東京新聞 1月2日
研究目的で収集されたアイヌ民族などの遺骨返還が遅々として進まない。先住民族から搾取し、同化させた歴史は植民地主義の暗部とも言えるが、遺骨返還にアイヌ民族の自己決定権は事実上ないに等しい状況だ。沖縄の琉球民族に至っては法律上、先住民族にさえ位置づけられていない。日本は世界の潮流に逆行している。(特別報道部・木原育子)
◆アイヌ民族の遺骨、研究目的で1800体以上収集
アイヌ民族の遺骨は1880年代から1970年代にかけ、研究者らによって収集された。時に「盗掘」もあったとされ、東京大や北海道大など全国の12大学で1500体以上が保管されてきた。国の2013~19年の調査で、東京国立博物館など博物館も合わせると、1800体以上に上るとみられる。
アイヌ・琉球…先住民族の遺骨、なぜ故郷に帰れない? ウラに世界と逆行する日本政府の「植民地主義的」姿勢
元の埋葬地に直ちに返還できない遺骨や副葬品は、国のガイドラインに従って、北海道白老町に整備された民族共生象徴空間「ウポポイ」の慰霊施設へ集約されるが、このガイドラインが不評だ。
まず国が出土時期や場所を情報公開し、それを見てアイヌ民族側が返還を申請。申請者は出土地域に暮らす人々で構成される団体であることなどが厳格に求められ、出土地域で「確実な慰霊」が要求される。情報公開から6カ月間、返還申請がない場合は慰霊施設に集約される。その後に申請があり、地域に返す場合も同様の経過をたどる。
◆謝罪や哀悼なく、返還を「物理的な移転」としか考えず
しかし、このプロセスの中に一切の謝罪はなく、占有し搾取した植民地主義の反省なしに対応しようとする姿勢がにじむ。文化的観点や死者への哀悼という精神性は感じられず、物理的な移転としか捉えていない。
対照的に米国では1990年に先住民族の墓地の保護や遺骨返還に関する法律を整備。人類学者が遺骨の出自や地域を特定し、研究者と先住民族の双方が納得できる形で子孫コミュニティーに返す方法を探ってきた。
アイヌ・琉球…先住民族の遺骨、なぜ故郷に帰れない? ウラに世界と逆行する日本政府の「植民地主義的」姿勢
日本は単一の民族国家ではない。多様性の欠如は根強い偏見を助長し、アイヌ民族に対する負の歴史は今も色濃く影を落とす。北海道の調査で、アイヌ世帯の生活保護率は居住する市町村の平均を上回っており、昨年は4.1%(市町村平均3.1%)だった。高校卒業後の進学率も低い。アイヌ民族の失われた生活や文化を取り戻せるか。問われるのは過酷な歴史を強いた側の意識といえる。
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◆立法上「先住民族」と認められていない琉球民族
琉球王家の子孫らが京都大に遺骨返還を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁(大島真一裁判長)は2023年、原告らを「沖縄地方の先住民族である琉球民族」と認定。請求自体は棄却したが、判決の中で「遺骨はふるさとで静かに眠る権利があると信じる」と付言した。
アイヌ・琉球…先住民族の遺骨、なぜ故郷に帰れない? ウラに世界と逆行する日本政府の「植民地主義的」姿勢
原告の一人で、龍谷大の松島泰勝教授は「琉球民族が日本の先住民族と認められた大変価値のある歴史的判決だった」と語る。この判決を維持するため、最高裁への上告も見送った。
アイヌ民族も同様の経緯をたどった。2019年施行のアイヌ施策推進法で初めて「先住民族」と明記されたが、司法判断で認められたのは2022年も前のことだ。
アイヌ民族にとって重要な土地だった北海道平取町(びらとりちょう)に二風谷(にぶたに)ダムの建設計画が浮上。土地強制収用の裁決取り消しなどを求めた訴訟の判決で、札幌地裁(一宮和夫裁判長)は1997年「アイヌ民族は先住民族に該当する」と指摘した。松島氏は「琉球民族もアイヌ民族と同じように独自の文化と言語を持つ。立法上でも先住民族と位置づけられるべきだ」と訴える。
◆「日本政府の遺骨返還プロセス、いまだ植民地主義的」
アイヌ・琉球…先住民族の遺骨、なぜ故郷に帰れない? ウラに世界と逆行する日本政府の「植民地主義的」姿勢
国連は2007年に「先住民族権利宣言」を採択し、日本も賛成。収奪した土地や遺骨の返還、先住民族との合意なき軍事活動の禁止を規定しており、沖縄が先住民族の地と認められれば、沖縄の米軍基地も国際法違反となる可能性が出てくる。
近年では、DNA解析技術の進化で日本人の起源を探る研究は再び盛んになっている。日本人類学会は2019年、京都大に「古人骨は学術的価値を持つ国民共有の文化財で、保存継承され研究に供与されるべきだ」との要望書を出し、国内外から批判を浴びた。
松島氏は「遺骨を本来あるべき先住民族の土地に返すことは世界の潮流だ。だが日本政府は植民地主義への総括も謝罪もない。遺骨返還のプロセスもいまだ植民地主義的で今すぐ改めるべきだ」と指摘する。
研究者側(右側)と話し合いの場につくアイヌ民族ら=2024年4月13日、札幌市内で(木原育子撮影)