黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

サイクル24 上昇の兆し

2011年12月09日 | 日記



 11月20日頃から思い直しDxを聞き始めた 少し前からコンデションの良いのは聞いていたがカード発行が遅れ御尻に火が付いていたので余裕が無かったがカードの発送も終わり一段落したので14、21MHzを連日早朝と夕方に聞き始めた。連日SNは100以上をキープしていたので此処数年、通常時に聞え無かったカントリー(古い人間なのでこの表現で御許しを)が結構入っている。信号は時間帯にもよるが電信だとカリブが599で聞える時も有る様だ。長年遣っていてもSSBの8R、FG,FS,CY0等は数局しか出来て居なかったが現役組が出勤する08時を越すと随分遣りやすく成る。(自分が現役の頃は後ろ髪を引かれながら出勤のため無線機の電源を落しながら悔しい思いをしたリタイヤ組みがどれ程羨ましかった事か)この歳に成り特権を行使出来るように成ってもコンデションが余り上らず期待外れに成っていたが此処2週間位は楽しくて仕方がない 此の世の春状態だ。



 しかしながら各局の設備がグレードアップしているのでSSBでは時間を掛けても飛んで行かない このサイクルはCWでの運用が中心に成りそうな感じがする。28MHzも期待していなかったので他のバンドのアンテナに上げ替えていた為、近い内にどれかの八木と乗せ替えが必要に成って来た。Dxでは使用していなかった10MHz、3エレ八木の梱包を解き磨き始めた(八ヶ月くらい前にオークションで手に入れた中古)見るとピカピカで殆んど使用していない様子、有効利用しなければと考えている。こうなるとタワーがもう1基欲しいなと思うがこの歳では「後の祭り」各バンドビーム化するには 如何しても3基必要、何年か前から解っていた事だが無銭家なるが故、かまけて来た事が悔やまれる。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠岐郡知夫村の移動運用

2011年12月09日 | アマチュア無線 移動運用

        

      

 

 


 2011年 6月17日 07時14分の西ノ島町の交信を最期に撤収に入り下山、別府港に向かう。港は大きくは無かったが土産物店が有ったので家内に隠岐の土産を買いに入った。店には上品な私より少し先輩と思われる女性が店番をしていた「家内に土産物なんですが日持ちする物が良いのですが何が良いですか?」と聞くと一番数多く並んでいた瓶詰めを指差し「此処では 此れが一番売れています。」と答えると何時ものように世間話に成った。お客さんは他に居ないし、私の方は出港まで時間を持て余していたので退職後に其れまでに行った事の無い観光地を回って楽しんでいる事等を話した。

 

 隠岐の感想を聞かれたの「想像していた以上に景色の良い所だったが一部、牛、馬の世界で観光地と見た場合は理解しがたい部分が有る。」旨を話すと観光客から時々クレームが有るらしい事を話していた。路上の糞の放置と車が牛の集団に囲まれ女性のドライバーだと身動きが出来なく成るらしい。此れは私が経験した事と同じ事だ、女性だと車から降りて牛を退かせ等は至難の技と思われる。土産物店とすれば地元の人が御客では無く観光客が相手なので改善を行政に要望しているが難しい問題が有るらしい。



 船着場で船を待っているとフェリーが入港してきた 乗船客は20人ほど居たが降りた車は2台のみ、知夫里島への車は私の車のみ乗船客は10名程度だった。波の静かな内海を20分程かけ船は知夫里島の来居港に入港した(写真上段3番目がフェリーから見た別府港付近、4番目は帰りの境港行きの大型フェリーが来居港に入港する処)知夫里島は港に待合所が有るだけで訪れた島の中では一番寂しい港で其の後にアカハゲ山からの大パノラマが有る事など想像すらしなかった。

 

 下の段 最初の写真はアカハゲ山の展望台から見た内海の様子、左の半島が西ノ島町 手前の山並みの木々の無い緑の部分の奥が西ノ島町の運用場所、右側の半島が中ノ島、真ん中の低い山並みの奥に薄く隠岐の島が写っている2枚目は西ノ島の外洋側、内海側に比較して荒波に洗われ崖状に成っている様子がよくわかる。最期の写真は山頂に有る展望台、此処からの景観は素晴らしく360度の展望が可能(全国の半島は殆んど見て回ったが どこか死角が有り、私の経験で一点に立ち首を振るだけで360度の視界を得られる場所は数少ない)緩やかな弧を描く水平線、内海を中心に円状に広がる島並みを見る時、小地球を感じる事が出来る場所だった。

 

 暫く一人で素晴らしい景観を楽しんでいたら観光バスが上って来た。観光客がバスから降り展望台に上って来ると異口同音、皆さん感嘆の声が出ていた。暫くして観光バスの運転手さんが「徳島からですか?」と話し掛けて来たので例により世間話が始まった。事前に私の車の中を見たらしく「車の中で寝られる様にしていますね?」聞かれ現役中は旅行が出来無い仕事をしていたので退職したら自動車で全国を回りたいと考え今回、最終段階の沖縄、離島、九州本体と隠岐を回り山口県を回ると四国に帰る事等を話した。「貴方は良い日に此処に来ましたね、こんな天気は年間を通しても数日しか有りません職業柄、此処にはよく来ますが滅多に無い日です。」と話していた。景観の話をしていると当然、日本三景の松島の話に成り私も昨年行ったが迫力では此処が上だと言うと我が意を得たりで「松島なんか目で無い。あれは松尾芭蕉が俳句に詠んだので有名に成ったが芭蕉が隠岐に来ていたら状況は変わって居た筈だ。」と独自論を展開していた。



 観光バスが下っていくと其処には静けさが残り、大パノラマは再び私の一人占め状態に成った。それにしても見飽きしない景観で此処だけでも隠岐に来た値打ちは有るし隠岐全体で一番の場所である。此の場所では牛馬も共存していたがこの展望台内には入らない様に十分な対応がされており展望駐車場内では糞の欠片を見る事も無かった。



 上段2枚は運用地の写真、山の頂上で夕方から強い風が吹きポールはサイズダウンした状態だが傾いている夜遅くから雨が降り始め隠岐での運用地で初めてカッパ姿での撤収作業と成った。



 総交信数は652交信、内18MHz 1局、3.5MHz  110局、7MHz 541局に終わった
隠岐移動の3町1村では総交信数は2574局だった。
 

















































































































































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする