読書でも音楽でも、そしてオーディオでもおよそ趣味と名がつく世界では微細な点まで他人と「好み」が一致することはまず”ない”というのが自分の見立て。
したがって、他人の意見は「参考にすれどもとらわれず」を堅持しているつもりだが、プロの音楽家が推奨する曲目ばかりは一度聴いてみたいという誘惑にかられてしまう。
「鶴我裕子」(つるが ひろこ)さんが書かれたエッセイ集「バイオリニストは目が赤い」を読んだときもそうだった。
鶴我さんは福岡県生まれで、東京芸大卒。1975年(昭和35年)にNHK交響楽団に入団され、第一バイオリン奏者を32年間務められた。
この本(新潮文庫)の50頁に、(鶴我さんは)「腹心のレコード」を2枚持っていて、愛聴し始めて20年、雨の日も風の日もこの2枚で心の支えを得ているという行(くだり)があった。
その2枚の内訳とはフィッシャー=ディースカウの「シュトラウス歌曲集」と、もう一枚は「フリッツ・クライスラーの小品集」。
ディースカウは確実に後世に名前が残る大歌手(バリトン)だし、クライスラーは1930年代頃を中心に活躍した名バイオリニスト。
とりあえず、クライスラーをネットで購入しようと検索したところ該当盤なし、仕方なくオークションを覗いたところありました!
どんなに当時の録音が悪くてもクライスラーの演奏だけは「別格」と聞かされているので迷うことなく入札に参加し、スンナリ落札。
「フリッツ・クライスラーの芸術10CD」
で、クライスラーは首尾よくいったが、問題はディースカウの「(リヒャルト)シュトラウス」歌曲集。ピアノ伴奏がムーアのものはよほどのことがない限り、もう手に入りそうにない予感がする。
仕方なく間に合わせのつもりで、手元にある「冬の旅」(シューベルト)を引っ張り出して聴いてみた。ピアノ伴奏はイェルク・デムス。
ディースカウは生涯に亘ってこの歌曲集を7回録音しているが、巷間ではムーアの伴奏によるものが一番評価が高いようだ。
この曲には少しばかりの想い出がある。
たしか40歳代の頃だったが、当時、あるきっかけで大分市にお住まいのK先生(医師)宅にしょっちゅう出入りしていた。
当該地区の御三家と称された大病院の院長さんで、今はもう亡くなられたが、広くて天井の高い専用のオーディオルームでタンノイのオートグラフを「TVA1」(M&オースティン)という真空管アンプ(KT88のプッシュプル)で駆動されていた。
今となってはオートグラフの音質は自分の求める方向とは違うと分かっているものの、当時は深々とした音色に大いに感動し憧れたものだった。
そのK先生が愛聴されていたのが「冬の旅」だった。
「疎ましい冬の季節に旅をするなんて誰もが嫌がるものだが、あえてそういう時期を選んで旅をする。
人間はそういう困難な環境を厭わずに身をさらす気概が必要なんだ。医学生の頃に友だちと一緒にこの曲をよく聴いたものだよ」ということだった。
「冬の旅」というタイトルのほんとうの意味は決してそうではなかったようだが、当時は知る由もなかった。
短い生涯に600曲にものぼる歌曲を書いてドイツ・リート(芸術歌曲)の花を咲かせたシューベルトの集大成となるのがこの「冬の旅」。
亡くなる前の年に作曲されたもので、暗い幻想に満ちた24曲があまねく網羅されている。あの有名な「菩提樹」は5曲目。
11月の中旬ともなるとかなり冷えてきてヒンヤリとした午後の鑑賞だったが暗い気持ちに包まれた70分あまりの時間だった。
試聴後の印象は、シューベルトの薄幸の生涯を全体的に象徴しているかのようだったが、こういう曲目を愛好する人っていったいどういう心境の持ち主なんだろうとつい考えてしまった。
少なくとも叙情的な接し方をはるかに超越した、根っからのクラシックファンには違いない。
最晩年は宗教曲ばかり聴かれていたK先生のイメージが折り重なるようにふつふつと湧き上がってきた。
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