリー・トゥワイ主将ももうひとりの旗手として開会式に参加する予定だったが、3日後に競技が始まるため休養となり、男子競泳選手が代役を務めた。
 女子のナンガサウは前回のリオ大会も経験しており、チーム最強のハードタックラーで、力強いボールキャリアーでもある。
 2016年のリオでは男子が優勝して母国に初めてのオリンピックメダルを持ち帰り、国民の熱狂的な祝福を受けた。女子チームもワールドセブンズシリーズなどで力をつけており、前回の8位を上回りたい。
 ラグビー競技は東京スタジアムが会場となり、男子が先で、7月26日にキックオフとなる(28日が男子最終日。女子は29~31日)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/535fd51e439c5f514b942ef783b208969b57230a?page=1

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