今日は早朝より徳島県の那賀郡那賀町へ仕事で出向いた。数年前に那賀郡は一郡一町に成ったが其の前は、山奥から木沢村、木頭村、相生町、鷲敷町、羽ノ浦町、那賀川町と続き西日本の第二高峰の「剣山」から紀伊水道側の海岸線まで続く郡であった。其の内の平野部の羽ノ浦町と那賀川町の2町が阿南市と合併し阿南市に成り、其れ以外の町村は合併して一郡一町の那賀町に成った。今日の仕事は旧の木沢村と旧の木頭村の境界線に有る出合と言う地区の近く、此の場所で木沢村側からの川と木頭村側からの川が合流し那賀川と成り其の流れは我家の前を流れて9Km程で紀伊水道に流れ出る。
今年は徳島県の南部方面は極端に雨が少なく此処2週間程、確り降る雨が無く、工業用水と農業用水は止水制限が行われているが飲料用は制限無しの状態、町内の広報では頻りに[節水に御協力下さい」とアナウンスされて居たので那賀川水系の途中に在る長安口ダムの水位が如何程なのか?見に行った。1週間前に見た時よりも湖面は更に水位が10mほど下がり山際の斜面は剥き出しに成っていた。其の上流に有る。出合橋の近くまでは先週は、船外機付きのボートで川を上る事が出来たが 今日は出合橋近くの水位は下がり川底がはっきり見える状態でボートでは船底が川底に接触する状態で川上に向いて航行出来ない状態に成っていた。
徳島県は山の面積比率が高く山また山の県で、特に那賀奥は雨も多く、林業の盛んな土地柄なのだが今年は空梅雨状態で梅雨明けも早く7月初旬に気象台から発表されたが 其の後、強い雨が降らず、晴天続きの状態、全国的な暑さの中で農業関係者や多量の水を必要とする工場関係者は頭が痛い様で有る。私の家の横を流れる岡川(この辺一体を潤す農業用水路は)水が流れて居たので現実味を感じなかったが関係部署は大変な状態らしい。大雨は困るが近日中に確りした雨が欲しいものだ。場所によっては雨乞い儀式が話題に成って居るらしい。
昨日は昼からアルバイトが有りダム湖で採取した水のサンプルを高松市まで配達した。先週はダム湖に降りて船外機の付いたボートで定められた湖面の場所からサンプリングを採取し徳島県の山奥から高松市までの往復で約300Kmを走破したが、今回は実家の会社から高松市までの往復の200Km弱の運送仕事、車はエアコンが効くのでドライブ気分宜しく会社を出た。ところが此の日は盆明けの平日で(仕事が始まる日)有ったので徳島市内への道は停滞しており徳島市内を抜けるのに約1時間を要した。高松へ向かう高速道路に入ると、高松方面に向かう車線は流れていたが神戸に向かう車線は引田から上板の手前までは渋滞してノロノロ運転の流れ、矢張りお盆休みが終わりUターン組が多いのだろう。神戸大阪への帰省は山陽道よりも(愛媛、香川県側からの)徳島経由の明石大橋経由の方が渋滞が少なく時間的にも読みやすいのでたくさん利用されて居る様である。
高松市内は今年は直ぐに週末の連休がある為、休み組が多いのか?余り市内は車が混んで折らず順調に目的地まで進む事が出来た。サンプルを配達したら直ぐにトンボ帰りで三木ICから高速に入り徳島に向かった。来る時に見た香川県と徳島県の県境辺りから予想通り渋滞が始まりハザード・ランプを点灯しながらスピード・ダウンそして車は動か無くなった。県境付近の大半部分は一車線なのだが私が泊まった場所は追い越し車線の有る二車線部分で残り100mくらいで一車線に成る微妙な部分、常識的な人は走行車線部分に順序良く並んで順番を待っているのだが(私の後ろは見えないくらいまでびっしり並んでいた)オオチャクな連中は追い越し車線側をどんどん入って来て方向指示器を出し割り込みを開始してドンドン詰めて来る。あと少し行くと一車線の部分に成る間に割り込みは50台を越した。こうなると割り込まれる方は心中穏やかでない。両者のしのぎ合いが始まり後ろで見ていても割り込み側の強引さが目立つ様に成り、やがて合流点付近がギクシャクして来た。其の内、2台前の車同士がゴッンコ(接触事故を起こした)暫く揉めていたが車道をふさいだ状態での揉め事に後続車が「揉め事なら横で遣れ」と罵声が飛び両車両は側帯に移動した。帰省中の高速道路で事故を起こして此れから先の事を考えると大変な事で御苦労様である。数百メートル前からハザード・ランプを点灯して車が止まっていたら其の後ろに止まる常識は無いのだろうか?最近は自己中の人間が多い事に驚かされた。
7月29日の夜、蒸し暑かったので上半身裸で寝たら翌朝、喉の奥がいがらっぽい感じで違和感がしたが其の日も祖谷の菅生で仕事の予定が有った為、朝の4時起き、実家に5時前に集合し三好市に向かった。徳島市からは高速で井川町まで行き、其の後は国道32号線を南下し祖谷口から祖谷の奥の菅生までは山道を登り、8時少し前に待合せ場所に到着した。地元のホテルに滞在した依頼元の方々は9時前に来られて、作業内容と注意事項の確認が終わったら谷に下りて作業開始、幸いな事に標高が有った事と天気が曇りで有った事により、順調に作業は進んだが其れでも上半身はビッショリ汗をかく状態に、これが晴天だと大変な状態だろうな?と思った。
夕方の4時頃に作業が終わり、使用した機材の荷揚げ段階に成ったが250m位の山道を2往復する事に、最初は土のサンプルを採る為のドリルの刃、10cmφ以上の2m長の物を肩に担いで山道を登ったが歩く度に螺旋状の刃か肩に食込み痛くて参った。2回目はホンダの16iの発電機を太郎さんが二宮金次郎の様に背中に背負い登る羽目に・・・・・・車の駐車場まで上がると息切れで「ハァ~ハァ~」成るし、全身の毛穴から汗が噴き出る様に感じた。発電機は重量が約20Kg、よく考えてみると私の身長からすると理想的な体重は65Kg程だが実際の体重はは85Kg近く有り、標準体重からすると何と何時もホンダの16iを体に巻付けて歩いて居る様なもの、日常の生活では余り感じなかったが同じ排気量のエンジンで此れだけの余分の脂身をつけて日常生活を送って居ると考えると其の負担の大きさに恐ろしく成った。
私は現在、毎日5Km位を歩いて減量しているが其の効果は余り出て居ない。単純に考えて私の場合は標準体重の人と比較すると16iをもう1台、同時に持運びしている事と同じ理屈になる事を思うと「道理で体が重いはずだ」もう少し真剣に減量を考えねばと思った。
寝冷えに寄る、夏風邪は未だ完治せず「夏風邪はひつこい」の言い伝えの如く現在も本調子に成らない。昔の野球選手(今は何処かの監督をしている)絶好調男の状態に早く戻りたいものだ。
先日、久振りに祖谷地方に行った。この地は「日本三大秘境」の一つ「日本三大秘境は白川郷(岐阜県大野郡)、祖谷(いや)徳島県三好市、椎葉村(宮崎県東臼杵郡)」と言われている。私は此れ等を訪れた事が有るが其々に山深い場所に有る。私は徳島県に生まれながら四国の中央部で、徳島県の西の端の祖谷方面に行く機会は殆ど無く、現役中に(50歳頃)に初めて電気温水器のメンテ作業で訪れたのが一番最初であった。高校野球で一世を風靡した池田高校の有る池田町までは若い頃に販売店様用の講習会の応援等で時々行く機会は有ったが高知方面に抜ける32号線を南下、途中の祖谷口から祖谷渓谷に入り山を上って行くと周りの景色がどんどん変わって行く。徳島市や阿南市は全国から見ると随分田舎だが其の田舎でも最近は茅葺屋根の家など殆ど存在しないが祖谷地方に入ると少なく成ってはいるものの現在でも茅葺屋根の家が残って居るし、茅葺屋根の上にブリキ板で覆った昔風の形をした家屋が建ち並ぶ、実は私の実家は茅葺屋根の家で私が結婚して実家を出るまで其の家で生活したが当然、周囲の家々は全て今風の家に建替えられて居たので其の形から来る「田舎ぽさや貧乏臭さ」が若い私には嫌で仕方が無かった。
最初に祖谷渓谷に入った時、周りの家々の佇まいから幼少の頃に瞬間移動し郷愁を強く感じた。質素な佇まい、土間のある間取り、そして純朴な人柄、夕刻の山間で木材で風呂を沸かす煙突から垂直に静かに上がる煙や、其の匂い等は、まさに子供時代に経験した其の物であり、暫く車を停めて周りの風情を楽しむ程であった。其の後、家内と剣山(1954mH)に登ったり一人でつるぎ町の移動運用(剣山近くの夫婦池付近)や兄と一緒に小島峠にも移動運用に出向いた。最近は兄の会社の手伝いで2年前に1週間程、滞在したが其の時は真冬で午前中は毎日雪が降り積雪の多い所では40~50cm程有り仕事が出来なかった事があった。この近くは水力発電の拠点が点在していて、それらの調査が主たる仕事、宿泊した宿の女将さんの話では この地方の天気予報は鳥取県の米子市辺りの日本海側の天気予報を参考にしているとの事であった。皆さんが思っている温暖な四国徳島のイメージとは随分異なっている。この地は昔、源氏に追われた平家の落人が山深い祖屋渓谷に逃込み定住した伝説の地、美人が多い土地と聞くが?本当の事は解からない。徳島県内には意外と観光スポットが少ないが四国を観光旅行した方なら高知県に向かう途中の祖谷渓谷は「祖谷のかずら橋」奇岩や舟下りで有名な大歩危、小歩危の景観、平家や日本三大秘湯の一つに数えられる祖谷温泉があり(三大秘湯の残りはニセコ薬師温(北海道)、谷地温泉、(青森県)と言われている)訪れた方は多いのではないかと思う。
仕事は地質調査の仕事、私には門外漢だが仕事は至ってシンプルで土地に垂直に立てた16mmφの棒を規定値の高さに持上げた5Kgの分銅を落として打ち込んで行き10cm毎の打突回数を記録するもの、棒の先が入らなくなると其の地点の測定は終了、だが今度は測定棒の抜取り作業が大変、三又を組み其の先にチェーン・ブロックを取付けての抜取り作業、最長は5m近く棒が潜っているので入れるも抜くも、正に体力勝負の仕事で7月29日~30日の二日間に及んだ。初日は帰り道、剣山の下のトンネルを通り神山町を抜け阿南市への最短コース取ったが其のトンネルの入口に神山方面全面通行禁止の立看板、甥と二人で「何じゃ」と悔やんだが如何にも成らず夫婦池、剣山スキー場、の横を通りつるぎ町(旧、貞光町)の道の駅近くに出て何と剣山山系の北側の幹線道路を走破する事と成った。後は高速道路を利用して会社到着が20時頃、其れでも目的も無くノンベンダラリと無線三昧よりは益しで充実した2日を過ごし小遣い稼ぎが出来るのだから感謝、感謝、
同じ徳島県でも西の端の祖谷地方と東の端の阿南市では気候や生活習慣や文化も違う様に思うが、この地には阿南市には無い物が有り、そして何よりこの地方に行くと昭和30年~40年代の失われつつ有る私達が子供の頃の景色や佇まいが在るだけに徳島県内では私の一番好きな場所である。
此のジャンパーは少し問題有り、ポケットが浅く過去に車等に乗って腰が折れた場合に中の物がよく落ちるケースがあった。歩いている場合など腰が伸びているときは問題ないのだが、財布や特にネガネ等がを落とし行方を捜すと座席の間の隙間に落ちている事が過去にも有った。息子は7時に会社に出掛けたので確認が出来ない。他の場所も彼是探したが矢張り出て来ない。集合時間も迫り仕方なく実家へと向かった。最近家内とも良く話しするのだが物忘れが多い。物忘れと言うよりも全ての行動に集中力が無く何気なく物を何処にでも置いてしまったり、作業中に使用したものを確認する事や、意識出来て居ないことに問題が有るのではと思うのだが?とにかく日常生活で「あれが無い此れがが見当たらないは?」日常茶飯事の事、家内との会話の中でも歌手の名前や役者さんの名前が喉元まで出掛かっているのだが1~3日思い出せず突然に脈絡の無い処で思い出し漫才の様に成る事が有る。脳の老化を確実に実感するように成って来た。「困ったものだ」
この日は朝から まずまずの天気で有ったが仕事先の旧木沢村や木頭村に入る頃には青空が広がり所々には雲は有ったが穏やかな小春日和と成り仕事も順調に進んだ。仕事内容は那賀川水系の定められたポイントで水を採取して其のサンプルを高松の分析する場所に送り届ける仕事、専門的な仕事は甥が(社長)全部遣ってくれるので私の仕事は川から水を汲み上げる仕事で至って簡単な力仕事なのだが、一番大変なのは55mHくらいの橋の上からロープで結ばれたバケツを下ろし満杯になったバケツを3回程、引け上げる作業、此れは結構疲れる仕事で有る。其の後30mHの橋の上からの同作業の採取が終了すれば仕事は終わった様なもの、12時半を回る頃には当班の全ての作業が終了した。昼食を取り別班のサンプルを待ち受け14時頃に現場を出発し高松着は17時頃に成り踵返しで会社に帰ると19時前と成った。私としては10日振りの仕事、少し疲労感が有ったが1日が充実して体を動かした性か気分的に心地良い、特に夕食は美味しく感じた。
本日の実績
HB9CVQ 04:34jst 10MHz CW
404A 05:29jst 7MHz CW
E72ORS 05:32jst 7MHz CW
YU0KRUNA 05:33jst 7MHz CW
3W2BB 05:38jst 7MHz CW
9M0L 06:15jst 14MHz RTTY
FM5BH 07:27jst 21MHz CW
9M0L 11:27jst 21MHz RTTY
JO6XMM/6 21:26jst 3.5MHz SSB
3B8MM 22:46jst 14MHz CW
悪い中でも色んな周波数で交信する事が出来た 明日早朝も要注意である。