オーディオ環境も随分良くなってきたようだし、これからは意欲的に音楽を聴いて愛聴盤を紹介していきたい。
さて、ヴァイオリンはとても好きな楽器の一つだが、ヴァイオリン・ソナタとなると真冬のせいもあって何だか肌寒い感じがしてきてあまり聴く気になれず、腰をすえて聴くとなるとやはり協奏曲に尽きる。
この「愛聴盤紹介コーナー」ではこれまで、モーツァルト、ブラームスといった大物達のヴァイオリン協奏曲を相次いで取り上げたが、フィンランドの国民的な大作曲家シベリウス(1865~1957)の名品とされる「ヴァイオリン協奏曲」も外すわけにはいかない。
現在の手持ちの盤は次のとおり。(番号の横が演奏者:録音時期順)
①ジネット・ヌヴー ジュスキント指揮 フィルハーモニア交響楽団
録音1946年
②カミラ・ウィックス エールリンク指揮 ストックホルム放送交響楽団
録音1951年
③ヤッシャ・ハイフェッツ ヘンドル指揮 シカゴ交響楽団
録音1959年
④ダヴィド・オイストラフ オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
録音1959年
⑤ダヴィド・オイストラフ ロジストヴェンスキー指揮 ソヴィエト国立放送交響楽団
録音1965年(ライブ)
⑥サルヴァトーレ・アッカルド コリン・デービス指揮 ロンドン交響楽団
録音1979年
この「ヴァイオリン協奏曲作品47」は1903年、シベリウスが37歳のときの作品で、
第一楽章 アレグロ・モデラート(約16分)
第二楽章 アダージョ・ディ・モルト(約8分)
第三楽章 アレグロ・マ・ノン・タント(約8分)計約32分で構成されている。
第一楽章に最大の重点が置かれ、独奏ヴァイオリンの登場のしかたが非常に魅力的で女流ヴァイリニストのレパートリーに必ず入っているといっていいほどの人気作品。
シベリウスの音楽については五味康祐氏の名著「西方の音」(118~127頁)に詳しい記述がある。
「フィンランドの民話と伝説と、心象風景への愛をうたいあげ、シベリウスといえばフィンランド、それほど強烈な個性を彼の音楽に育ませたのは母国への愛そのものだった。しかし、後半期の作品に楽想の枯渇が見られることからその音楽的生命と才能は三十台の後半で咲ききるものだった」(要約)と例によって五味さん独自の辛らつな考察が展開されている。
その意味では、このヴァイオリン協奏曲はシベリウスの創作の絶頂期に位置する作品ともいえる。
シベリウス自身も若いときにヴァイオリニストを志し、挫折して作曲家に転じたのでヴァイオリンに格別の愛着を持っていたことから、北欧の憂愁が全編を覆い、超絶技巧と独特の透明感が絶妙に絡み合って、極めてレベルの高い作品となり北欧音楽最高傑作の一つといわれている。
この作品を自分がはじめて聴いたのは湯布院のAさん宅でアッカルド盤だったが独奏ヴァイオリンの息の長い旋律、冷たく暗い音感が実に印象的で、聴き終わったときに深い感銘を覚えた。
早速、同じアッカルド盤を購入したが当然それだけではあきたらず以後、例によってコツコツと同曲異種の盤を集めて上記のように6セットとなってしまった。
一演奏あたり約30分、全体をとおして聴いても約3時間前後と充分集中力に耐えうる時間なので、比較する意味で6セットを年代順に一気に聴いてみた。
【試聴結果】
①フランスの女流ヴァイオリニスト・ヌヴーは1949年に航空事故のため30歳で亡くなったがいまだにその才能を惜しむ声が多い。若年のときの国際コンクールでヌヴーが第一位、二位がなんとあのオイストラフだったのは有名な話で同世代の中では才能が抜きん出ていたという。
この盤については、たしかな技巧、高貴な気品、底流にある情熱、第二楽章の瞑想的な演奏にはほんとうに胸を打たれる。女流にしては実に線が太い。しかし、何せ当時のことなので録音がいまいち。もちろんモノラルで周波数の最低域と最高域をスパッとカットしていて、ノイズはまったくないがオーケストラの音が人工的で物足りない。はじめから独奏ヴァイオリンとして聴く心積もりが必要。
②シベリウスは92歳の天寿をまっとうしたが、生存中の晩年アメリカの女流カミラ・ウィックスの演奏を聴いて「理想の名演」と賛辞を贈り自宅に招いて歓談のときを過ごしたという。
いわばこの盤は作曲家お墨付きの演奏ということだが、何といってもおおもとの楽譜作成者の後押しがあるのは強力で、音楽市場での売れ行きもよいようだ。
それはそうだろう。この協奏曲を愛好するものであれば作曲家自身が推薦する演奏を絶対に素通りするわけにはいかない。
結局この盤を購入した自分も間違いなくその一人で、この際じっくりと聴いてみたが、ヴァイオリンもオーケストラも軽量級の一言。盛り上がりに欠けており、胸が震えてくるような湧き上がる感動を何ら覚えなかった。ヌヴー盤には、「はるかに及ばず」というのが正直な印象。失礼な言い方だが壮年期のシベリウスなら「ウィックス=ベスト」論も説得力があるのだろうがというのが大胆な意見。
③専門誌の評価が高くいわば本命の登場である。さすがにハイフェッツ。冷ややかな抒情、鋭い音感、壮麗明快な技巧において非の打ちどころがない演奏。怜悧な精密機械ぶりが北欧の雰囲気とマッチしている感があるがはっきりいってこれは自分の好みではない。また指揮も含めてオーケストラがタメのきいていない感じの演奏で盛り上げ方が希薄。総合的にみて満たされない思いがする。
④オイストラフが51歳という全盛時代の終盤に位置する演奏。アメリカ演奏旅行中に収録されたもので、ヴァイオリンの冴えは相変わらずだが、オーケストラがやや目立ちすぎで両者の息がいまひとつ合っていない印象。それにアメリカのオーケストラでは森と湖の国、冷たい空気に満たされた北欧フィンランドの雰囲気は無理だというのが感想。
⑤オーケストラが控えめで、きちんとヴァイオリンの引き立て役に回っており好ましい印象。オイストラフも④に比べてエネルギッシュで元気がある。これはライブ盤だがやはり地元の利なのだろうか。全編を北欧の寒々とした自然を思わせる抒情味が貫いている印象で、こちらの演奏の方が④よりずっと好き。
第二楽章のアダージョではオイストラフの思うがままの独壇場で北欧風の憧れと郷愁がそこはかとなく漂っていて実に気持ちがいい。
⑥さすがにコリン・デービス(指揮)、盛り上げ方も充分で独奏ヴァイオリンの引き立て方を知っている。オーケストラに限ってはこれがベストだと思う。アッカルドはこれといって不満はないのだが、やや小粒で線が細い印象がする。ヴァイオリンの音色にもっと厚みと太さが欲しい。しかし、第二楽章のアダージョはなかなか聴かせる。アレグロよりもアダージョの方が得意のようだ。
ひととおり6セットを試聴した後に、どうも気になって再度①のヌヴー盤だけを聴き直してみた。
ウーン、これは凄い演奏、もうまるで次元が違う!言葉では表現しにくいがここにはハイフェッツもオイストラフからさえも伺えなかった音楽の生命力のようなものがある。”人を心から感動させる神聖な炎が燃えている、こういう演奏が聴きたかったんだ!”そう思ったとたんに年甲斐もなく目がしらが熱くなった。
この空前絶後の演奏の前には、録音の悪さも、オーケストラの貧弱さもまったく帳消しでこの盤をNo.1にすることにまったく「ためらい」を覚えない。
ヌヴーのこの録音はシベリウス存命中のときなので作曲家は当然この演奏を知っていたはず、その上でウィックスを「理想の名演」としたわけだが、なーに、作曲家であっても一時的な意見なんて知ったこっちゃない、自分の感性を信じ、自分なりの引き出しを持つのみである。
それにしても、こうやって他の演奏者をひととおり聴いた後(あと)でなければヌヴーの真髄に触れることが出来なかったのは一体どういうわけだろう?
とにかく、ヌヴーは今回の試聴で大収穫だったが、今更ながら有り余る才能を残しての早世はほんとうに惜しまれる・・・・。
彼女に「人の2倍明るく輝き、人の半分しか燃えなかった炎」というある墓碑銘をそっくり捧げよう。
なお、この協奏曲はどうも女流との相性がいい気がする。ほかにもムターやチョン・キョンファが評判がいいようなのでいずれ取り寄せて聴いてみたいもの。
①ヌヴー盤 ②ウィックス盤 ③ハイフェッツ盤
④オイストラフ盤 ⑤オイストラフ盤 ⑥アッカルド盤