皇居に行くことにしました。
東京駅。
(17/09/27撮影)
和田倉噴水公園に、赤の鮮やかな花がありました。
クササンタンカ(草山丹花)でいいのかなぁ。
二重橋に行きました、
まだ観光客はいなかったので詰所の警察官に話しかけると、昔の写真を見せてくれながら観光ガイドのような説明をしてくれました。
二重橋は手前の石橋ではなく奥の鉄橋で、昔は二段の橋だったので二重橋。
島倉千代子の歌の時は既に一段になっていた・・などなど。
更に進んでいると、騎馬警官の訓練(たぶん)に出会いました。
そのうち一頭の馬が落し物をすると、近くにいた車から降りた人が拾っていました。
そして、ここでの目的として頭に浮かんだ楠木正成の銅像を見に行きました。
「これは、別子銅山開坑200年記念事業として献納したもので、住友家が1891年(明治23年)に東京美術学校(現・東京芸大)に製作を依頼し、同鉱山の銅を用いて高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより、10年を費やし完成しました。」だそうです。
まだ長い待ち時間があったので、次の場所に向かいました。
東京駅。
(17/09/27撮影)
和田倉噴水公園に、赤の鮮やかな花がありました。
クササンタンカ(草山丹花)でいいのかなぁ。
二重橋に行きました、
まだ観光客はいなかったので詰所の警察官に話しかけると、昔の写真を見せてくれながら観光ガイドのような説明をしてくれました。
二重橋は手前の石橋ではなく奥の鉄橋で、昔は二段の橋だったので二重橋。
島倉千代子の歌の時は既に一段になっていた・・などなど。
更に進んでいると、騎馬警官の訓練(たぶん)に出会いました。
そのうち一頭の馬が落し物をすると、近くにいた車から降りた人が拾っていました。
そして、ここでの目的として頭に浮かんだ楠木正成の銅像を見に行きました。
「これは、別子銅山開坑200年記念事業として献納したもので、住友家が1891年(明治23年)に東京美術学校(現・東京芸大)に製作を依頼し、同鉱山の銅を用いて高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより、10年を費やし完成しました。」だそうです。
まだ長い待ち時間があったので、次の場所に向かいました。