赤羽じゅんこの三日坊主日記

絵本と童話の本棚
日々のあれこれと、読んだ本のことなど書いていきます。

木と人間の物語

2013-12-11 08:05:27 | 日記
『千の種のわたしへ』さとうまきこ 偕成社を読みました。
クスノキの精が不登校の女の子に、不思議な訪問者をつかわす。その訪問者たちの悲惨な人生を聞いて、女の子が少しずつ変わっていく……、ざっといえばそのようなストーリーです。
わたしも不登校の子の話を書いたし、さとうまきこさんは、ずっと自分のスタイルで書き続けている姿勢がとても好きなので、手にとりました。

ただ、これを読んだあと、数年前話題になった『怪物はささやく』と比べてしまう読者も多いだろうと思いました。わたしもそうです。『怪物はささやく』では、イチイの木が少年に三っつの悲惨な話をします。四っつめは自分で話せといいます。
ひたひたという怖さと、少年の内面の哀しみやつらさがえぐるように書かれていて、回りの人とのかかわりにも嘘がなくて、とても読み応えあるものでした。
まさに、『物語は暴れん坊だ。・・・・まさに油断のならない生き物だ』――池田真紀子 本書訳者あとがきより  が感じられる、迫力ある作品です。

最近、日本の児童書には、なかなか物語の暴れん坊があらわれないような気がします。見えないマニュアルにしばられて、かわいくラッピングされているるような……。
(決して上から目線のつもりではなく、わたしもそんな書き手のひとりかもしれないという自戒をこめています)

前者がクスノキ、後者がイチイの木、これもお国柄で違いましたが、そこの土地でのシンボルツリー、人の心のよりどろこになる木という点では一致しているのでしょう。また、立ち止まって困っている思春期の人に、木が影響を与えるという点でも似ています。ただ、その描きかたに、日本らしさ、英国らしさで、大きな違いがでているように思いました。

最近出版された、ももたろう同人の山本悦子さんの幼年童話『くつかくしたのだあれ?』にも、クスノキが登場しています。木が人間に影響を与える、ひとつの普遍的なテーマなのかもしれませんね。木にとっては、人間なんてまだまだ赤ちゃんみたいなものかもしれないから。

で、昨日の娘のラムネとの雑談。
電車ですごい会話を聞いたと話てくれました。
「若いって言われると、うれしいよね」て、いってるので、ふりむくと、なんと高校生だったとか。
「そうだよね」
「これ以上、年とりたくないよね」とわいわい、がやがや。
美人でタレントにしたいくらい、おしゃれな子たちのグループだったようです。
娘は「わたしくらいの年になっていってよ」っと、心の中で憤慨したそうで、わたしはそれをきいて、「わたしくらいなってから、いってよ」と思いました。きっと、もう少し年上に聞けば、また、そういう答えが返ってくるでしょう。

その子たちの会話のしめくくりは、「30才になったら、生きていたくない」だったそうな。
その気持ちもうっすらわかりますが、年をとったらとったで、気負いが抜けて楽しくなる部分もあるのにな、とも思いました。
高校生、すてきな大人をめざそうよ!!