先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

【特集】直木賞作家 桜木紫乃さん アイヌの人たちを描く

2024-08-14 | アイヌ民族関連

NHK08月13日 18時46分

特集は、直木賞作家の桜木紫乃さんの新刊について。地元・北海道を舞台にした作品を手がけてきた桜木さんは、今回、アイヌの人たちが感じている差別を描きました。桜木さんと主人公のモデルとなった女性に作品への思いを聞きました。
※この特集についてはデータ放送では映像をご覧いただくことができません。
映像はNHKの公式番組配信サービスの「NHKプラス」で放送後1週間、配信しているほか、インターネットのニュースサイト「北海道NEWSWEB」にも掲載しています。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20240813/7000069047.html


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シンヌラッパ厳かに 白老アイヌ碑先祖供養祭【白老】

2024-08-14 | アイヌ民族関連

2024.08.13室蘭民報

先祖に供物をささげる参加者

 第20回白老アイヌ碑先祖供養祭(白老アイヌ協会主催)が10日、高砂町の白老アイヌ民族記念広場で開かれ、会員や来賓らが約80人が、現在の基盤や繁栄を築いた先祖の苦労や偉業をしのんだ。

 供養祭では、シンヌラッパ(先祖供養)を行った。カムイノミで火の神に祈りをささげ、先祖へ供物を贈るイチャルパで先祖の名前を呼び掛けながら食べ物を手向けていた。

 白老アイヌ協会の山丸和幸理事長はあいさつで「これからも一生懸命先祖の文化を伝承しながら、若い人の育成に努めながら頑張っていきたい」と述べた。

 その後の交流会では、アイヌ料理の試食や春採アイヌ古式舞踊釧路リムセ保存会の古式舞踊の披露があった。

 白老アイヌ碑は2005年8月10日にアイヌ民族ゆかりの地である同広場に建立された。

https://hokkaido-nl.jp/article/35014


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インドネシア全土の先住民族の長、カワル・ポルワナス14世カルセル

2024-08-14 | 先住民族関連

VOI 08 Agustus 2024, 15:02 

南カリマンタン民族間家族協会は、ポルワナス14世を支援しています(ドク。特別)。

ジャカルタ - 南カリマンタンの国家間家族協会(Ikasba)は、2024年8月20日から26日までバンジャルマシンで開催されるポルワナス14世の実施への全面的な支持を表明した。

この支援は、2024年8月8日木曜日にPWIカルセルのホールで行われたPWIカルセルの経営陣との会合で、南カリマンタン・イカスバのアリアンシャ・マハディ議長によって伝えられました。

Aliansyah Mahadiは、Ikasbaはポルワナスのイベントを非常に支持しており、このイベントがスムーズに運営されることを望んでいると説明しました。

「ポルワナスの成功にイカスバが関与するPWIカルセルの役割に本当に感謝しています」と彼は言いました。

Aliansyahによると、インドネシア全土から何千人ものジャーナリストが出席するポルワナスの成功のために、イカスバは南カリマンタンに来るPWIの大家族を歓迎し、ホストするためにそのメンバーを動員します。

「南カリマンタンは、さまざまな部族や文化を持つミニチュアヌサンタラです。私たちは、後でポルワナスに出席する兄弟姉妹と友情を築きたいと思っています」と彼は言いました。

PWIカルセルのザイナル・ヘルミー会長は、イカスバからの熱狂的な支援を歓迎した。彼は、イカスバの役割がポルワナス14世の円滑な運営と成功を確実にするために非常に重要であると考えました。

「南カリマンタンがポルワナスの分遣隊にとって良いホストになることを望んでいます」と彼は言いました。

支援の象徴として、PWIカルセルの会長は、ポルワナス14世のマスコットと商品Tシャツをイカスバ・カルセルの会長に引き渡しました。

このイベントに出席したイカスバ経営陣の代表者には、バンジャール、ダヤック、ベタウィ、マドゥラ、ジャワ、アラビア、中国、ボナブル、パプア、南スラウェシの家族の調和など、さまざまな部族が含まれていました。

The English, Chinese, Japanese, Arabic, and French versions are automatically generated by the AI. So there may still be inaccuracies in translating, please always see Indonesian as our main language. (system supported by DigitalSiber.id)

https://voi.id/ja/sports/405967


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銅の輪を腕やふくらはぎに巻く最後の〝リング・レディー〟たち マレーシアの少数民族の装い、公立教育に禁止され…消える伝統

2024-08-14 | 先住民族関連

ZAKZAK 2024.8/13 11:00

サラワク州はマレー半島部と違い、マレー系が少数派だ。世界有数の雨量があるボルネオ島中心部から幾重もの川が南シナ海に注ぎ、多様な先住民族が暮らしてきた。ただ、近年は豊富な水資源を当てにしたダム建設や、アブラヤシ畑のための森林伐採が進み、人々の暮らしに影響している。

シンガイさんが住むのは200人ほどの集落だが、もともとは車が走れる道路がない山中に村があった。2013年にダム開発に伴い、政府の開発した地に移住。「ここは土が乾いている。山の中ではドリアンがたくさん取れ、食べ物に困ることはなかった」と懐かしむ。

集落から離れた見晴らしのよい丘に竹の小屋があった。シンガイさんの友人タウド・ルハンさん(78)が「集落はうるさくて、時々ここに来て休む」と自力で建てた。タウドさんは集落で輪を作ることができる最後の1人だ。「いずれ誰もいなくなる。伝統も消えるだろう」(共同)

https://www.zakzak.co.jp/article/20240813-2P5UZRUPQRIWXMDCHJTDNHRSMI/2/


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マイクロソフト、3Degrees支援プロジェクトから8万トン超の炭素除去クレジット購入。生息地保護や地域社会支援効果も

2024-08-14 | 先住民族関連

HEDGE GUIDE 2024.08.13

米マイクロソフトは7月29日、気候変動ソリューションを提供する3Degreesがファシリテート(支援)する脱炭素プロジェクトBlue Creek Forest Projectから、8万トンを超える炭素除去クレジット(CDR)を購入すると発表した(*1)。

同プロジェクトは、非営利の自然保護団体Western Rivers Conservancy(WRC)が、カリフォルニア州北部のBlue Creekに47,097エーカー(約1.9億平方メートル)の土地を購入、管理する。

北米の森林の炭素蓄積量を増やすだけでなく、鮭(サケ)の生息地を保護し、先住民のユロック族への土地を返還するというベネフィットももたらす。WRCはクレジット売却に伴う収入を活用し、ユロック族の先祖伝来の土地を購入し、部族に寄付することができる。

現在、約15,000エーカーの土地はサケの生息地として保護している。Blue Creek下流全体を保護することで、クラマス川の冷水域に生息するサケやスチールヘッドを守り、クラマス水系を健全な状態で維持できるようにする。

さらに同プロジェクトは、マダラウミスズメ、北米アオバズク、カリフォルニアコンドル、フンボルトテンなど、絶滅の危機に瀕した希少動物の生息地も提供する。

今回のクレジット購入は、マイクロソフトの短期的な気候変動目標と、高い完全性基準を満たす炭素除去プロジェクト支援というコミットメントを後押しするものである。

3Degreesのビジネス・パートナーシップ担当アソシエイト・ディレクターを務めるジェニファー・コーン氏は「マイクロソフトによるBlue Creek Improved Forest Management Projectへの投資は、インパクトのある炭素除去へのコミットメントを強調するものだ。同プロジェクトは、重要な生息地を保護するだけでなく、持続可能な土地管理を通じて地域社会を支援するものである」と述べた(*1)。

3Degreesは、世界をリードする気候ソリューション・プロバイダーであり、B Corp(#1)でもある。世界の有力企業フォーチュン500に入るグローバル企業や公益企業などが気候変動目標を達成し、排出量に対処できるよう、クリーンエネルギーと脱炭素ソリューションを提供している。

同社のチームは、グローバルな環境商品、再生可能エネルギーの開発、サプライチェーンの脱炭素化など、スコープ1~3の排出に係る気候変動戦略および実施に専門性を有する。

3Degreesによると、同社は米国初の自主的なコミュニティソーラー(#2)プログラムの立ち上げを支援したほか、米国初の自主的な再エネ発電証書(REC)のオプション取引を行った。米国で最も早い時期に再生可能天然ガス(RNG)取引も実施している。

(#1)B Corp…社会や公益のための事業を行っている企業に発行される国際的な民間認証制度。

(#2)コミュニティソーラー…米国各州で設けられる分散型太陽光発電導入支援制度に基づき、主に民間事業者により設置・運営される太陽光発電設備。

【参照記事】*1 3Degrees「3Degrees Facilitates Over 80,000 Metric Ton Carbon Removal Purchase for Microsoft From Western Rivers Conservancy’s Blue Creek Forest Project

https://hedge.guide/news/3degrees-202408.html


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もうこの人たちには任せておけない…人類学を救うために立ち上がった男の「譲れないアンチテーゼ」

2024-08-14 | 先住民族関連

講談社  2024.08.13  奥野克巳

「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

「あなたがた、それでいいんですか?」

人間は単一的で直進的な進化の家庭にあるとする進化主義的な説を唱えた19世紀の人類学者たちに対して、「あなたたちはぬくぬくとした部屋で資料を読み漁り、頭の中でしか人間を知ろうとしていない。それでは本当の『生』の理解には辿り着かない。研究室を飛び出し、人間にまみれてこそ研究を深めるべきだ」と不満を覚える若い人類学者たちが現れました。彼ら20世紀の人類学者たちは、フィールドワークに基づく新しい人類学を推進していったのです。上の世代に対してこのままではいけないと危機感を募らせる若者が、自分たちの熱意によって世界を切り拓く。それはどの時代や分野にでも起きることなのでしょう。

そして、その立役者こそが前出のマリノフスキでした。彼が構想した人類学は、人間の「実際の生」(actual life)を直に観察し、生の全体性を描き上げようとするものだったのです。マリノフスキに関しては『はじめての人類学』2章に譲り、ここでは前段階として20世紀前半の人類学に大きな影響を及ぼしたデュルケーム社会学に触れておきたいと思います。ポイントは、「集合表象」と「機能」という考え方です。このデュルケーム学説は、次章以降の布石にもなります。

エミール・デュルケームは、『社会学的方法の規準』(1895年)の中で、そもそも社会学が研究対象にすべきなのは、個人の性質、選択、選好を超えたところにある「社会的事実」だと断じます。その上で、集団の中で個人を拘束するものを「集合表象」と呼び、社会学的分析の中心に位置づけました。

たとえば、ある集団の人たちが太陽を神として崇めるのは、その社会で「太陽は神だ」という価値観が共有されているからです。彼らは個人という存在を飛び越え、その価値観を受け入れています。つまり、彼らは集団の中に共有されている「集合表象」に従っているのです。

安楽椅子を飛び出して

「集合表象」は、未開社会と文明社会のどちらにも区別なく存在しています。デュルケームは、それらを比較研究することで、人間社会の特質を探り出すことができると考えたのです。彼は当時入手可能だったオーストラリアや北米の先住民社会の民族誌文献を活用しながら、宗教や儀礼に関して考察分析を進めました。

彼はまた、『社会分業論』(1893年)の中で、分業の進んだ近代社会において、異なる暮らし方をする人たちが「有機的連帯」によってひとつの社会をつくり上げるさまを描き出しています。デュルケームは社会のあらゆる現象や事柄が互いに働き合う、つまり「機能」することで社会という全体がつくり上げられていると考えたのです。

そうしたデュルケームの考え方は、「未開社会」での長期フィールドワークをつうじて人間社会の制度や慣習を分析しようとするマリノフスキの人類学につながっていきました。マリノフスキはデュルケーム社会学を継承しつつ、制度や慣習の機能を文化や社会との関連において解明することを重視したのです。マリノフスキの研究はその後、「機能主義」人類学と呼ばれるようになりました。

15世紀以降、西洋文化が「外部」の世界と接触することで、少しずつ人類学が生まれる土壌が形成されていきました。17世紀から18世紀に入るとホッブズやルソー、モンテスキューが、人間存在とは何か、人間社会とは何かを深く考察しました。そして19世紀に入るとダーウィンの生物進化論と軌を一にして、モーガンやタイラー、フレイザーが進化論的な人類学を発展させていったのです。

ですが、19世紀の人類学者たちの仕事場はあくまで書斎であり、安楽椅子に座ったままの研究に過ぎませんでした。人の「生」をありのまま捉えるには、書斎を飛び出して現地に飛び込まなければいけない。そう考えて西太平洋でのフィールドワークに乗り出したのがマリノフスキだったのです。そしてそれは、人類学にとっての新たな挑戦を意味していました。マリノフスキは、デュルケームの機能主義を携えて、新時代の人類学を切り開いていったのです。

これで準備は整いました。以降の『はじめての人類学』では、人類学に大きなパラダイムシフトを起こした学者たちに登場してもらい、その足跡を辿っていきましょう。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

https://gendai.media/articles/-/135493?imp=0


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動画:沈没船「サンホセ号」 ロボット調査で新たに遺物確認 コロンビア

2024-08-14 | 先住民族関連

AFP BBNews 2024年8月13日 10:30 発信地:ボゴタ/コロンビア [ コロンビア 中南米 ]

【8月13日 AFP】南米コロンビア政府は18世紀初頭に同国沖で沈没したスペインのガレオン船「サンホセ(San Jose)号」でのロボットを使った初の調査を行い、新しい遺物を確認したと今月8日に発表した。

 サンホセ号の積み荷には数十億ドル相当の価値があるとされており、2015年にカリブ海(Caribbean Sea)で発見されて以来、その正確な位置は公開されていない。

 コロンビア政府は2月、サンホセ号からの遺物回収を開始すると発表。複数の機関が参加する調査チームによると、潜水ロボットによる調査は5月23日~6月1日に行われた。

 調査チームは「これまで分からなかった考古学的な発見が複数あった」とし、「2022年の調査でも船周辺での考古学的遺物の集中が確認されているが、直近の探査では、これらの集積物をより詳細に調べることができた」と述べた。

 今回の調査では、船のいかりの他、つぼ、ガラス瓶などの積み荷の一部が確認された。

 当時、サンホセ号の所有者はスペイン王室だった。1708年に本国に戻る途中、カルタヘナ(Cartagena)近海で、英海軍により沈められた。約600人いた乗員のうち、助かったのは一握りだけだった。

 スペインは国連(UN)の条約に基づき、船と積み荷に対する権利を主張しているが、コロンビアはこの条約に加盟していない。また、ボリビアの先住民カラカラ(Qhara Qhara)人は船の財宝は先住民から盗まれたものであると主張している。

 グスタボ・ペトロ(Gustavo Petro)政権は科学的、文化的研究のためにサンホセ号を引き揚げると主張している。

 映像は9日提供。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3533679


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日本統治下だった戦前の台湾を描いた画家・塩月桃甫と作家・中村地平「国の考えに染まらず芸術的、中立的」

2024-08-14 | 先住民族関連

読売新聞 8/13(火) 13:46

左から塩月桃甫(塩月家提供)、中村地平(宮崎県立図書館提供)

 ともに宮崎県出身で、日本統治下だった戦前の台湾にゆかりのある画家・塩月桃甫(1886~1954年)と、作家・中村地平(1908~63年)をそれぞれ取り上げたドキュメンタリー映画が、16日から台湾・桃園市で開かれる国際映画祭で招待作品として上映される。台湾企業の熊本進出などで九州と台湾の結びつきが強まる中、監督を務めた宮崎市の美術家、小松孝英さん(44)は「戦前に台湾とつながり、現地で活躍した日本人がいたことを、広く知ってほしい」と話している。(佐々木浩人)

【写真】台湾で上映される自作のドキュメンタリー映画について語る小松さん(7月27日、福岡市中央区で)

 小松さんは海外でこれまでに、台湾など約10の国と地域で個展を開いたり、アートフェスタに参加したりしてきた。近代史に興味があり、台湾では今も残る日本統治時代の建物を巡るなどしてきた。その中で、35歳で美術教師として台湾に渡り、旧制台北高校で教えるなど台湾美術界に貢献した塩月が宮崎県出身だと知った。

 塩月について調べるうちに中村との関わりも分かった。中村は旧制宮崎中学校から旧制台北高校に進学し、塩月の教え子だった。戦前、作家の井伏鱒二に師事し、明るさやおおらかさを基調とする「南方文学」を提唱。戦後は宮崎県立図書館長や宮崎相互銀行(現在の宮崎太陽銀行)社長として、地域の文化と経済の発展に努めた。

 小松さんは、2人の生涯を多くの人に理解してもらうために映像化を企画した。一人でスポンサー集めから始め、教え子や研究者を訪ねて撮影を重ねた。塩月の作品は2021年、中村の作品は今年3月に国内で公開された。2本の映画はいずれも80分。

 塩月の映画では、小松さんが宮崎県内の骨董店で塩月の作品と偶然出会ったことを織り交ぜ、台湾での活動や、戦後も美術家としての自由を貫いたことを紹介している。

 中村の映画では、戦前から芥川賞候補になるなど著名な作家だったが、従軍作家となった経験から戦争に対して苦悩し、戦後は故郷でリーダーシップを発揮したことなどを取り上げた。

 小松さんは2人について、当時の台湾が日本統治下で同化政策が進む中、塩月は先住民の色彩豊かな衣装や文化、暮らしていた風土に魅せられて作品に残し、中村も先住民が武装蜂起した事件を題材にした小説「霧の蕃社」を書いた点に注目する。「国の考えに染まらず、芸術的、中立的な視点を持ちながら現地を見つめていた。100年前からすでに多様性の人だった」と語る。

 映画祭は16日から29日まで開かれ、小松さんは舞台あいさつを行う予定だ。「映画を通じて、2人が戦前の台湾をどのように見ていたのかを知ってほしい」と意欲を見せている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0749da7daf2875351da797a6513e019421cd4e0?page=1


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探検家・関野吉晴さん 映画「うんこと死体の復権」を監督「“鼻つまみもの”を観察する3人に魅了された」

2024-08-14 | 先住民族関連

日刊ゲンダイ8/13(火) 

【注目の人 直撃インタビュー】

関野吉晴(探検家)

うんこは流し、死体は焼くものである──。そんな“常識”を打ち破るのが、映画「うんこと死体の復権」(3日からポレポレ東中野ほか全国順次公開中)だ。字面でギョッとするなかれ、普段は忌み嫌われる「鼻つまみもの」をテーマに据えた硬派なドキュメンタリーである。うんこや死体を通じて描かれる自然の循環の輪とは何か。本作で初めてメガホンを握った希代の探検家に「鼻つまみもの」の魅力を聞いた。

◇ ◇ ◇

■「お返しの野糞」の土は爽やかな味

──本作は「うんこ出ましたー!」のひと言から始まります。監督自身が林の中でしゃがみ込んで野糞をしたり、その1カ月後に野糞した場所の土を食べたり、衝撃的なシーンが満載です。

野糞してから1週間以内は絶対に食べませんが、だいたい1カ月経つと安心して食べられます。口にしたのは団粒土と言って、ミミズが食べてお腹を通った土。農地に最適な土ですね。映画の中でも言いましたが、食べてみると爽やかな味がしました。

──そもそも、なぜ野糞を?

この作品の主役は、約50年間にわたり野糞をし続けている「糞土師」の伊沢正名さん、玉川上水の生き物のリンクを調査している保全生態学者の高槻成紀さん、死体に群がる虫を描く絵本作家の舘野鴻さんの3人。伊沢さんはもともとキノコやコケ、変形菌などを撮る写真家で、菌類を観察しているうちに「俺は彼らに何をお返ししているか?何もない」ということに気が付いたといいます。その「お返し」が野糞だった。野糞を始めた当初は「病気を蔓延させるんじゃないか」などと非難されていた。「土になるから」と訴えても、証拠を求められる。それで野糞をした場所の掘り返し調査を始めた。約1カ月で土になり、口にしても安心。いい土になるのだということを伊沢さんは確かめたかったわけです。

──なぜ、あえて「うんこと死体」をテーマに据えたのでしょうか。

50年前から探検家として南米アマゾンに通ったり、さまざまな伝統社会を目の当たりにしたりしてきました。そうした暮らしの中でもっとも関心を寄せたのが、都会の住民と彼らの違い、すなわち人間と自然との関係でした。アマゾンの人々は、自然の中で完全な循環の輪の中に入っている。うんこも死体もゴミも全部森に捨て、それが土になり、植物の栄養になり、動物が食べる。そして人が動植物を食べ、またうんこをしたり、ゴミを捨てたり。一方、都会に住んでいる限り、こうした循環の中には入れない。うんこも死体もゴミもすべて焼いてしまって二酸化炭素を出すだけで、まったく役に立たない。そうして「人と自然の関係がどうあるべきか」を考える中で、うんこと死体を執拗に観察し続ける主人公3人の発想に惹かれたから撮る気になったのです。

タヌキや虫の視点で社会を見る

──なるほど。

私は「人が抱く評価」について、すごく不満を持っています。例えば、ハエやウジは親子で嫌われものですが、ハエは花の受粉の役に立っているし、ウジはうんこも死体も食べ尽くしてくれる。人間から見れば嫌われもののチャンピオンだけど、自然界では役に立つチャンピオンでもある。これは人間同士の評価でも同じです。ゴミ収集や介護など誰かがやってくれないと困る仕事がもっとも評価されるべきなのに、モニター上の数字を見て、キーボードを叩くだけで億単位のカネを稼ぐ仕事が世間的に評価されて、なおかつ経済的に豊かでもある。おかしいんじゃないの? って思います。

──人間と自然の関係性を考えるにあたって、都内を流れる玉川上水も取り上げていますね。

そもそものキッカケは、保全生態学者の高槻さんと玉川上水の自然観察会をしたからです。彼は玉川上水を見て、都会の自然の割によく残っていると思っていた。ひと口に玉川上水といっても、いろんな動植物がいますから、焦点を絞るために興味を抱いていたタヌキを中心に据えた。彼は特に絶滅危惧種ばかりを調査する傾向に反発を抱いていたんですね。タヌキは漢字で「けもの偏に里」と書く。文字通り里に生きる身近な生き物です。タヌキは同じ場所でうんこをする「溜めフン」の習性があり、そこに糞虫が寄ってきたり、鳥が集まったり、フンの中の種子から芽が出てきて大木になったりするのです。

──都会の自然にも循環があるのですね。

高槻さんいわく、玉川上水にどんな生き物がいるかは大体わかっているけれども、どうつながっているかという「リンク」はまだまだ判明していない。そうして彼は、うんこや死体を食べるシデムシのような鼻つまみものに興味を抱いていった。私は経済の序列で末端にいるアマゾンの先住民と付き合い、国内ではマタギやアイヌと交流してきました。マイノリティーに近づいた視点から自分自身や現代社会を見ることができるのであれば、タヌキや虫の視点で社会を見ることもできるのではないかと思ったのです。「せめて人間同士は仲良くしよう」という人間中心主義だけに立脚してはいけないな、と。

──人間以外の生き物の視点ですか。

アマゾンが典型的ですが、人間は自然が存在しないと生きていけないのは明らかですよね。塩と添加物以外、食べ物はすべて生き物、すなわち命を食べて生きているわけですから。自然を搾取して生きているのに、あまりに人間中心に物事を見過ぎていないか。少しは他の生き物にも気を留めたらどうかと思うわけです。自然は人間がいなくても生き物同士がつながっていて生きていけるし、むしろ人間がいない方が都合がいい。生き物の歴史とは絶滅の歴史です。5回も大きな絶滅があって、最後の5回目(ビッグファイブ)で恐竜が滅んだ。ビッグファイブまで原因は天変地異ですが、今起きているビッグシックスは人間の仕業です。すみかを奪ったり、外来種を移入したり、北極の氷を解かしたり、人間がいなければ起こり得なかったことでしょう。

■ルーツ探りで知った「当たり前の大切さ

──昨今、SDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれています。

SDGsは開発ありき、つまり経済優先を変えないということ。開発・経済優先の被害者こそ、自然環境と他の生き物たちです。原発事故の被害にあった人と同じく、生き物も困っています。

──監督は東京郊外の森の中で定期的に7~10日の間、徒手空拳で寝泊まりされているそうですね。作品の最終盤、森の中で「シンプルな暮らしの中に、忘れてしまった大切なものがあると思う」と指摘されています。

1993年から2002年まで約10年をかけて南米からアフリカまで人類の足跡を遡行する旅(グレートジャーニー)をしました。最後、タンザニアに到着して「何か思うことはあるか」と問われた際、「当たり前のことが大切だ」と答えたのを覚えています。あるポーランド人にシベリアで出会ったことがキッカケでした。

──どういうことでしょうか。

出会った当時、彼は81歳だったかな。戦時中にポーランド人という理由でスパイ罪を着せられ、シベリアの強制収容所に送られた。マイナス50~60度に達する過酷な環境に連れて来られ、粗末な住居で十分な栄養も与えられずにコキ使われていたわけですから、さすがに人間嫌いになっていると思いました。ところが、悲愴さを感じさせない、にこやかな方でした。戦後のスターリン時代が終わりを迎え、空の色も雲の形も違って見えるほどの解放感を味わったらしいのですが、過去を振り返って彼は「私の人生はラッキーだった」と言うのです。捕まった時に奥さんと1歳の子供がおり、20代の青春を奪われたにもかかわらずです。

──予想外の答えです。

ラッキーと言われた時はピンとこなかったのですが、ふと、彼は「当たり前」の大切さを噛みしめているのではないかと思いました。家族と一緒にいられるとか、好きな場所に住めるとか、好きな仕事ができるとか、あらゆる自由を封じられた。当たり前のことを全部奪われてきた。だからこそ、当たり前のことがいかに大切かを人一倍、理解していたのではないか。

──当たり前が当たり前でなくなる怖さを知っているのでしょうね。

日本だと好きなところに住めるし、家族と一緒にいられるし、最近怪しくなってきたけど好きなことも言える。ただ、いつ変わってしまうかわからない。日本人全体の問題であり、自分たちの手で当たり前を守っていかなければならない。自然環境も同じです。

(聞き手=高月太樹/日刊ゲンダイ)

▽関野吉晴(せきの・よしはる)1949年、東京都生まれ。一橋大法学部、横浜市立大医学部卒。一橋大在学中に探検部創設。アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。93年南米からアフリカを遡行する旅「グレートジャーニー」を開始。2002年タンザニアにゴール。その後、日本人のルーツを3つのルートでたどった「新グレートジャーニー」(04~11年)を敢行。現在は武蔵野美大名誉教授(文化人類学)。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/探検家-関野吉晴さん-映画-うんこと死体の復権-を監督-鼻つまみもの-を観察する3人に魅了された/ar-AA1oGht3?ocid=BingNewsVerp


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【マレーシア】24年4~6月総人口、2%増の3410万人[社会]

2024-08-14 | 先住民族関連

NNA8/13(火) 

マレーシア統計局が13日発表した2024年第2四半期(4~6月)の人口統計によると、国内の総人口は前年同期比1.9%増の3,410万人だった。

総人口のうち、90.0%に当たる3,070万人がマレーシア国籍。外国籍は10.0%の340万人だった。

男女別人口は、男性が1,790万人、女性が1,620万人だった。年代別では、0~14歳が760万人、15~64歳が2,390万人、65歳以上が260万人。

民族別では、マレー系が58.1%の1,780万人で最多。次いで、華人系が690万人(全体の22.4%)、その他ブミプトラ(先住民)が380万人(同12.3%)、インド系が200万人(同6.5%)などとなっている。

州別人口は、スランゴール州が736万3,400人で最多。ジョホール州が418万6,300人、サバ州が374万2,200人で続いた。

24年4~6月の出生数は、前年同期比10.2%減の10万732人。普通出生率(CBR)は3.0。死者数は5.4%減の4万8,460人だった。普通死亡率(CDR)は1.4だった。

https://www.msn.com/ja-jp/money/other/マレーシア-24年4-6月総人口--増の3410万人-社会/ar-AA1oJxoE?ocid=BingNewsVerp


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国立台湾博物館で、台湾の歴史の歩みを辿る

2024-08-14 | 先住民族関連

NEWS SALT 2024.08.13 山本 賢一 

台北市内の国立台湾博物館は、日本統治時代の1908年に設立された台湾最古の博物館だ。二二八平和記念公園に隣接する本館と、通りを挟んだ向かいにある古生物館、中正紀念堂に近い南門パークにある南門館、北門駅近くの鉄道部パークの4館で構成されている。これらのうち本館と古生物館を紹介する。

本館は元々、第4代台湾総督だった児玉源太郎と、第3代民政長官だった後藤新平の功績を記念する「児玉総督及後藤民政長官記念博物館」として建設された。工事の完了と共に台湾総督府に寄付され、台湾の産業と自然を紹介する「台湾総督府博物館」として開館した。このため、本館正面を入った吹き抜けホールの天井にあるステンドグラスには、児玉家と後藤家の家紋を組み合わせた図案が使われ、2人の銅像が1階ロビーに置かれていた。戦後、国民政府はこの2体の銅像を撤去したが、設立100周年を機に3階に展示され現在に至っている。

現在、本館の常設展示は「台湾発見」と題して、台湾の自然界が現代の自然史によってどのように「発見」されたかが示されている。まず、台湾という島が600万年前にどうできたのか、そして多様な固有の生物が存在していることを示している。ここで高海抜動物にカラスが展示されており、都市部にはカラスがいないというのは興味深い。その後に歴史上、台湾がどう認識されてきたのかが示されており、台湾人について想像で描かれたために、実際には地面に座っていたのが椅子に座って描かれている様子なども展示されている。「神霊世界」と書かれたエリアには先住民の信仰観などの展示もあり、奥には1939年に神戸で作られた当時の日本領土のさまざまな民族の姿を模した人形の展示もある。

「神霊世界」の展示

一方、古生物館は1933年に日本銀行台北支店として建設された建物を利用している。戦後は台湾土地銀行の本店として使われ、2005年に台湾博物館が史跡の修復とその後の運営管理を担当することになり、「自然金融史博物館」として位置づけられた。2008年に始まった修復プロジェクトでは、特徴的な鉄骨鉄筋コンクリート構造や石洗浄・吊り下げ工法が採用され、天井付近の石膏レリーフなども修復された。

古生物館の常設展示は「古生物展」として、生物がこれまで5回の大量絶滅を経験しており、化石を通して生命の進化の足跡をたどる形になっている。柱のない天井の高い日本銀行時代の営業スペースに、巨大な恐竜の骨格標本が並んでいる。奥には「召喚史前巨獣」と書かれた大型ディスプレイがあり、二次元コードをスマートフォンで読み込むとディスプレイ上にいくつかの恐竜を召喚することができる。

日本と関わりの深い台湾が、どのような人類史・自然史を歩んできたのか、ダイナミックに学ぶことのできる博物館だ。

国立台湾博物館 公式ホームページ

https://www.newssalt.com/37865


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