また「冥土の旅の一里塚」に到着したと思いながら・・、近くにも一里塚があった事がふと気になりだして・・、
Wikiによれば、「日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。・・・」
それはそれとして、新年を迎えて、食べそこなっていた年越しそばを頂きながら、初日の出のテレビ中継を見ながら・・、残っている前年の記事を優先して投稿します。
庭木をバッサリ切るようにしていて・・、太い幹の白の山茶花は新しい枝を多く出して、低い位置にそこそこの花を着けましたが、
狭い場所にある赤の山茶花は更に枝を落としたので、花を着けないかと思っていたけれど・・、一輪、開花していました。
(足元は、鳥さんが運んだ南天。)
(22/12/29撮影)
高いので、お尻から。