日刊ゲンダイ8/13(火)
【注目の人 直撃インタビュー】
関野吉晴(探検家)
うんこは流し、死体は焼くものである──。そんな“常識”を打ち破るのが、映画「うんこと死体の復権」(3日からポレポレ東中野ほか全国順次公開中)だ。字面でギョッとするなかれ、普段は忌み嫌われる「鼻つまみもの」をテーマに据えた硬派なドキュメンタリーである。うんこや死体を通じて描かれる自然の循環の輪とは何か。本作で初めてメガホンを握った希代の探検家に「鼻つまみもの」の魅力を聞いた。
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■「お返しの野糞」の土は爽やかな味
──本作は「うんこ出ましたー!」のひと言から始まります。監督自身が林の中でしゃがみ込んで野糞をしたり、その1カ月後に野糞した場所の土を食べたり、衝撃的なシーンが満載です。
野糞してから1週間以内は絶対に食べませんが、だいたい1カ月経つと安心して食べられます。口にしたのは団粒土と言って、ミミズが食べてお腹を通った土。農地に最適な土ですね。映画の中でも言いましたが、食べてみると爽やかな味がしました。
──そもそも、なぜ野糞を?
この作品の主役は、約50年間にわたり野糞をし続けている「糞土師」の伊沢正名さん、玉川上水の生き物のリンクを調査している保全生態学者の高槻成紀さん、死体に群がる虫を描く絵本作家の舘野鴻さんの3人。伊沢さんはもともとキノコやコケ、変形菌などを撮る写真家で、菌類を観察しているうちに「俺は彼らに何をお返ししているか?何もない」ということに気が付いたといいます。その「お返し」が野糞だった。野糞を始めた当初は「病気を蔓延させるんじゃないか」などと非難されていた。「土になるから」と訴えても、証拠を求められる。それで野糞をした場所の掘り返し調査を始めた。約1カ月で土になり、口にしても安心。いい土になるのだということを伊沢さんは確かめたかったわけです。
──なぜ、あえて「うんこと死体」をテーマに据えたのでしょうか。
50年前から探検家として南米アマゾンに通ったり、さまざまな伝統社会を目の当たりにしたりしてきました。そうした暮らしの中でもっとも関心を寄せたのが、都会の住民と彼らの違い、すなわち人間と自然との関係でした。アマゾンの人々は、自然の中で完全な循環の輪の中に入っている。うんこも死体もゴミも全部森に捨て、それが土になり、植物の栄養になり、動物が食べる。そして人が動植物を食べ、またうんこをしたり、ゴミを捨てたり。一方、都会に住んでいる限り、こうした循環の中には入れない。うんこも死体もゴミもすべて焼いてしまって二酸化炭素を出すだけで、まったく役に立たない。そうして「人と自然の関係がどうあるべきか」を考える中で、うんこと死体を執拗に観察し続ける主人公3人の発想に惹かれたから撮る気になったのです。
タヌキや虫の視点で社会を見る
──なるほど。
私は「人が抱く評価」について、すごく不満を持っています。例えば、ハエやウジは親子で嫌われものですが、ハエは花の受粉の役に立っているし、ウジはうんこも死体も食べ尽くしてくれる。人間から見れば嫌われもののチャンピオンだけど、自然界では役に立つチャンピオンでもある。これは人間同士の評価でも同じです。ゴミ収集や介護など誰かがやってくれないと困る仕事がもっとも評価されるべきなのに、モニター上の数字を見て、キーボードを叩くだけで億単位のカネを稼ぐ仕事が世間的に評価されて、なおかつ経済的に豊かでもある。おかしいんじゃないの? って思います。
──人間と自然の関係性を考えるにあたって、都内を流れる玉川上水も取り上げていますね。
そもそものキッカケは、保全生態学者の高槻さんと玉川上水の自然観察会をしたからです。彼は玉川上水を見て、都会の自然の割によく残っていると思っていた。ひと口に玉川上水といっても、いろんな動植物がいますから、焦点を絞るために興味を抱いていたタヌキを中心に据えた。彼は特に絶滅危惧種ばかりを調査する傾向に反発を抱いていたんですね。タヌキは漢字で「けもの偏に里」と書く。文字通り里に生きる身近な生き物です。タヌキは同じ場所でうんこをする「溜めフン」の習性があり、そこに糞虫が寄ってきたり、鳥が集まったり、フンの中の種子から芽が出てきて大木になったりするのです。
──都会の自然にも循環があるのですね。
高槻さんいわく、玉川上水にどんな生き物がいるかは大体わかっているけれども、どうつながっているかという「リンク」はまだまだ判明していない。そうして彼は、うんこや死体を食べるシデムシのような鼻つまみものに興味を抱いていった。私は経済の序列で末端にいるアマゾンの先住民と付き合い、国内ではマタギやアイヌと交流してきました。マイノリティーに近づいた視点から自分自身や現代社会を見ることができるのであれば、タヌキや虫の視点で社会を見ることもできるのではないかと思ったのです。「せめて人間同士は仲良くしよう」という人間中心主義だけに立脚してはいけないな、と。
──人間以外の生き物の視点ですか。
アマゾンが典型的ですが、人間は自然が存在しないと生きていけないのは明らかですよね。塩と添加物以外、食べ物はすべて生き物、すなわち命を食べて生きているわけですから。自然を搾取して生きているのに、あまりに人間中心に物事を見過ぎていないか。少しは他の生き物にも気を留めたらどうかと思うわけです。自然は人間がいなくても生き物同士がつながっていて生きていけるし、むしろ人間がいない方が都合がいい。生き物の歴史とは絶滅の歴史です。5回も大きな絶滅があって、最後の5回目(ビッグファイブ)で恐竜が滅んだ。ビッグファイブまで原因は天変地異ですが、今起きているビッグシックスは人間の仕業です。すみかを奪ったり、外来種を移入したり、北極の氷を解かしたり、人間がいなければ起こり得なかったことでしょう。
■ルーツ探りで知った「当たり前の大切さ
──昨今、SDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれています。
SDGsは開発ありき、つまり経済優先を変えないということ。開発・経済優先の被害者こそ、自然環境と他の生き物たちです。原発事故の被害にあった人と同じく、生き物も困っています。
──監督は東京郊外の森の中で定期的に7~10日の間、徒手空拳で寝泊まりされているそうですね。作品の最終盤、森の中で「シンプルな暮らしの中に、忘れてしまった大切なものがあると思う」と指摘されています。
1993年から2002年まで約10年をかけて南米からアフリカまで人類の足跡を遡行する旅(グレートジャーニー)をしました。最後、タンザニアに到着して「何か思うことはあるか」と問われた際、「当たり前のことが大切だ」と答えたのを覚えています。あるポーランド人にシベリアで出会ったことがキッカケでした。
──どういうことでしょうか。
出会った当時、彼は81歳だったかな。戦時中にポーランド人という理由でスパイ罪を着せられ、シベリアの強制収容所に送られた。マイナス50~60度に達する過酷な環境に連れて来られ、粗末な住居で十分な栄養も与えられずにコキ使われていたわけですから、さすがに人間嫌いになっていると思いました。ところが、悲愴さを感じさせない、にこやかな方でした。戦後のスターリン時代が終わりを迎え、空の色も雲の形も違って見えるほどの解放感を味わったらしいのですが、過去を振り返って彼は「私の人生はラッキーだった」と言うのです。捕まった時に奥さんと1歳の子供がおり、20代の青春を奪われたにもかかわらずです。
──予想外の答えです。
ラッキーと言われた時はピンとこなかったのですが、ふと、彼は「当たり前」の大切さを噛みしめているのではないかと思いました。家族と一緒にいられるとか、好きな場所に住めるとか、好きな仕事ができるとか、あらゆる自由を封じられた。当たり前のことを全部奪われてきた。だからこそ、当たり前のことがいかに大切かを人一倍、理解していたのではないか。
──当たり前が当たり前でなくなる怖さを知っているのでしょうね。
日本だと好きなところに住めるし、家族と一緒にいられるし、最近怪しくなってきたけど好きなことも言える。ただ、いつ変わってしまうかわからない。日本人全体の問題であり、自分たちの手で当たり前を守っていかなければならない。自然環境も同じです。
(聞き手=高月太樹/日刊ゲンダイ)
▽関野吉晴(せきの・よしはる)1949年、東京都生まれ。一橋大法学部、横浜市立大医学部卒。一橋大在学中に探検部創設。アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。93年南米からアフリカを遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。2002年タンザニアにゴール。その後、日本人のルーツを3つのルートでたどった「新グレートジャーニー」(04~11年)を敢行。現在は武蔵野美大名誉教授(文化人類学)。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/探検家-関野吉晴さん-映画-うんこと死体の復権-を監督-鼻つまみもの-を観察する3人に魅了された/ar-AA1oGht3?ocid=BingNewsVerp