先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

カワシンジュガイ保護に力 千歳アイヌ協会

2015-10-21 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2015年 10/20)

千歳川のカワシンジュガイ
 千歳アイヌ協会(中村吉雄会長)は、環境省が絶滅危惧Ⅱ類に指定し、アイヌ民族が伝統料理にも用いるカワシンジュガイの保護に力を入れる。24日午後1時からは北ガス文化ホール(千歳市民文化センター)で専門家による講演会を開催する。同貝をめぐっては昨春、千歳川で何者かによる大量捕獲が判明しており、講演会を通して保護への機運を高め、千歳市の保護条例や道条例の制定を目指す考えだ。
 同貝は淡水域に生息する二枚貝。北海道から中国地方まで広く分布するが、河川の汚染や河床がコンクリート化されて砂利が少なくなるなどで生息域が狭まり、環境省が絶滅危険性の増大を意味する「絶滅危惧Ⅱ類」に指定している。北海道で生息河川は多いが、安心できる状態ではない、と指摘する専門家もいる。
 そうした中、千歳川上流域で昨年4月、2人の男性が同貝を大量に採取している姿が目撃されている。同貝が、二枚貝に卵を産み付ける習性を持つ淡水魚(タナゴ)の飼育愛好者にインターネットで販売されているとの情報もある。
 アイヌ語で「ピパ」という同貝。細かく刻み酢みそとあえるアイヌの伝統料理があるほか、貝殻は穀物を採取する道具に用いられた。同協会では大量捕獲の問題を受け、今年4月の総会で保護に向けて取り組むことを決定。市に対し条例制定など保護に必要な規制を求める方針を決めた。
 講演会には一般市民のほか環境保全団体や市議会、行政関係者など、多くの人に参加を呼び掛る。中村会長は「千歳市に保護条例の制定を求めていく。河川、森林、野生生物が一体だからこそ千歳川は清流といえる。カワシンジュガイを保護したい」と話す。最終的には保護に向けた道条例の制定も視野に入れている。
 24日午後1時からの講演会は「千歳のカワシンジュガイ乱獲の謎」と題し、道立水産孵(ふ)化場の元場長で、同貝の研究家である粟倉輝彦氏(札幌市)が講師を務める。同貝の生態や現状について話す。
http://www.tomamin.co.jp/20151031305

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『世界女神大事典』刊行

2015-10-21 | アイヌ民族関連
読売新聞 2015年10月20日 05時20分

古今東西の女神たちを総覧できる『世界女神大事典』(松村一男、森雅子、沖田瑞穂編、原書房)=写真=が刊行された。
 『古事記』に出てくるコノハナノサクヤビメを始め、ギリシャ・ローマ、ケルト、インドなど地域ごとに神々を紹介。ネイティブ・アメリカンやアイヌの女神、聖書や仏典、アーサー王物語に出てくる女性たちも多数ひかれている。
 さらに現代のファンタジーや児童文学、オペラにまでその対象は広がり、最後の「女神的存在」の項には、セーラームーン、ダイアナ元妃、マリリン・モンローまで。そんな遊び心も楽しい。項目数約900、巻末にキーワード索引もあり便利だ。6800円。
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/news/20151013-OYT8T50099.html

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文化や芸術の交流を あすまで市立図書館

2015-10-21 | 先住民族関連
八重山毎日新聞 2015年10月19日

展示作品について説明する国立台北教育大学の学生ら=18日午前、市立図書館内
国立台北教育大が作品展
 国立台北教育大学でデジタルデザインなどを学ぶ学生の作品を集めた展示会が18日、石垣市立図書館で始まった。20日まで。同大の楊孟哲教授が八重山台湾親善交流協会(石垣久雄会長)に働きかけて実現、大学側から学生28人を含む35人が17日から石垣島を訪れており、21日までの滞在期間中、3高校との意見交換も予定している。
 模型、水彩画、写真、版画などの作品30点余を紹介。台湾の先住民の一つ、パイワン族の文化を模型で表現した林恆安(リン・ヘンアン)さん(3年)は「祭祀(さいし)や神話を一つ一つ模型で表現した。台湾の文化を感じてもらいたい」と話した。
 初日はオープニングセレモニーがあり、同大の蔡元芳(ツァイ・ユエンファン)教務部長、石垣会長、琉球華僑総会八重山分会の王田達夫分会長がテープカットを行った。
 石垣会長は「パイワン族の模型を見て、心で感じるものがあった。文化や芸術の交流に期待したい」とあいさつ、蔡教務部長は「八重山の生徒の皆さんにもぜひ台湾に来てもらい、交流を深めていきたい」と話した。
http://www.y-mainichi.co.jp/news/28554/

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室蘭でシンポ加藤さんら講演―文語の魅力伝える

2015-10-21 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年10月18日(日)朝刊】
 日本語が持つ美しいリズムと響きが凝縮されている“文語”の魅力を伝えるイベント「文語の苑(その)」シンポジウムin北海道(同実行委員会主催)が17日、室蘭市海岸町の市港の文学館で開かれた。室蘭出身の芥川賞作家・三浦清宏さん、東京都世田谷区のNPO法人・文語の苑の副理事長を務める加藤淳平さんが出演し、基調講演やパネルディスカッションが実施され、日本語の源で古典語である文語の魅力と重要性を発信した。
 同実行委員会は文語の苑、室蘭文学館の会、市教委で構成。室蘭民報社、室蘭文芸協会協賛。同館の2015年度(平成27年度)テーマである「ことばと日本の心」を基にしたメーンイベント。約200人の市民らが参加し、会場は満員となった。
 愛甲次郎理事長は体調不良のため欠席し代理として加藤さん、理事の仲紀久郎さんが「今なぜ文語か」と題して基調講演した。仲さんは「文語とは昔の書き言葉で、現在使われている口語とは文法も語彙(ごい)も違います。文語が死語にならないために、5年前から文語の魅力を知ってもらおうと全国各地でシンポジウムを開催しています。民族の宝として永遠に残していきたい」と述べた。
 加藤さんは、講演「北海道と文語の詩歌~菅江真澄、松浦武四郎と3人の詩人たち」で、江戸時代後期の旅行家・菅江真澄、江戸時代末期から明治時代にかけての探検家・松浦武四郎について講話。2人について「自ら蝦夷(えぞ)地に来て、旅をした2人の記録には和歌と写生画が挿入されており、そのときの感情の動きや目で見た場景が分かりやすく残っている。アイヌの人たちとその生活の細部を細かに感じ取ることができるなど共通点が多くある」とまとめ、文語と北海道の関わりを紹介した。
(石川綾子)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/10/18/20151018m_02.html


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国立台湾歴史博物館、日本の「みんぱく」と交流協定を締結

2015-10-21 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2015/10/18 15:04
国立台湾歴史博物館提供
(台北 18日 中央社)国立台湾歴史博物館(台南市)は16日、国立民族学博物館(大阪府吹田市)と学術研究交流協定を締結した。研究や展示での協力を通じて内容の充実化を図る。
台湾歴史博物館の呂理政館長と民族学博物館の須藤健一館長が協定書に調印した。
双方は2013年に台湾の先住民「平埔族」に焦点を当てた特別展を共催するなど関係を深めてきた。15日~17日には台南でワークショップが開かれ、博物館のあり方に関する講演や研究発表が行われた。
台湾歴史博物館では開館以来、海外で所蔵されている台湾関連資料の把握に尽力。2014年には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)とも協力協定を結んでおり、今後も国外の博物館との交流を深めたいとしている。
(編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201510180003.aspx



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神聖な「ハカ」無断CM許さん 「伝統尊重を」NZ、日本などやり玉

2015-10-21 | 先住民族関連
SankeiBiz-2015.10.18 00:00
9月24日、W杯一次リーグのナミビア戦を前に、伝統舞踊「ハカ」を披露するニュージーランド代表の選手たち=ロンドン(ロイター
 ラグビーのワールドカップ(W杯)イングランド大会は17日(日本時間18日)から決勝トーナメントが始まり、佳境を迎えているが、過去W杯2度優勝を誇り、今回も8強入りしているニュージーランド代表「オールブラックス」が試合開始前に行う先住民マオリの伝統舞踊「ハカ」について、外国で営利目的で利用されていることにニュージーランド政府が憤っている。ハカはマオリ族にとって神聖な伝統文化であり、無断で茶化して真似るのは許せないというのが言い分だ。ただ、一方で試合前のハカをめぐっては、「ニュージーランドに特例を認めるのは不平等」といった意見も、ラグビー界で長年にわたってくすぶっている。
 ■戦士鼓舞、相手に敬意
 足を踏み鳴らし胸をたたく独特のダンス、ハカは、本来はマオリ族の戦士が戦いの前に戦意を鼓舞し、敵を威嚇する舞踊。一方でラグビーの国際試合では、相手チームに敬意を払う儀式でもあるとされる。国際ラグビー評議会は現在、ニュージーランドの他に、南太平洋の島国であるフィジー、サモア、トンガの代表にも類似の舞踏をキックオフ直前に披露することを認めている。
 ニュージーランドのマオリ開発相、テ・ウルロア・フラベル氏(59)=マオリ族出身=は今回のW杯開幕後、AFP通信のインタビューに答え、「ハカは、われわれ自身を表現するのに用いる伝統文化の一部だ。妙に真似た営利利用はハカの意図しているところではない。敬意をもって扱ってほしい」と訴えた。
 ■国内では許可取得を義務化
 ニュージーランドでは昨年、各種のハカをイベントやCMなどで使う場合は、マオリ族の団体に告知して許可を取ることを義務づける法律が成立。今回のW杯に際しても、オールブラックス側は事前にマオリ族の団体と協議し、「カ・マテ」と呼ばれるバージョンを踊ることで合意している。
 フラベル氏は「この法律は海外では効力は持たないが、尊重してほしい。ハカを使いたい外国の企業が望むなら、ニュージーランドに招待してマオリ族との協議の場をセッティングしてもいい」と話している。
 ニュージーランド政府はハカが“悪用”された例として、日本で2010年に歌手の安室奈美恵さんが「ハカボーイズ」を名乗る男性らと踊る清涼飲料水のテレビCMが放映されたほか、イギリスで今年、紳士服の広告に利用されたことなど多数を挙げている。
 ■特権に根強い不満
 一方、国際試合で相手チームがハカにどう対応するかは、ラグビー界で長年にわたって人々を悩ませてきた問題だ。試合前にハカを踊ることが認められたオールブラックスは、最初から精神的優位に立てる格好だからだ。しかも、ハカを前にしたチームは、ハーフウエーラインから最低10メートル離れなければいけないことまでルール化されており、「不平等」との不満の声は根深い。
 通常、相手チームは肩を組んでハカの舞いを見つめるケースが多いが、前回11年W杯の決勝(ニュージーランド8-7フランス)では、V字の陣形を組んだフランス代表チームがハカを踊るオールブラックスに向かって前進。10メートルルールを破って異常接近、罰金を科されている。オーストラリア代表は過去に何回か、ハカの舞踏中に完全無視を決め込み「敬意に欠く」として批判されたことがある。
 そもそも、サッカーや野球では到底認められないような特例が認められるのも、アマチュアリズムを尊ぶラグビーの特質である。「紳士の遊び」で細かいことに目くじらを立てるな-ということなのだが、時代の変化への対応はハカを演じる方も真似る方も必要かもしれない。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/151018/exe1510180000001-n1.htm

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アイヌ文化じっくり学習 民族博物館で東京の高校生が体験メニュー

2015-10-21 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 10/17)
古式舞踊を披露する和光高校の生徒たち
 東京都町田市の和光高校2年生21人が13日から3日間、白老町のアイヌ民族博物館で各種体験メニューなどを通じてアイヌ文化を学んだ。同館では数日にわたって学習機会を設ける団体ツアーはほかになく、対応した職員も「じっくり時間をかけて説明できた」と理解が深まったことに満足そう。最終日には3日間で覚えた古式舞踊が披露され、生徒たちも「とても楽しかった」と笑顔を見せた。
 和光高校は40年ほど前から、2年生を対象に全国各地で希望するフィールドワークを行う研究旅行を実施。全12コースから生徒が自由に選択できる内容で、アイヌ民族博物館での体験学習は2003年からメニューに加えられ、翌年から毎年行われている。
 生徒たちは13~15日まで登別温泉などに宿泊しながら同博物館に毎日”通学”。手工芸をはじめ民族楽器のムックリ制作やトンコリ演奏、伝統料理の調理、職員の講話、古式舞踊の体験学習などに取り組んできた。
 梅津靖副校長は「日本の(先住民である)アイヌ民族について、中身のあるものをトータルで学べる場所として博物館を選んだ」などと述べ、時間をかけて学習する大切さを強調した。
 生徒たちは博物館職員の指導を受けながらアイヌ民族の伝統文化を体験。古式舞踊のイヨマンテリムセ(熊の霊送りの踊り)は繰り返し練習を重ね、全員が歌と踊りを習得。最終日の15日には学習の集大成として館内の広場で来観客に披露し、大きな拍手を受けた。
 2年生の鵜沼紘さん(16)は「歌って踊ることでアイヌ民族の人たちの感情を体感できた。覚えるのは大変でしたがとても楽しかった」とうれしそうに感想を述べ、踊りの指導を担当した博物館職員の石田慈久恵さんと熊谷由布子さんも生徒たちの完成度の高さに満足そうな表情を見せた。
 石田さんは「一般的な高校の修学旅行の滞在時間は40分ほど。今回は3日間という時間があり、しっかり教えることができた。覚えようと一生懸命に話を聴いてくれて本当にうれしいですね」と語っている。
http://www.tomamin.co.jp/20151031236

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東京の高校生が白老でアイヌ文化を体験、湖畔で踊る

2015-10-21 | アイヌ民族関連
室蘭民報-【2015年10月17日(土)朝刊】
 東京都町田市の和光高校の2年生21人が13~15日の3日間、白老・アイヌ民族博物館でアイヌ文化について学び、最終日には民族衣装を着てクマの霊送りの踊り「イオマンテリムセ」を輪になって披露した。
 2年生240人が「基地問題研究」「エネルギー問題研究」「日本文学研究」など12のコースから一つを選択、同博物館を訪問した生徒たちのコースは「舞踊研究」。同博物館への「研究旅行」を引率した梅津靖副校長が「トータルにいろいろ学べる場所としてここを紹介してもらった」と言うように、生徒たちは3日間、古式舞踊のほかアイヌ文様刺しゅう、竹でできた民族楽器・ムックリの製作と演奏、5弦の竪琴・トンコリの演奏、伝統料理の調理と試食など「フルコース」のアイヌ文化体験となった。
 15日午前、伝統的家屋のチセ内で同博物館職員の指導を受けながら「イオマンテリムセ」の最後の練習に取り組んだ後、集大成となるポロト湖畔での踊り披露に臨んだ。
 「ホイヤー、ホイヤー」「イエーイーエー、ハンルイルイサー」と声を合わせ、手拍子を取りながら輪になって踊る生徒たち。次第に来館者が輪の周りに集まり、カメラを向ける来館者も少なくなかった。
 鈴木香実さんは「知らない言葉を発したり、動きもすごく多くて大変だったけど楽しかった」、戸張海君は「みんなで踊りながら歌って一体感があって楽しいです」と話していた。
 同博物館によると、道外の高校生が複数日来館し、アイヌ文化を学ぶのはほとんど例がないという。 (富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/10/17/20151017m_08.html


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先住民ルカイ族の集落、米財団が文化遺産に認定 台湾2カ所目

2015-10-17 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2015/10/16 18:58

屏東県文化処提供
(ニューヨーク 16日 中央社)歴史的建造物などの文化遺産の保護・保存活動を行っている米国の非営利団体「ワールド・モニュメント財団」(WMF)は15日、緊急に保存・修復などの措置が求められている文化遺産の2016年版のリストを発表した。台湾からは台湾原住民(先住民)ルカイ族の伝統的な石の家屋が残る旧好茶集落(屏東県)が選ばれた。
1996年から2年ごとに発表されている同リストには今回、東京・築地の木造建築群など36カ国・地域50カ所が選出された。2004年には離島・澎湖の古民家が台湾で初めてリスト入りしている。
海抜約1000メートルの高地にある旧好茶集落は「ウンピョウの子孫」を自称するルカイ族発祥の地とされ、ウンピョウの故郷とも呼ばれている。WMFによれば、同地に住むルカイ族は1970年代に新好茶集落に移住。だが、2009年の「八八水害」により新集落は土砂に埋まり、さらなる移転を強いられている。
こうした事情により石の家屋は長年にわたって修理されておらず、一部は台風などにより損傷を受けているが、それでも約160棟が現在もその姿をとどめている。政府は1991年に旧集落を国の古跡として登録したが、保存の難易度は高いとされている。
文化遺産認定の報を聞いた新新好茶集落の大頭目(集落の代表)柯光輝さんは「とてもうれしい」と涙を流した。柯さんは2度の転居を経た現在でも、毎年1度は旧集落を訪れており、いつの日か再び旧集落に戻りたいとの希望を持ち続けているという。
(郭シセン/編集:杉野浩司)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201510160008.aspx

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ケルトへの旅(1)…ハロウィーンだれのため

2015-10-17 | 先住民族関連
読売新聞-2015年10月15日 10時45分
パブの十字架
ケルト十字架の模型に見入る鶴岡さん
 緑色に浮かび上がる石の十字架。中央に刻まれた磔刑たっけいのキリスト像を、太陽を象徴する円環が包み込む。四方へと延びる十字と円環には、聖書の物語をもとにした図像とともに、不思議な組み紐ひもや渦巻きの文様が刻まれている。
 東京・八王子のアイリッシュ・パブ「ゴールウェイ」は、店の奥に十字架が飾られている。この十字架に近いテーブルで、ケルト芸術文化の研究者、鶴岡真弓さんにお会いした。「中世アイルランドの修道院に建てられたケルト十字架の模型です。キリスト像とともに、表現されているケルトの文様。アイルランドで、キリスト教の時代になってからも、異教のケルト文化が残り、融合した証です。それは日本の神道の背景にあった自然崇拝と、仏教とが習合した歴史とも響きあっています」。鶴岡さんは十字架の前に立ち、そう教えてくれた。
 アイルランドに5世紀、キリスト教をもたらしたのは聖パトリック。土着のケルト文化を否定せず、キリストの教えを広めたとされる。アイルランドでは、妖精や自然崇拝に彩られた神話や民間伝承が伝わり、独自の文化と芸術が花開いてきた。ケルト十字架は、その寛容な文化の融合を表している芸術のひとつだ。
神秘の正体
 鶴岡さんに会う5か月ほど前、南青山のパブ「ヘルムズデール」のオーナー、村澤政樹氏らスコットランド通の3人に話を聞いた(「パイプとハギスとウイスキー」)。村澤氏は、こんなふうに話した。「スコットランドに行くと、妖精のように、人間界に存在しないかもしれない神秘的なものの存在を感じるんです。それはケルトの魂かもしれない」
 ケルト人は古代ヨーロッパのアルプス山脈以北に広く分布していた先住民族。前1世紀頃に現在のフランスのガリア地域が、ローマに征服され同化されたが、ケルト文化の末裔まつえいは現在、アイルランドをはじめ、イギリスのスコットランドやウェールズ、フランス北西部のブルターニュなどに生きている。
 村澤氏が、ケルトを深く知りたいのなら会うべきと教えてくれたのが鶴岡さん。早稲田大で美術史を学び、ケルトの伝統を受け継ぐアイルランドに留学。ケルト文化に育まれた独特の装飾美術や神話、文学を研究してきた。多摩美術大学教授であり、アートとデザインを、人文科学、自然科学と結び、人類史のスパンで考えるプロジェクトを推進する同大芸術人類学研究所の所長もつとめる。
 鶴岡さんに聞いてみたかった。ケルトの魂とは一体いかなるものなのか。そして、鶴岡さんはなぜケルトの研究へと導かれたのか――。
 ケルト文化圏の古代遺跡や中世の修道院を訪れると、風に舞う神秘的な存在を感じることがある。あるいはウイスキー造りに使われる泥炭(ピート)の香り、バグパイプの音色にふれるとき、自分の無意識の奥深くに眠るものが呼び起こされるような感覚にとらわれる。そうした貴重な経験を、言葉として取り出せないものか。そんなことを考えながら、鶴岡さんの話を拝聴した。
ギネスの黒は悲しみの色
 テーブルで向かい合い、鶴岡さんはアイリッシュコーヒー、記者はギネスビールを注文した。同じ色彩の飲み物が二つ運ばれてきた。どちらもグラスに入った黒い液体で、その頂に浮かぶ白い泡。一方はコーヒーのホイップクリーム、一方はビールの泡だ。
 「最初にギネスビールの色を見たとき、ダブリン市内を流れるリフィー川と響き合っていると感じました。20世紀の文学者、ジェイムズ・ジョイスもそのように川を眺めていたといいます。黒ビールもコーヒーもリフィー川も、みなアイルランドの深い歴史と哀感をたたえているように映るのです」と鶴岡さんは言った。
 アイルランドは12世紀のノルマン侵攻以来、イングランド王による支配がはじまり、オリバー・クロムウェルの遠征の憂き目にもさらされた。イギリスに併合される19世紀よりも遥か以前から、厳しい植民地支配に耐えてきた。イースター蜂起や独立戦争をへて1922年に自由国となるも、北アイルランドの帰属を巡って闘争が続いた。アイルランドの首都・ダブリンの中央郵便局には、蜂起で命を落とした英雄をたたえる像も残る。
 続いて運ばれてきた「フィッシュ&チップス」。「あっ、久しぶりで嬉うれしい」と笑顔を見せた鶴岡さんだったが、すぐに表情を曇らせた。「アイルランドは魚が豊富にとれ酪農も盛んな島国ですが、主要食糧のジャガイモの大飢饉が歴史に刻まれています。1840年代、ジャガイモの疫病から飢饉ききんとなり、約100万人が死に、100万人以上がアメリカなどに移民として渡ったといわれています」
 この飢饉では、食料支援を行わないなど、当時の英国政府の対応に問題があったとして、飢饉から150年後の1997年、イギリスのブレア首相(当時)がアイルランドの追悼集会で謝罪した。
 「大英帝国を築いたアングロ・サクソンの国が、繁栄と明るいグローバリズムの象徴だったとすれば、ケルト文化圏のアイルランドやスコットランド、ウェールズは、その影の部分を背負わされてきた歴史を記憶しています。ギネスを呑のみ、フィッシュ&チップスを食べるとき、帝国の影であり続けたケルト史と、大飢饉による移民史を思いだす人もいます。人間が起こしてしまう災害もあることを、忘れないためにも」
哀感と反逆
 同じブリテン諸島であっても、「大英帝国」だったイングランドよりも、憂いの歴史あるアイルランドやスコットランドのほうに、日本人はより共感してきたのかもしれない。鶴岡さんはそう考えているようだ。1900年からロンドンに留学し心を病んだ夏目漱石の胸中をこんなふうに察した。「帝国主義の雄となった大英帝国の都・ロンドンは世界の首都だった。現世的な力がすべて。弱き者ははじかれ、周縁に追いやられる。近代人の病や、陰影ある心理を描こうとした漱石には、耐えられなかったのではないか」
 その漱石は英国滞在中、スコットランド中部のピトロッホリーを静養で訪れている。鶴岡さんは、ケルト文化の風土には日本人の繊細な心に響く共通の何かがあるという。「人間が求める安らぎとは、明るい中心の場所にではなく、悲しみをもった人間を、やわらかく包み込んでくれる、野の場所にある。アイルランドの修道院の廃墟や、スコットランドのグレン(渓谷)、ジョン・フォード監督が映画に描いたウェールズの丘を吹きわたる風は、人を癒やし、憩わせてくれる」
 そして反逆の精神。ダブリンの街を記者が歩いて、印象に残ったのは、強気な物乞いのたたずまいだった。ロンドンの物乞いは終始うつむき、通行人に声をかけることはまずない。たまに金を入れる人がいれば、頭を下げて謝辞を述べるぐらいだが、ダブリンの中心街にいた物乞いは眼光鋭く、無言で通り過ぎようとする通行人に「金をくれ」と叫んでいた。記者もにらまれ、追いかけられそうになった。
 隣国の物乞いがなぜこれほど違うのかと不思議に思ったが、その後、「愛蘭土(アイルランド)紀行I 街道をゆく30」(司馬遼太郎著)によく似た話が紹介されていた。「ライフ」誌のベテラン写真家が、堂々とした態度の物乞いに圧倒され、言われるまま小銭をあげたが、そのうち小銭がなくなった。新たに会った物乞いに施しができなかったところ、その物乞いは「地獄で火あぶりの目に遭え、このプロテスタント野郎!」と毒づいたという。
 司馬氏が挿話をひいて指摘したのは、宗教観の違い。アイルランド国民の9割はカトリック。施しは当たり前だし、物乞いをしようと天国にいける。一方、宗教改革によって生まれたプロテスタント(新教)は自助の精神と勤勉を尊んだ。カトリックの信徒は神について教会にゆだねたが、プロテスタントは神に対して直に取引せざるを得なくなった。そうも対比されていた。
 悲しい歴史を背負った国で、貧しさにあえぐ人が叫ぶ。今振り返れば、ダブリンで会った物乞いは「弱いもの、貧しいものが声をあげるのは、当然の権利だろう」と体全体で訴えていたようにも思えてくる。陰と陽、影と光。アイルランドとイギリスを合わせ鏡のように重ねると、いくつもの断面が浮かび上がる。  
ハロウィーンの意味
 ヨーロッパの文明は長らく、古代ギリシャとユダヤ・キリスト教の世界観を2本の支柱とし、また、ギリシャ、ローマを源として完成したと考えられてきた。一方、ローマ帝国以前からヨーロッパ大陸にいたケルト語を話す人たちが残したみごとな装飾美術や自然崇拝の伝統、神話、習俗は時空を超え、様々な形で今に伝えられている。
 ハロウィーンの祭もその一つ。「起源は死者たちのよみがえりの節句、ケルトの万霊節でした。10月31日の夜中、病気や災害や戦争で亡くなった人々の霊が肉体をもってよみがえり、供養され、生きている人たちにパワーを吹き込む」と鶴岡さん。厳しい冬を前にした10月31日はケルトの大みそかでありお盆。古い時間が新しい時間に反転し、浄化され、明けて11月1日がお正月、1年がこの日からはじまるのである。
 後にキリスト教の聖人祭として教会の暦に取り込まれ、ヨーロッパからアメリカに渡った人たちが、もとはカブでつくられた提灯にカボチャを使うようになり、子供たちがお菓子をもらう儀礼は、派手な仮装行列となった。「現代人は、今生きている自分たちこそが主人公で、すべてのことを動かしていると思い込んでいますが、この自然や宇宙はもちろん、現世の生命力も、祖先や死んだ人たちの霊から、贈与されているものなのだという直感が、ケルトの人々にあったのです。精霊に感謝する。それは日本人の自然や祖霊崇拝にも通じています」
 そして鶴岡さんは、胸に手をあて遠くを見つめるような目で、こう言った。「人間は自然界や死者からエネルギーをもらい、日々、再生しながら生きている。この懐に、死んでいった人々への思いを抱いて、今を生かさせていただいている、と感謝しなければなりません」
 「図説 ケルトの歴史」(河出書房新社)のなかで、鶴岡さんは書いている。古代ギリシャとユダヤ・キリスト教の根底に流れるのは「世界は普遍の法則によって決定・支配されている」という強い信念だが、ケルトの世界観には、「万物は常に移ろい動き、変化を続ける」という感覚があふれている、と。
 人は、生まれて死ぬのでなく、死を抱えて生まれてくる。毎朝、死から生へ、新しい自分へと再生する。生と死は、常に反転しながら合流し、生者と死者は再生を願うことで、つながっている。そこに、合理的な思考と科学的な知識を身につけた現代人とは逆転した死生観がある。現代人が共有すべき、忘れかけていた思想がある。 
 (メディア局編集部 小坂剛)
http://www.yomiuri.co.jp/life/drink/sakaba/20151015-OYT8T50006.html

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カナダ、先住民インディアンの事務所が不審者に襲撃

2015-10-17 | 先住民族関連
Sputnik 日本-2015年10月15日 15:24
カナダのブリティッシュコロンビア州、ブリッジ・リバー市で先住民族のインディアンの事務所を不審者が襲撃し、10人に怪我を負わせた。CTVテレビの報道では、襲撃した不審者は死亡している。
ネイティブアメリカンは「ジェノサイド」を受けたか、女子大生の授業締め出し問題が世論で注目
CTVの報道によれば、不審者は事務所に押し入り、ハンマーで職員を打ち始めた。警察が現場に駆けつける前に事務所の職員らは不審者を捕らえ、縛った。その後、犯人は意識をなくし、死亡した。負傷した10人のうち、2人は重症。
ブリッジ・リバーの先住民の指導者、スーザン・ジェイムス氏は「これは正真正銘の悲劇。種族全体がショックを受けている」と語っている。ブリッジ・リバー市はブリティッシュコロンビア州最大の都市バンクーバーの北東260キロに位置する。
http://jp.sputniknews.com/incidents/20151015/1035049.html

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台湾大学で先住民「セデック族」の特別展 生活の様子詳細に

2015-10-17 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾-2015/10/15 12:08

民族衣装を身にまとうセデック族の若い女性たち=南投県政府提供
(台北 15日 中央社)台湾大学人類学博物館は16日から、台湾原住民「セデック族」の特別展示を行う。実際に使われていた文物を陳列し、集落での暮らしを紹介する。
セデック族は長年タイヤル族の支族として認識されていたが、2008年4月に独立が認められた。
今回の展示では「ガヤ」と呼ばれる各家庭で年長者が若者などに伝承する生活の規範に焦点を当てた。同館では「理解を深めてほしい」としている。11月30日まで。
(編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201510150004.aspx

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アウシュビィッツで想う~沖縄とベトナム

2015-10-17 | ウチナー・沖縄
ハフィントンポスト-2015年10月15日 11時55分
 アウシュビィッツ訪問を決心した。7月、ベルリンで国際学会に出ての帰途に初めてポーランドを訪れた。前日にポーランドの古都クラクフに入り、いよいよ見学の朝、アウシュビィッツ博物館前の入り口で中谷剛(なかたに・たけし)さんに迎えていただいた。中谷さんは博物館所属の唯一の日本語公式ガイドだ。10人くらいの日本人が彼を取り囲む。
 「はい、ここが収容所の入り口。収容所といっても、7割くらいの子どもや妊婦、老人らは働けないので、すぐガス室で殺されました。働けそうな3割だけが強制労働をさせられ・・・」。本やテレビで知ってはいたが、いざ実際に足を踏み入れると鳥肌が立つ。
 「ナチスはユダヤ人が劣った民族だとして、地上で苦しみながら生活するよりは殺して解放したほうがよい、などと勝手な話をこしらえて殺したのです。その数150万人・・・」
 それは、太平洋戦争で、日本が西欧列強の植民地から、アジアの民族を解放してあげようという大東亜共栄圏の話と何だか似ていないか。大きな戦闘がなかったベトナムでさえ、日本軍の食糧や物資の調達先になったおかげで、諸説あるなか、数万人規模から最大では200万人が餓死したと言われている。

アウシュビッツを案内する中谷さん(右)=田口雅弘さん撮影
 「なぜこんなことができたか。ワイマール憲法のもとで民主的な選挙で3割の票を得ただけのナチスが、日和見的な他の党を取り込んで過半数を得て、どんどん法律を作ったからです。ここで行われた蛮行はすべて法律にのっとったものでした」
 うーん、これもどっかの国の話と似ていないか。
 このごろの日本は、今までになかった新しいタイプの法律がどんどん作られようとしている。「関係法令に則(のっと)って粛々と進める」のは、筆者の住む沖縄でつくられようとしている辺野古の新米軍基地とおんなじだ。
 「一民族を完全に撲滅するのが目的でしたから、子どもも妊婦もどんどん殺されました。上官の命令に従っただけだと、現場のドイツ兵に罪悪感はありませんでした」
 説明を聞きながら、またベトナムのことが思い浮かんだ。日本が輸出する原発の立地場所に住む先住民族、チャムの人が言っていた。「(ベトナムで多数を占める)キン人の共産党幹部がねえ、こんなひどい暴言を吐いたんですよ。原発が事故をおこしても、チャム人は人口が多いから少々減ってもいいでしょ、なんてね」
「自分たちと違う存在」だから
 太平洋戦争末期に捨て石にされたという沖縄も、どうだろう。うちなーぐちの使用を禁止する。日本軍がガマに逃げ込んだ一般市民に集団自決を強要する。スパイの疑いをかけて住民を殺す、等々。
 「自分たちと違う存在」だったからこそ、沖縄を「捨てる」ことができたのか。そして、本土の政治家は、普天間の移設先は沖縄以外にはないと断言する。違う人々の住む場所だからなのか。
 自分たちと違う人々を「民族」単位に押し込めて、数だけで認識する。そこにはひとりひとりの人生や命への視点はまったく欠如している。だから機械的に殺せるし、危険なものも押し付ける。個人対個人で付き合ってみれば、無二の親友や生涯の伴侶だって見つかるかもしれない、同じ人間なのに・・・
 アウシュビィッツと、そこから3キロ離れたビルケナウの2カ所の収容所を、たっぷり3時間半ほどかけて案内してもらった。5キロくらい歩いたような気がする。
 最後に中谷さんはこう言った。
 「おかげでよくわかりました、ありがとう、これからもがんばってください、とだけ言って帰っていく人が多いです。皆さんはここで学んだことをどうぞ行動につなげてください」
 なるほどその通りだ。沖縄に帰ったら、またせっせと辺野古へ通うことにしよう。それから、ベトナムへの原発輸出についても情報発信を続けようと思う。アウシュビィッツの悲劇にまでは至らなくても、そこに通じる「プチ・アウシュビィッツ」が、どうやら世の中には多いようだから。
AJWフォーラム英語版論文
(2015年10月13日「AJWフォーラム」より転載)
http://www.huffingtonpost.jp/michiko-yoshii/okinawa-vietnam_b_8298308.html

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「夷酋列像」展、安倍首相夫人が鑑賞 北海道博物館

2015-10-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/15 06:05
 札幌市厚別区の北海道博物館で開催中の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」展(北海道博物館、北海道歴史文化財団、北海道新聞社でつくる実行委員会などが主催)を14日、首相夫人の安倍昭恵さん(53)が訪れ、江戸時代後期に描かれた精密な絵画を鑑賞した。
 夷酋列像は、松前藩家老で画人蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764~1826年)が、アイヌ民族の首長ら12人を描いた作品。長く行方不明だったが、1984年にフランスのブザンソン美術考古学博物館で11点が見つかった。
 夷酋列像展では、全国各地にある模写本や蝦夷錦(えぞにしき)などの交易品なども含め、計約130点を展示している。11月8日まで。観覧料は一般千円、高校・大学生500円、中学生300円。(続きは登録)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0190640.html

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安田巌城の功績後世へ 孫の弘さん24日帯広で講演

2015-10-17 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2015年10月14日 13時58分

 【帯広】十勝最初の歴史書で管内各市町村史の基にもなっている「十勝史」を記し、歌人としても活躍した安田巌城(やすだ・がんじょう、1863~1928年)について、巌城の孫の安田弘さん(81)=帯広市在住=が24日、とかちプラザで開かれるセミナーの中で講演する。巌城は同じ年代に活躍した依田勉三らと比較して謎の部分が多く、弘さんは自宅に残る資料を当たるなど研究を続けてきた。弘さんは「巌城について対外的に語るのは最初で最後になると思う」と話し、巌城の功績に光が当たることを望んでいる。
 巌城は福岡県生まれ。兄は新聞「日本」を創刊し、「九州日報」(現西日本新聞の前身の一つ)で社長兼主筆、衆院議員も務めた福本日南。
 巌城は福岡藩の役人として北海道に赴任した父や、北海道開拓を志した日南の意志を継ぎ、篠路村(現札幌市)に移住。道庁の視学官として十勝地方の視察などを行った。台湾勤務などを経て、1904年に河西支庁第二課拓殖係として帯広に赴任。アイヌへの教育の必要性を訴え、第二伏古尋常小学校の設立に奔走するなどした。自身もアイヌ語や文化を研究。当時の河西支庁長から委嘱され、数年かけて執筆した「十勝史」はその後、各市町村史として利用された。
 「巌城は自分の功績をひけらかすことや、お金の話を極端に嫌った」(弘さん)といい、十勝史には著者の名前が登場しない。こうした巌城の考えを尊重する意味もあり、家族も自宅に残る巌城の資料を、郷土史研究の第一人者だった木呂子敏彦さん(2005年死去)ら一部を除いて公開していなかった。
 このため、弘さんは巌城の功績が埋もれることなく後世に残していけるようにと自身で研究を続けた。弘さんの最近の調査では、長年不明となっていた十勝史の序詞を書いた人物が、明治天皇の側近で、帯広-釧路間の鉄道開通を受け、視察のため帯広に滞在していた藤波言忠であったことが分かるなど、新たな発見もある。
 24日のセミナーは大津・十勝川学会の研究セミナーとして開かれ、講演で弘さんは研究の成果や巌城の足跡について語る。午後2時から。参加費は一般500円、会員は無料。問い合わせは同学会事務局(015・579・5801、豊頃町教育委員会内)へ。

<安田巌城>
 1863年福岡県生まれ。本名は安田直(なおし)。父の実家である安田家の養子となる。早稲田学校(現早稲田大学)で学び、同校で指導者となった後、北海道へ移住。帯広赴任後は「十勝史」や「十勝地名解」を執筆。依田勉三や晩成社、二宮尊親らとの交友もあり、開拓期の先駆者12人による七言絶句の寄せ書きにも名を連ねている。
http://www.tokachi.co.jp/news/201510/20151014-0022029.php

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