先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

差別禁止法を求めるシンポジウム

2024-08-04 | アイヌ民族関連

日本海新聞 2024年08月04日

 差別禁止法を求めるシンポジウム(同実行委員会主催)が4日、鳥取市のとりぎん文化会館で開かれる。アイヌ女性団体「メノコモシモシ」代表の多原良子さんを迎え、法整備の必要性を話し合う。午後1時半から。
 部落解放同盟鳥取県連合会副委員長の坂根政代さん、在日本大韓民国民団鳥取県地方本部常任顧問の薛幸夫(ソルヘンブ)さん、近畿大名誉教授の奥田均さんも登壇し、「いま、なぜ差別禁止法なのか。悪質な差別言動の実際と当事者の声」をテーマに議論する。
 アイヌ民族を巡っては、札幌法務局が昨年、自民党の杉田水脈衆院議員の言動を人権侵犯認定した。

会場

とりぎん文化会館

料金・入場料

参加無料

https://www.nnn.co.jp/ud/event/66adbbacb5762270ad000001


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新・炉辺の風おと/144 もっと豊かに/3=梨木香歩

2024-08-04 | 先住民族関連

毎日新聞2024/8/4 05:00(最終更新 8/4 05:00) 有料記事 1405文字

 近所の道路に、ときどきタマムシの片羽が落ちている。

 私は南九州で生まれ育ったが、その当時でもタマムシを見たのは一度だけ。関西では皆無。東京に来てからの方がけっこう見ているのは不思議だ。近くには木々の多い公園や保護樹林などがあるが、ごく普通の住宅街である。ただ、エノキは私の庭を含め、比較的近隣に多い。以前、タマムシの生命活動にエノキが大きく関与しており、タマムシがなかなか見られないのは普段エノキの上空高くを飛んでいるからだというような論文を読んだことがあったが、そうなのかもしれない。よくわからない。タマムシにはメタリックな光沢があり、手のひらに載せて角度をいろいろにしてみると緑色を基調とし虹色めいて光るところがほんとうにうつくしい。流行や時代など無縁のところにある、有無をいわさぬうつくしさだ。玉虫厨子(たまむしのずし)などというものを思いついた古代の人も、そのうつくしさに打たれたのだろう。「いっしょだ」と思うその感覚を手がかり足がかりにして、古代の空気に半身を差し込み、様子を見てもう半身を回り込ませたら、すでにそこは神話の世界だ。

『ツンドラの記憶――エスキモーに伝わる古事(ふること)』(八木清編訳・写真、閑人堂)に収録されている小話はアラスカやグリーンランドに住むイヌイットから採集されている。・・・・・・・・

(サンデー毎日8月11日号掲載)

 

https://mainichi.jp/sunday/articles/20240729/org/00m/040/006000d


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<白老>白老の特産品使ったレシピ寄せて ヌウエン・ティ・ヒエンさん(38)

2024-08-04 | アイヌ民族関連

武内敦貴 有料記事

北海道新聞2024年8月3日 9:50

ヌウエン・ティ・ヒエンさん

 白老観光協会の職員で、来客対応やフェイスブックなどによる情報発信を担う。「白老牛などの特産品や自然を大切にするアイヌ文化はすてき。多くの人に白老へ足を運んでほしい」

 ベトナム出身で大学卒業後、銀行員として働いていたが、夫とともに2016年、来日し室蘭へ移住。得意の語学を生かそうと、18年に同協会の臨時職員になり、今春からは正職員になり白老へ移り住んだ。

 ・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1046597/


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甲子園や南海球団で活躍の岡村俊昭氏、出身地の台湾で脚光 出自の謎解明した伝記出版

2024-08-04 | 先住民族関連

産経新聞2024年8月3日

台湾出身の元プロ野球選手、岡村俊昭氏の伝記の出版にあたり講演する鄭仲嵐さん=7月、台北市(西見由章撮影)© 産経新聞

【台北=西見由章】日本統治時代に台湾から日本本土に渡り甲子園やプロ野球南海で活躍した岡村俊昭氏(1912~96年)の伝記を、台湾のジャーナリストが現地で出版した。謎に包まれていた岡村氏の出自の新事実を発掘した。執筆に協力した日本の研究者は「野球の文化史や日台交流史として意義のある書物だ」と評価している。

伝記は現在、東京在住の鄭仲嵐さん(39)が8年かけて執筆した「岡村俊昭を追って」。岡村氏は39(昭和14)年にプロ野球の南海に入団し、44(同19)年に首位打者となった。49(同24)年に引退後はコーチや2軍監督、スカウトを務めた。

台湾東部、花蓮出身の岡村氏が本土に渡ったきっかけは25(大正14)年、花蓮の先住民の少年で結成した野球チーム「能高団(のうこうだん)」が本州を転戦し、その活躍が野球ファンを沸かせたことだった。京都の平安中(現龍谷大平安高)は能高団の3人を留学生として招き、28(昭和3)年頃には16歳だった岡村氏を呼び寄せた。

だが、台湾では日本統治時代の資料の多くが失われており、岡村氏の台湾時代は謎が多い。鄭さんは京都市に住む岡村氏の家族や南海時代の同僚らを訪ねたが、岡村氏は平安中卒業後、故郷に一度も戻らず、家族にも語っていなかった。手掛かりは1枚の写真だけ。晩年の岡村氏が花蓮の関係者と一緒に写っていた。

父親が花蓮出身の鄭さんは「足を使って調べよう」と決意。現地を訪れて苦労の末、岡村氏の親族を探し当てた。父が中国広東省にルーツを持つ客家、母が先住民のアミ族で「オラム・ファラハン」という民族名があった新事実も判明した。

鄭さんは「謎が解けたときは、野球の神様がいるのかと思った。約100年前に台湾から日本本土に留学し、苦労を乗り越えて野球界で活躍した岡村氏の姿を知ってほしい」と話す。台湾の野球評論家からも「野球界の謎が一つ解けた」などと反響があるという。

執筆に協力した関西大の永井良和教授(大衆文化史)は「当時は外地出身者への差別もあったが、野球は実力の世界で、グラウンドでは差別を超える世界があった。そのことを日本の人たちにも知ってほしい」と話している。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/甲子園や南海球団で活躍の岡村俊昭氏-出身地の台湾で脚光-出自の謎解明した伝記出版/ar-AA1o9lZR


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過去編が大変? 実写『ゴールデンカムイ』今後キャストが気になる「難しい」キャラは

2024-08-04 | アイヌ民族関連

マグミクス 2024年8月3日

「過去編」に登場するキャラのハードルが高い?

 2024年1月19日に公開され原作マンガの高い再現度や迫力のアクションで絶賛された映画『ゴールデンカムイ』(原作:野田サトル)は、続編として全9話のドラマ『連続ドラマW ゴールデンカムイ ―北海道刺青囚人争奪編―』が2024年10月6日からWOWOWで放送されることが決定しています。7月21日に放送日と新キャストも発表され、大きな話題を呼びました。

【画像】え…っ? 「家永やインカラマッが完璧な再現度」「二階堂のヘッドギア姿かわいい」 こちらがドラマ『ゴールデンカムイ』キャスト一覧です

 明治の北海道を舞台に、アイヌが隠した大量の金塊をめぐるサバイバルバトルを描いた同作では、山田杏奈さん演じる「アシリパ」や、玉木宏さん演じる「鶴見中尉」など、キャラクターの再現度が絶賛されました。続編も予告やポスタービジュアルの段階で桜井ユキさん演じる「家永カノ」や、木村知貴さん演じる「仲沢達弥」らさまざまな新キャラの再現度の高さが絶賛されています。

 一方でまだ誰が演じるのか不明なキャラもおり、ファンの期待と不安が高まっているようです。特に人気のイケメン軍人キャラ「鯉登少尉」のキャスト予想が盛り上がっており、中川大志さんや柳楽優弥さん、山田裕貴さんら豪華な俳優の名前が飛び交っていました。

 そのほか、まだキャストが不明な網走監獄を取り仕切る「犬童四郎助」典獄や、鶴見中尉たちに武器を提供する「有坂成蔵」中将、さらに「二階堂浩平(演:柳俊太郎)」の病室に現れる謎の人物、通称「誰なのおじさん」を誰が演じるのか、作中屈指の変態で「実写でカットされても仕方ない」とも言われる刺青囚人「姉畑支遁」が果たして再現されるのかも気になるところです。

 また、そこまで出番は多くないものの、重要かつインパクト大のキャラにも注目が集まっています。特に過去編に登場する人物は、「再現が難しそう」なキャラが多めです。

※この記事では『ゴールデンカムイ』の実写化されていない範囲の物語のネタバレに触れています。

 新キャスト発表で徳井優さんが演じることが分かった贋作師「熊岸長庵」は、精巧な偽札を作った実績があり、さらに彼が描いた「シスター宮沢」の似顔絵は、脱獄王「白石由竹(演:矢本悠馬)」の人生を狂わせるほどの作品でした。

 シスター宮沢は、原作マンガ9巻の白石の過去回想に登場します。かつて、北海道の樺戸集治監で白石は同じ房になった熊岸に、一緒に脱獄したいと言われ、引き換えに「春画」を描いてくれと依頼しました。そこで、熊岸は非常にシンプルな線だけで、キリスト教の教誨に来ていた美しい修道女だという、シスター宮沢の絵を描いて渡します。

 最初は全然美人に見えないと文句を言っていた白石でしたが、いつの間にか似顔絵しか知らない彼女に惚れこんでいました。そして、ひと目会いたいと何度も脱獄を繰り返しては全国の刑務所に入れられ、「脱獄王」と呼ばれるようになったのです。その後、白石が網走監獄でついに見付けたシスター宮沢は、シンプルに見えた熊岸の絵そのままの顔をしていました。

 TVアニメではカットされ、後にOADでだけアニメ化されたエピソードですが、白石が脱獄王と呼ばれるようになったきっかけが分かる話でもあるため、ここも実写化してほしいというファンは多いようです。熊岸がちゃんと実写化される以上、シスター宮沢の登場にも期待が高まります。おそらく特殊メイクが必要なビジュアルの彼女は、誰が演じるのでしょうか。

 また、白石の過去編の直後には、「五稜郭の戦い」の後に長年収監されていた元新選組副長「土方歳三(演:舘ひろし)」と、元二番隊隊長「永倉新八(演:木場勝己)」が年老いてから再会した際のエピソードも描かれました。この場面では樺戸集治監の独居房の扉越しに会話する土方と永倉が若き日の姿に戻る演出もあり、アニメでは若き土方の声を中村悠一さん、永倉の若き日の声を中井和哉さんが演じたことも話題になっています。

 特に若き日の土方はアイヌの「キムシプ」から「爽やかニシパ」と呼ばれる美青年で、この場面の後もたびたび登場しました。ネット上では老土方役の舘さんと釣り合うほどの豪華キャストが期待されているようで、過去に土方を演じた経験のある山本耕史さん(大河ドラマ『新選組!』、連続テレビ小説『あさが来た』、映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』)、町田啓太さん(大河ドラマ『青天を衝け』)、岡田准一さん(映画『燃えよ剣』)などの名前を挙げる声も出ています。

 まだキャストは明かされていないものの、7月21日に公開された予告編では扉越しに会話する永倉と土方の姿が一瞬だけ映されていました。両者の若き日を誰が演じるのか、要注目です。

長谷川さんと勇作殿は誰が演じる?

 そのほか、過去編にだけ登場するキャラでは、「花沢勇作」と「長谷川幸一」を誰が演じるのか、登場した際にどう演出されるのかも気になります。

 花沢勇作は人気キャラ「尾形百之助(演:眞栄田郷敦)」の腹違いの弟であり、尾形の過去回想、さらに彼の脳内で何度も出てくる人物です。勇作は元帝国陸軍第七師団長の「花沢幸次郎」中将とその妻「花沢ヒロ」の息子で、日露戦争の旅順攻略戦にて旗手を務め戦死しました。一方の尾形は花沢中将の妾の息子で、父と弟に屈折した感情を抱いており、彼らに対して恐るべき行為に及んでいたことが明らかになります。

 物語をかき回すジョーカーのような存在の尾形を描くにあたって外せない重要キャラですが、勇作は物語の終盤まで目元が隠れている人物のため、誰が演じるにせよクレジットでもキャストが明かせないことになるかもしれません。ネット上では、兄弟が逆転してしまうことになるものの、勇作役で眞栄田郷敦さんの実兄、新田真剣佑さんの出演を期待する声も多々ありました。このキャスティングだけでもかなりの話題になりそうですが、果たしてどうなるのでしょうか。

 一方の長谷川幸一は『―北海道刺青囚人争奪編―』よりさらに後の登場となりますが、いずれ描かなくてはならない重要キャラです。長谷川はアシリパの父「ウイルク(演:井浦新)」と、彼の過去に深く関わる「キロランケ(演:池内博之)」「ソフィア」が、かつてロシアのウラジオストクで世話になった写真館の経営者でした。彼は1881年のロシア皇帝爆殺事件の犯人として追われる身だったウイルクたちに、親切に日本語を教えてくれます。

 しかし、あるときロシアの秘密警察が写真館を襲ってきました。彼らはウイルクたちを追って来たのかと思いきや、実は日本軍のスパイであった長谷川を捕まえに来たのです。そして写真館にて銃撃戦が起き、長谷川の妻「フィーナ」と娘の「オリガ」が銃弾に貫かれ死亡してしまいます。キロランケの回想では妻子が死んだ長谷川の元を離れたところで終わりますが、その後、長谷川幸一は偽名で彼が若き日の「鶴見篤四郎(鶴見中尉)」であったことが明かされました。

 アニメでは、鶴見中尉役の大塚芳忠さんに声が似ている中野泰佑さんが声を変えて長谷川を演じ、正体を明かすところだけ大塚さんに似た地声を発するという演出になっています。実写ではこの過去回想の場面をどうするのか、気になるところです。

 ネット上では玉木さん以外の俳優が長谷川を演じ、最後に玉木さんの声をかぶせるという演出になるという予想もあれば、そのまま玉木さんが演じる長谷川を見たいという意見もありました。原作ファンであれば「長谷川幸一=鶴見中尉」はもう周知の事実とはいえ、初見の人のために別の俳優が長谷川を演じる可能性もあるでしょう。重要キャラの長谷川役には、吉沢亮さんを推す声もありました。原作に忠実な実写『ゴールデンカムイ』であれば、長谷川写真館のエピソードは再現すると思われるものの、どのような演出になるのでしょうか。

 実写『ゴールデンカムイ』は『―北海道刺青囚人争奪編―』以降も、刺青囚人を中心に強烈なキャラの再現が期待されます。いったい誰がキャスティングされるのか、今から楽しみに待ちましょう。

※アシリパのリは小文字が正式表記

※山崎賢人の崎は立つ崎(たつさき)が正式表記

※柳俊太郎の柳は木へんに夘が正式表記

(マグミクス編集部)

https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/過去編が大変-実写-ゴールデンカムイ-今後キャストが気になる-難しい-キャラは/ar-AA1oasXm?ocid=BingNewsVerp#


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「添加物まみれの人糞」はハエをも殺す?映画『うんこと死体の復権』の“グレートジャーニー”関野吉晴がうんこと虫、性と死、呪術と即身仏を語る

2024-08-04 | 先住民族関連

BANGER!!! 2024年8月3日

ハードコア大自然ドキュメンタリー『うんこと死体の復権』

この映画のタイトルに驚く人も多いだろう。紀行ドキュメンタリー番組『グレートジャーニー』(フジテレビ)などで探検家として知られる、人類学者で医師の関野吉晴さんの初監督作が8月3日(土)より全国で順次公開される。

「添加物まみれの人糞」はハエをも殺す?映画『うんこと死体の復権』の“グレートジャーニー”関野吉晴がうんこと虫、性と死、呪術と即身仏を語る

© BANGER!!!

山を購入し何十年もそこで野糞をし続けて水洗トイレに異議を唱える伊沢正名、うんこを食べる虫から生態系を観察する保全生態学者の高槻成紀、死体喰いの虫を美しく描く絵本作家の舘野鴻という三人のプロフェッショナルを追った映画だ。

制作意図は、自然界の命の循環を見せるため。このハードコア大自然ドキュメンタリーを撮った関野監督にお話をうかがった。映像制作会社ネツゲンのプロデューサー、前田亜紀さんも同席したインタビューの話題は、うんこと死体から即身仏へ、石器文化からアマゾン先住民族へと限りなく広がっていくのだった――。

「“どういう映画ですか?”って聞かれて、タイトルを言うと……」

―やっぱり資金を集めたり制作に協力してくれる人を探すのに苦労なさいましたか。

関野:いや、僕はしてない。「ネツゲンやってくんない? 一緒にやらない?」と(笑)。最初は(同社の前田亜紀さんと)共同監督だった。じゃあ安心していられるなと思って(笑)。

前田:「なんとかしてくれるわ」って(笑)。でも、そうですね、形にするまではそれほど苦労っていうのはなかったと思うんですけど、劇場を探すときと、あと配給をお願いするときとかに。

関野:そうそう、いつもやってくれてる劇場からね。

前田:(支配人が)「気持ち悪くなっちゃった」というんですね。

関野:(上映から)30分で。カレーライス食べてたんだよ。

前田:それもよくなかったと思うんですが、虫がイヤだとか、とにかく生理的に受け付けないとか。いままで一緒にお仕事をしていた方がとんでもなく虫嫌いだなんて知らなかったんですが、初めてこの作品で「ごめんなさい。ちょっと無理」という方がいらっしゃるんだなって。

関野:そう、うんこもそうだけど虫が嫌いな人がいるんですね。僕は「何やってんの?」ってよく聞かれるわけです。「いつもなんかやってるけど、いろんなことをやってるから、今いちばん興味を持ってるのは何?」と聞かれて、映画を作ってると言うと「どういう映画ですか?」と聞かれて、タイトル(『うんこと死体の復権』)を言うわけですよ。そうするとみんなすごく敏感に反応して、「誰が見るの、そんな映画?」っていうのと、「わあ面白そう!」っていうのに分かれちゃう。でも半分もいるんだからいいかって。

―メインのお三方が本当に独特で、こんなに面白い方たちとどのように知り合われるのかということにも興味があります。著書や論文との出会いが先なのか、あるいは何かの会合とかでお会いになるんですか?

関野:まあ“集まり”ですね。伊沢(正名)さんとは、彼の講演を聞いたことがあるんです。同じところで講演を二人で頼まれたり、自分の主催しているプロジェクトの<地球永住計画>で2回ぐらい呼んでいる。彼も<糞談(ふんだん)>という対談企画をずっとやっていて、いろんな人を呼んでるんだけど、僕は2回も出てる。

保全生態学の高槻(成紀)さんは、玉川上水の自然観察会の指導者なんですよ。哺乳類と植物の関係を研究してる高槻さんが小平市に引っ越してきたので、小学生たちと一緒に自然観察会したい、指導してほしい、一緒にやりましょうということになって。僕もたまたま武蔵野美術大学で教えるようになったんですが、学生は教室で話を聞くのが好きじゃないんです。じゃあ玉川上水でやろうか、ということで。

でも、ただ行っても「いっぱい花が咲いてるな」で終わっちゃう。たとえば“糞虫”というのは、歩いている人の99%は見たことがないと思います。それはやっぱり、ちゃんとした指導者に聞いて初めてわかることなので。トラップをかけなきゃ見られないし。でも簡単な道具で誰でもできると聞いたら、すごく熱くなってやる気になった。

―じゃあ学生さんの様子を見て、ニーズを汲み取られて……。

関野:いや、全然(笑)。僕がやりたくてやったので、学生はついでです。

―玉川上水のことを調べようとなさったときに、高槻先生を指導者としてお呼びになった?

関野:じつは僕も55年ぐらい前かな、小平市に住んでたんですよ。玉川上水にはトレイルがあったんです。一橋大学から朝鮮大学まで3キロくらい毎日のように往復して、走っていたランニング道路だった。一橋大学は昔、1~2年生は小平の分校でやってたんですね。そのあとムサビ(武蔵野美術大学)で教えるようになったときは通勤路だった。だけど自然は全然、意識して見てなかったわけですね。

やっぱり知っている人が一緒にいると全然違うんですよ、見え方が。「えっ、こんなとこだったんだ!」って。アマゾンとか、すごい自然があるところに行っているので、「玉川上水は40何キロつながっていて、緑道として貴重なんだ」「あ、そうなの? でも大したことないな」という感じで。でも専門家と一緒に見てみると、それまで見えなかったものがいっぱい見えてくるわけです。

―はい。まさに虫の目という感じでした。

「なぜ自然界は“性”をつくったのか? それは“多様性”だと思う」

―<地球永住計画>という素晴らしいプロジェクトをやっていらっしゃいますね。試写会後のスピーチでも人間が自然界最大の害獣だと、だからといって滅亡していいことにもならないということも仰っていますけれども、やはり問題は欲望とお考えですか?

関野:まあ、欲望は大切なもんですよね。活力の源というか、欲望がなかったら人間の活動は全然違ったものになるし、欲望は旧石器時代にもあったと思うし、猿人たちにもあったと思うんですけども。ただ、いまの欲望は肥大した欲望なので、それがいけない。それに煽られてますよね。広告代理店がデカい顔して「買え! 買え! 買え!」って。「こんなのもいいな」「もっと便利なものあるよ」とかね。本当にほしいというより、煽られて買っている面もあるわけです。それが大量生産・大量消費・大量廃棄を産んで、地球を壊してきたので。

―その一方で、コロナ禍でお金への欲望よりも生存欲が優って、「とにかく除菌して!」みたいなことも増えましたよね。この作品をそうした社会へのアンチテーゼのように観る人もいるのではないかとも思ったんですが。

関野:いや、欲望に関して言うと、虫にも欲望があるわけで、あのオスの糞虫ですらメスのかわいい子を探しているわけでね。それはやっぱり生命の歴史を見れば、オスとメスが生まれたことによって“性”というものが出てくるわけですけれども、でもそこで生まれたのが“死”なんですね。

死はなかったんですよ、それまで。だって(細胞)分裂すればいいんだもの。(自然は)なんで性を作ったんだろう? と。なんでだと思います? だって余計なことじゃないですか。分裂したり芽出したりすれば簡単だし、ぜんぜん面倒くさくないじゃないですか。ところが、それができなくなっちゃったんですね。性をつくることによって相手を探さなきゃいけない。それも大変なのに、やっと探しても「イヤよ」って言われたら終わりですから。なんでそんなことやったのか? ですよね。

それは、やっぱり多様性だと思うんです。分裂したら同じものしかできないので、なにか異変が起こったら全滅しちゃう。でも多様性を持って遺伝子が全部違うものになるようにしておけば、どれかが生き残るわけですよ。だから性をつくったんじゃないかなと思うんです。例えば人類というものが生まれた場合に、これが分裂で増えていくとしたら全部同じなので、クローンばっかりですよね。そこに一発寒波がくれば、バーンと全滅する恐れがある。でも全部違ったら、どれかが生き残る。生物的にはどれか残ればいいわけですよね。

―その生物というテーマを考えながら、この映画を撮られていると思うんですけれども、監督の撮影中のお気持ちが気になるシーンがあちこちにありまして。まず冒頭(一同笑)、まさにあのポスターのあのカットを撮られていらっしゃったとき、どんなお気持ちだったんですか?

関野:「やめてくれよ!」って(笑)。俺を撮るんじゃないだろう、伊沢さんだろう、と。

―しかも当初はご自分のモノもお見せにならなかったんですけど、伊沢さんを取材なさっていて、意識が変わってきたところがあったのでしょうか?

関野:いや、慣れですね。慣れてきて別に緊張しなくなってきた。カメラを向けられても、別にいいかって。でも、使われたくなかったけどね(笑)。

前田:(笑)。でも「使われたくない」って言わないんですよ。最後に「じつはイヤだったんだ」「あ、そうだったんですか?」って。

関野:一応、監督ですからね。やっぱり作品にとってはあった方がいい。でも俺じゃなくてもいいな(笑)。

「チベット医学は東洋医学に似ているけれど、ちょっと呪術も入ってる」

―監督の意識の変化が気になったのは、いま腸の健康が話題になっているからなんです。自分のモノを記録できるアプリが人気だったりします。伊沢さんがお三方の中で一番年上なのに、めちゃくちゃ肌つやが良かったのも印象的で。そうした伊沢さんからの影響は監督にはありましたか?

関野:それはアンチエイジングみたいなことですか?

―いえ、最初はカメラを向けても出ない。でも最終的にはすごく立派だと褒められるようなモノが出る。それは立派なモノを出そうと意識が変化したのでしょうか。

関野:いや、全然たまたま。何もしてないです。

―食生活を変えてみたりも?

関野:全然してないですね。別に伊沢さんも正しい食生活をしてるわけじゃないし、むしろ僕のほうが正しいくらいだと思うんです。伊沢さんは歯医者も行かないんですよ、前歯も全部なくなっちゃってるのに。伊沢さん自身は両親とも歯医者で、歯科技工士みたいなバイトもやっていた。それなのに行かないし、病気になっても医者に行かないと言ってますね。

―徹底してますね。

関野:すごいですよ。第一、死を怖がっていない。

―最後、野垂れ死にだとおっしゃってましたね。

関野:彼は火葬にされたくないわけですよ。それで火葬にしないところが京都と奈良にあるよと言ったんです。そこは土葬するために結構しっかりした儀式をやるんですよ。そうすると「そんな儀式なんかイヤだ」と。野垂れ死にしたいって言うから、どうやって死ぬのかなって。普通あんまり考えないですよね、死んだらどうしたらいいのかなっていうことは。僕なんかまだ死ぬ気になっていないから、具体的に自分は本当にどうしたらいいかと聞かれたらやっぱり土葬なんだけど、でも面倒くさいだろうなって。

―本当にそういったこともすごく考えさせられまして、じゃあ富士の樹海に入るのかとかは……。

関野:……いつ死ぬか、本当に死期を見定められる人は富士の樹海に入ってもいいけど。いい医者は「この人はいつ死ぬ」とわかる人だって言うんですけども、普通は医者でも結構当たらなかったり。だいたい余命半年とか3か月とか言われて、何年も生きてる人がいっぱいいますからね。

―確かに。じゃあ、むしろ考えなくていいことなんでしょうか?

関野:ただ、真言宗の人たちの死は……チベット仏教もそうなんですけれども、それは見事です。それをこの映画では何も言っていないけれど、実際に見たんですよ。ネパールのチベット圏で、いちばんチベットらしい暮らしをしている人たちのところに4ヶ月いたんですけど、若い女の子の父親が病気になった。彼はお坊さんなんですよ。

チベット医学って漢方に似ていて東洋医学で、やっぱり鍼灸とか薬草、ちょっと呪術も入ってるんですけどね。ただ漢方と違うのは、前世と来世があるということ。西洋医学は病気の原因を科学的に探そうとしていて、東洋医学もそれに近いんですよ。でもチベット医学だと「前世で悪いことをしたから病気になった」とかいうのも出てくる。

で、その病気になった人のところに行ったら、弟子たちや先輩のお坊さんに囲まれて苦しそうに座っている。お坊さんに囲まれている患者を診るなんて初めてでしたよ。聴診器なんかいらない。もう聴診器を当てる前にゴボゴボいってるわけ。それは肺に水が溜まっているんですね。肌が土色になってお腹が膨らんでいて、完全に肝臓がやられてるんですよ。すぐ「この人は長くないな」と。

僕は彼の死の瞬間には立ち会えなかったんだけど、彼のお兄さんが高僧で死の瞬間に立ち会ってるから、「誰が死を確認したんですか?」と聞いたら、誰もしてないって言うんですよ。高僧になると自分がいつ死ぬかわかるんです。手助けさせて瞑想の姿勢を取って、家族とか弟子や先輩たちを集めて最後の言葉を言うんです。それで「行きます」と言って、“死”なんですね。誰かが看取るとかじゃなくて、「本人が決めること」だと。

日本でも、空海がそれをやっているわけです。彼はまず最初に、いつ死ぬか、「春分の日に死ぬ」と計画を立てるわけですね。何をするかというと、まず五穀断ち。穀物、食事をやめるってことですね。だんだん弱ってくるわけですが、その後に水を断つ。でも長くないんです。水を断てば病人だったら3日で死にます。そういうことを、じつは真言宗はやってきた。即身仏もみんなそうなんです。

空海もやっぱり「行きます」って最後の言葉を遺すんですけど、その伝統がずっと東北、山形県とかを中心にあったんですね。でも100年くらい前に即身仏は禁止されたんですよ。みんな食事を持って行ったり、姿勢が崩れたら直したり介護しないといけない。そうしないと自殺幇助罪になっちゃうんですよ。それで100年くらい前に、医者が“死”を決めることになったんです。本人が決めちゃいけない。

そのころ(死の)指標はしっかりしてたんですね。それは「息が止まる」「心臓が止まる」「瞳孔が開く」なんですよ。だから医者でなくても誰でもわかることなんです。それが最近になって、ここ20~30年で変わったのが“脳死”。医者でもわからない、特別な医者じゃないと。……で、僕が言いたいのは、自分で死を決められて「いいなあ」って。

「うんこにハエがついたら、そのハエが死んじゃった」

―映画の話に戻りますけれども、伊沢さんの章で、ご友人が出したモノによってセンチコガネ(本作中で“最強の悪食”と称される昆虫)が死んでしまったことが私は結構ショックで、やっぱりああいうことには添加物とか家畜の飼料のホルモン剤とかPFAS(※新たな環境汚染源としての報道が増えている有機フッ素化合物)とか、様々な背景があるのかなと思ったんですけれども。

関野:うーん、でもねPFASなんてみんな平等に影響を受けてるわけで、まあ多重に受けてるかもしれないけれど、食べ物のなにか(が原因)ですよね。なんか変なもの食べたんですよ。でも、それで言ったら高槻さん、保全生態学の先生が見たのは、うんこにハエがついたら、そのハエが死んじゃった。

―ああ……(絶句)。

関野:食べ物っていうのは、もろに影響するわけですから。

―虫が死ぬような毒を排泄している人体があるということに非常にショックを受けました。

関野:だって人工添加物なんか我々ものすごく食べてるんだよね、キロ単位で。気をつけてる人だって、ものすごい量を摂ってますから。

―そういった問題提起にもなりそうですね。

関野:それをやろうとしたんですよ。コンビニ食とか、めちゃくちゃ食べたの。ほんとに添加物実験をして、そのあと学生も参加して一緒にやっていたんですけど、あんまり変わらなかった。(虫が)コロっと死ななかったし(笑)。第一それは、あんまり科学的じゃないんですね。どのぐらい食べたらいいか? とか。だって1年経てば細胞も全部変わるわけで、結構影響を受けると思うんですけども、やっぱり1週間くらいではね。

―そうですね。ハエが死ぬようなモノが出るようになるまでには相当、体がボロボロになりそうな気がします。

関野:みんなすごい量の添加物を食べてるわけです。でも、みんな元気で働いてるじゃないですか。だからすぐには影響はないけれども、じわじわときていて、たぶん長生きできないんじゃないかな。それは西丸震哉(1923 – 2012)さんという、作家で農林省の役人でもあって栄養のことをずっとやっていて、パプアニューギニアに行ったりする探検家でもあって、いろんな作品を作っていて、オーケストラも自分で持っていた人がいて。(当時)その人が「いまの若者たちは平均寿命41歳になるだろう」って。ならなかったんですけどね(笑)。

「南米の人たちには“七色の職業を持ってる”と言われていた」

―舘野(鴻/絵本作家)さんの章でも、とても面白いところがあって。舘野さんと話していらっしゃったときに、まさにキャッチコピーとなっている台詞が出ましたが、そのときに「去年くらいから、こいつらすげえなと思いはじめた」と仰っていたんですよ。こうした感銘は、映画を撮りはじめて観察が進んでから生まれてきたんですか?

関野:その前に高槻さんとトラップをかけてマウスを使ったりしてたんだけど、すぐに蛆虫がすごい来るわけです。すげえなと思っていたのはそれで、ずっと前ですね。

―同じ章で、毛についた虫を集めていたときに舘野さんが大興奮してらっしゃる横で、監督は「ふーん」みたいなフラットな相槌で、「もっと喜んでくださいよ!」と言われていて。

関野:違う(笑)。向こうがノッちゃってるから、こっちはノれないわけですよ。だって、ものすごく喜んでるわけ。その「食べてくれた」ということ以外に、その虫自体が珍しいものだから興奮しちゃって、こっちは冷めちゃうよ。「それで?」って(笑)。

だって「自分の体を虫が食べてくれる。でも、毛は食べてくれないんじゃないか。毛だけ残ったらイヤだな」と彼は思ってたんですよ。だから「俺の毛も全部食べてくれるんだ!」って喜んでるんだけど、別に毛もね、骨と違って埋めれば無くなるんですよ、微生物が分解してくれるので。と、僕は思っていたから。それは言わなかったけどね、すごく喜んでるのに……(笑)。

―そういう感じで、監督のお人柄が出てくるところも面白かったです。先ほどの玉川上水について監督は、いま保護活動もされていますけれども、都知事選の結果もあり、今後こうした政治状況、都民の意識で、私たちは今後どのように自然を守っていけるでしょうか? どのような展望をお持ちですか。

関野:いまやっているのは反対運動じゃないんですね。もちろん道路は造ってほしくないんですけど、とにかく都知事に(現場を)見てほしい。玉川上水の、とくに小平の橋を造る計画がある部分がいちばん自然が残っているところなので、興味はないだろうけれど、それを見てきてほしい。それと、アセスメントをやり直してほしい。一回やっているんですよ。だけどそれは官製のアセスメントで、道路建設ありきでやっているんですよね。

―御用アセスメントですね。

関野:だからちゃんとしたアセスメントをやってほしい。東京都は、市民と専門家が一緒になって調査することが必要だとか、良いことはいっぱい言っている。それに準じてやってくれと言ってるんですよ。で、そのための署名運動をやっているんですね。そこが焦点だった選挙だったんだけれども……。

―焦点だったはずの自然保護が論点にならなかった残念な選挙戦でした。ところで監督は、学生のころからアマゾンに通い続けて、アマゾンの方々の役に立とうとお医者さんになられて、その後グレートジャーニー(※自身の脚力と腕力だけで遡行する旅)に44歳で出発されて、映画も監督なさってという、もう4人分ぐらいの人生を送ってらっしゃる感じなんですけど、その原動力は何だと思っていらっしゃいますか?

関野:原動力、原動力……。あ、病気!(ニッコリ)。

―えっ、なぜですか?

関野:僕、作家の高野秀行と仲がいいんだけど、あるとき「関野さん、もしかして注意欠陥多動性障害(ADHD)じゃないですか?」って言われたんですよ。「じつは僕もそうなんです」と。で、角幡(唯介)という探検家がいて、彼もそうなんだ。共通点があって、一つのものに気を取られると、それ以外に興味がなくなる。過集中で、ほかはどうでもよくなる。だから片づかない。片づけてる暇があったら好きなことをやりたいから、そのうち床が見えなくなる、とかね。それが三人とも共通点だということがわかって、きっとほかにもいっぱいいるだろうなって。

僕はそれ、自分で気がついてて、学生のころジャン・ジャック・ルソーの「告白録」を読んだんです。“若者の人生を変えちゃう本”とよく言われている、いっとき麻疹みたいになっちゃう本が3冊あって、それがルソーの「告白録」と、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」と、太宰治の「人間失格」なんです。その「告白録」に<あることにとらわれると、地球が何かしようがどうでもよくなって>という文章があって、「えっ、これ俺のことじゃないか!」と(笑)。

ところが集中して、終わると冷める。でも、次に何か待っているわけです、集中するものが。常に(興味の対象が)変わるので、「この人、何なの?」と。南米の人たちは(僕の)そういうところを知っているわけですよ、いろんなことに手をつけるっていうのは。だから僕は“七色の職業”を持っている、虹のような職業を持っていると言われていて。だから説明するのが非常に難しくて。娘が保育園に行っていたころに困ったみたいで、「お父さん何やってるの?」って聞かれるじゃないですか。「うん、いまは自転車に乗ってるけど、その前はね……」と(笑)。

―でも、すごくユニークな人生ですよね。いまは映画ですか?

関野:<地球永住計画>でいろんな人と対談していて、自分の肩書きは大体「探検家、医師」にしてるんですけれども、今度は「『うんこと死体の復権』の監督、医師」(笑)。

前田:いまは旧石器生活に夢中になっていて、『うんこと死体~』の取材中も本当によく通っていたんですよね。

「大好きな黒曜石に失礼しちゃったなって(笑)」

―前田さんに「そういえば75歳おめでとうございます」と言われているのも、とても印象的でした。

関野:あれ、やめてほしかったんだけど(笑)。

―しかも、しっかりした歯で鹿の燻製にかぶりついているときにそう言われていて、世の中の同世代の方々に比べて、このたくましさはなんだろう? と。とても印象的でしたし、皆さん元気づけられると思います。

関野:(笑)。あのとき「ナイフなんかいらねえよ」って言っちゃってるでしょ。あれは失敗だったなって。黒曜石のナイフは使ってるわけですよ。大好きな黒曜石に失礼だなと。

前田:あれはでも、石じゃないですか。だから“ナイフなしで山に入る”と。

 

関野:ナイフは自分で作っているわけですけど、「鉄のナイフ」って言えばよかったんだよね。黒曜石に失礼しちゃったな。

―(笑)。鹿は罠か何かで獲るんですか?

関野:罠は、木の棒で穴を掘るのが大変なんですよ。1ヶ月はかかっちゃう。旧石器時代、実際に大がかりな罠はあったんです。1メートルから1.5メートルくらいの穴と、もう一つ小さな穴を掘らないといけない。大きい穴だけだと、鹿のジャンプ力はすごいですから、2~3メートルはボーンと跳んで逃げちゃうんです。だけど鹿の足が小さな穴に入ると、動けなくなる。そういう罠が遺跡に並んでるんですよ。こう、遺跡があったとしたら、その穴と穴との間を遮蔽して通れなくしちゃって、それでこっちから追いかけると必ず落ちる。それで……(夢中でお話しになり、こちらも聞き入ってしまう)。

前田:そういうのはできなかったから、という話でしたよね(笑)。

関野:できなかったから(笑)、罠猟師にお願いに行って「分けてください」と。一人だから子鹿で良かったのに、食いきれないのに60キロですよ。

―とても印象的なラストでした。

関野:ただ、あれに関しては、舘野さんと高槻さんが一緒に試写を観て、二人で話し合ったらしいんです。「いい映画だったね、けど、あれは余計だった」と。僕は最初に「なぜこの映画を作ったか」とプロローグで言っていて、じゃあ最後のエピローグで、3年間彼らと付き合い虫たちと付き合ったことによって、どのように変わったかを書いてくれとプロデューサーが言うので、それをエピローグで読んだんだけど、ああなったわけです。

前田:エピローグのまとめがなくて終わっちゃうと、三人の生き方はわかったけど、我々はどうしたらいいの? という感じになってしまうので、最後にまとめようと。

関野:それで書いたんだけど、観ている人にとってはそれまで“うんこと死体”とか言っていて、(エピローグでは)全然関係ない石器時代に行っちゃったから。本筋とちょっとずれるじゃないですか? だけど、なんか関野さんらしくていいやってことで落ち着いたんだって(笑)。

―確かに、あれをそのまま実践はできないなとなるかもしれませんが、何らかの生き方のヒントを得られるのではないかなと。

関野:共通して、両方ともアマゾンのマチゲンガという先住民の影響なんです。彼らはナイフ1本で生きていけるので。自分もアマゾンならナイフ1本で行けるけど、じゃあ(日本だし)ナイフなしでやろうじゃないかっていうね。いや、ナイフはあるんですけどね。結構鋭いんですよ、黒曜石ナイフ。だけど鉄のほうが使いやすい。鉄ってすげえなって(笑)。

取材・文:遠藤京子

『うんこと死体の復権』は2024年8月3日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー

https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/添加物まみれの人糞-はハエをも殺す-映画-うんこと死体の復権--グレートジャーニー-関野吉晴がうんこと虫-性と死-呪術と即身仏を語る/ar-AA1oa9ew?ocid=BingNewsVerp


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映画『リッチランド』が描く「キノコ雲を誇る人々」を見て考える「唯一の戦争被爆国」日本の"矛盾"

2024-08-04 | 先住民族関連

Yahoo!ニュース宮崎園子 フリーランス記者 8/3(土) 12:01

Copyright: 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

 地元高校のフットボールチームのトレードマークは、キノコ雲とB29爆撃機ーー。太平洋戦争中、アメリカが進めた原子爆弾製造計画「マンハッタン計画」遂行のために整備された核燃料生産拠点ハンフォードで働く人たちのベッドタウンとして生まれたリッチランドの街には、「原爆開発の地」という自らの歴史を誇る人たちがいる。そんな彼らの語りと、その歴史によって苦しむ人たちの声を記録した映画『リッチランド』がこの夏全国で順次公開中だ。8月3日からは広島で、同9日から長崎での公開が始まる。東京での公開が始まった7月に来日し、広島を訪れたアイリーン・ルスティック監督に、作品に込めた思いを聞いた。

 秘密裏に進められたマンハッタン計画。その主な実働拠点は、原爆開発のための研究所が設立されたニューメキシコ州ロスアラモス、ウラン精製工場のテネシー州オークリッジ、そして、核燃料生産工場が置かれたワシントン州ハンフォード。リッチランドは、ハンフォードで勤務する人たちの多くが暮らしたベッドタウンだ。街には、国家を支える重要な拠点となった歴史への誇りが色々な形で根付いている。 

ーーリッチランドとの関わりの入り口と映画制作に至った経緯を教えてください

 初めてリッチランドを訪れたのは2015年です。映画を撮りながらアメリカ中を旅している中で、1日だけリッチランドに立ち寄り、その時に街の歴史を知りました。私だけでなく多くのアメリカ人が知らないという事情には、ハンフォード・サイトという場所が、マンハッタン計画の中でも最も秘密にされていたということがあるからです。他の各軍事施設の施設よりもずっと広大な地域を擁しているにも関わらず、最も秘密にされていた場所でした。

 何も知らないままにその街に訪れると、原爆のシンボルがあちこちに視覚的に張り巡らされていて、そのことがとてもショックでした。どうしてこの街は原爆を自慢するんだろうかと好奇心をそそられました。

 もっとリサーチをしなければと、読書などをすると、ハンフォード・サイトの大地の汚染規模を知ることになりました。一番興味をそそられたのは、どうしてこの人たちはこんな矛盾を抱えていながら、こんなにもこの土地を愛せるのだろう、と。自分の街を毒しながら、どうして愛することができるのか。どうしてこのような矛盾を受け入れてここに暮らし続けることができるのだろうか、というのが、私が発見した問いでした。

ーーリッチランドに巡り合う以前は、核問題に関してどの程度知識があったのですか

 私自身は平和主義者で反戦主義者。この映画を作る前の理解がどういうものかというと、日本での破壊や被害の規模についての意識はとてもありました。世代を超えた影響力のある非常な核兵器だということも知っていましたし、被爆者の状況についても理解がありました。

 ただ、自分自身が平和主義だと言っても、現在において核を判断するということは危険ではないかなと思います。1940年代の人たちのそのときの価値判断や考え方、切迫した状況の中でどう思ってどう行動したかに対して、これは良かった、間違っていたと一概に言えない。私自身はちょっとわからないと言わざるを得ない。

ーー核兵器の保有国が、その中に被爆者を抱えているという問題が淡々と描かれてる印象を受けましたが、そのように意図されたのでしょうか

 私はメッセージを伝えるということよりも複雑さに興味を持っている。実はアメリカにおける核兵器の被害についての映画はアメリカに案外多くて、非常に強いアクティビスト的なメッセージのある、訴えかけるような作品だったりするんですが、既にこういうものがあるのなら私がやらなくてもいいと思ってました。結論がわかっているものに対して映画を作る必要は感じません。

 もし自分がメッセージ映画みたいなものを作ろうとしていたらリッチランドの人々の協力を得ることができなかったし、彼らはこの映画を見てくれなかったと思う。そうすると、せっかくの人間についての理解を深める経験を逃してしまうことになっていたとも思います。この映画をたくさんのリッチランドの人が見てくれたのは、おそらくこれが自分たちを攻撃するものではないということ、あるいは、あらかじめメッセージが決められた映画ではないからだと思うんですね。

ーー人々の誇りに焦点をあてた前半部分だけでも十分に気づきの多い映画ですが、広島の被爆者の孫や、現地の先住民の方など、被害者が登場する後半を入れたのはやはり、別の側面を知ってほしいという思いがあったからですか

 前半の部分があるからこそ、後半に登場する、実際の環境によってダメージを受けた先住民の人たちや、広島の被爆者の家族といった人たちの語りに耳を傾けることを促してくれていると思っています。この映画は、リッチランドの人たちの心も開いている。そうでなければ、他の人の意見に耳を傾けるような余裕はなかったと思う。

ーー高校生たちが議論する姿は非常にメッセージとしては強かったです。あのような風景は、広島や長崎にこそ足りない風景ではないかと感じました

 自分自身に17歳の子どもがいることもあり、最初から私は若い人の声を入れることは大事なことだと思ってました。若い世代は年配者と比べて、情報へのアクセスがふんだんで、インターネットから様々なことを学び、自分自身の知識を汲み上げていく力を持っています。それまで撮影していたリッチランドの関係者たちは、自分たちの歴史に非常に固執している年齢層の高い人たちだったこともあり、地元の若い人にも話を聞けば、おそらく考え方や喋ることが違うのではないか、変わってくるのではないかと期待していました。

 実際に、彼らは非常にオープンでお互いに耳を傾け合う議論をしてくれました。いわゆるレガシーや街にあるシンボルのようなものからの距離感を彼らが勝ち得ているからではないかと思います。そうしたものからの自由も、そうしたものを捨て去る勇気も、彼らにはあると思います。日本でも、世代を重ねるにつれて、その歴史との距離を持つことによって自由になっていったり、重荷を下ろすことができるようになっていると思いませんか。

ーー「矛盾」の中に暮らすリッチランドの人々を見て、日本の私たちもやはり「矛盾」を抱えていると思いました。「唯一の戦争被爆国」と言いながら、核の傘の下で暮らしているという矛盾です。この矛盾について、どのようにお考えですか

 今言われたことには同感ですし、この映画を見て日本人のみなさんにも考えていただきたい。リッチランドを通して、自らの歴史にも思いをめぐらすことができればありがたいです。

 私には、ホロコーストで死んだ親族がいて、イスラエルにも親族がいます。イスラエル人の歴史を振り返ってみても、自分が被害者であるという強迫観念にとらわれ、それが非常に大きな暴力を導いてしまっているということが現実として起きている。歴史的に被害史観みたいなものに囚われてしまってる人の見えない矛盾みたいなものなので、それは多くの国で様々な人々が抱えている問題ではないかと思います。

 もう一方で、リッチランドには自分たちが被害者であることを一切認めようとしない人がいる。我々はとても強いアメリカ人であるという自己イメージに基づいている場合に、自分たちの仕事のおかげでアメリカが戦争に勝ったのだという物語が壊れてしまうことを恐れている。その自己像にとらわれているというのも、もう一方では言えるかもしれません。

 ごく普通の人が、実はいろんな被害を人に被らせてしまうということがあり得るのだ、という感じで、この映画を見ていただくこともできるのではないでしょうか。

 アメリカが囚われてしまっている心理をほぐすことはすごく難しいと思います。冷戦中には、安全のために私達は核兵器を作っているのだという、抑止という名の負のサイクルを生んでしまい、安全のためにやる巨大なことが非常に大きな負の遺産になって私たち自身がダメージを受けているっていうサイクルができあがってしまった。このサイクルをほぐすのは容易なことではない。これはイスラエルが安全のためにガザを攻撃するという論理にもぴったり一致していて、どういう解決策があるか私はわからないけれども、非常に深いアメリカや他の国における社会心理みたいなものに深く根付いてしまっていると思うのです。

 映画『リッチランド』は、全国で順次公開中。8月3日から広島・横川シネマや横浜・シネマジャック&ベティなど、8月9日から長崎セントラル劇場など。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4357ed9224065152ccda171e74076a5b37c8b657


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