黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

隠岐郡西ノ島町の移動運用    2/2

2011年12月05日 | アマチュア無線 移動運用

      
 
    





 マリンポートホテルの日帰り浴にゆっくりし過ぎて、別府港へのフェリー便に乗り遅れた私は菱浦港の駐車場で一夜を過し翌朝始発のフェリーで西ノ島に向かった。乗船時間は短く20分も掛らず内海の航海なので船は揺れる事も無く別府港に入港した。上陸後、485号線を西に向かう途中で大きいスーパーが有ったので食料の買込みの為、立ち寄ったが09時開店で空き時間が2時間以上も有ったので魔天崖の観光に向かった。

 

 この場所は景色も良くロケーションも抜群な場所が何箇所かあったのでナビに登録し来た道を引き返しスーパーに向かった。海士町では十分な買い物が出来なかったので弁当と知夫村用の食料を調達して485号線から320号線に入り島の南側に向かう稜線を走り写真の運用場所に辿り着いた。この場所は眺めは魔天崖程良くなかったが高さが有ったのとアンテナが理想方向に張れる事と一番は道幅が広く他の車の通行を邪魔する心配が無かった事だ。(魔天崖の場所は道幅が狭く場所が良くても他の車の通行を考えると車を草地に入れないと駄目だった 其の為タイヤベースを平面場に固定出来なかった)


 
 2011年 6月16日 09時25分の7MHzに始まり直ぐ21MHz にQSY,途中では希望者によっては24,945MHz と21.195MHzと2バンドの交信をした局も居た 数は多く出来なかったが西ノ島町の24MHzは可也珍しいのでは無かったかと思う。其の後18MHz 、7MHz 、3.5MHz と順次QSYしていった。



 西ノ島町の総交信数は 682交信 隠岐の3町1村の中では一番交信数が多かった 内訳は24MHzが12局、21MHzが 67局、18MHzが28局、7MHzが469局、3.5MHzが 106局に終わった。
 


 運用地点の写真でも分かる様に、此処は公道なのに路面には牛や馬の糞また糞のテンコ盛りが彼方此方に広がっている、風雨に晒され藁状に成った物から最近の湯気の出そうな物まで多種多様に路面に広がって完全な放飼い状態「お犬様」ならぬ「お牛様、お馬様」状態だった。其れにしても我々から見ると栄養の欠片も感じない藁や草を食べて人間から見ると高級な肉を生産する牛の体内の構造の不思議さに驚くばかりだ。大自然の中で好きな様に移動し、自然交配を営めるこの島の牛達は幸せ者に思えるのだが反面、もう少し どうにか成らないのか?と感じた。17日の朝、目が覚めると17頭くらいの牛や馬に周りを取り囲まれていた。一般の人だと恐怖を感じると思うが私の生まれた家は農家で牛は社会人に成る位まで家に居たので大人しい性格を知っていたので余り驚きもしなかったが、車に尻を向け滝のような小便をしたのでクラクションを鳴らしたが動じないので頭に来て車内に有ったアルミ棒(沖縄のハブ対策で草むらに入るとき周りを叩く物)で御尻をしばくと牛は「何をなさるんで!」と道の下の草むらに逃げ込んで暫くは此方の方を見ていたが「あのおっさんは危ない!」と感じたのかやがて全頭姿が見えなく成った。牛や馬からするとこの場所の主人公は自分達と思っているだろうから思わぬ珍客に驚いたに違いない。

 


























































































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隠岐郡西ノ島町の移動運用    1/2

2011年12月05日 | アマチュア無線 移動運用

   

 


 6月15日の15時頃、運用を終わりポートマリン・ホテルでゆっくり日帰り浴を楽しんで居る間に別府港(西ノ島)に出る最終フェリー便に5分差で乗遅れ、港に着いた時はフェリーが岸壁を離れる処だった。観光センターで西ノ島に渡る便を確認したが本日は「残念ながら他の便は無い」との事、仕方が無いので夕食の確保を兼ねて近くを散策した。港から100m位 歩くと集落が有り郵便局や商店が並ぶ町筋が有ったが大きい町では無かった。食堂に入ろうとしたが準備中の札が掛っており仕方なく小さい商店に入ったが弁当物は無く、品揃えも少なく菓子類が大半だった。店の隅にオムレツが有ったので「どうかな?」と思いながら他に御飯物が無かったので買って店を出て直ぐ近くの公園で此れを食べたが何十年か振りのオムレツは結構美味しかった。私達の子供の幼い時に何回か家内が作り相伴にあずかったが久し振りの何か懐かしい味わいだった。それにしても60歳を超えた爺さんが買う食べ物では無いなと苦笑した。


 公園内を歩くと掲示板が有り小泉八雲と此の町の関わりが紹介されており、八雲は夏に成ると海士町を訪れ泳ぎを楽しんで居たらしい。地元の漁師は波間に揺れるタバコの小さな明かりを見つけると八雲が水泳を楽しんでいるなと思う位だったらしい。当時は明治の世、多分鄙びた村だったと思うのだが 当時の交通手段で此処まで来る大変さを考えると随分と此の島が気に入ってた様子を伺う事が出来る。しかし どの様な水着で泳いでいたのかな?と考えたりしたら結構楽しかった。

 

 この時点では隠岐の素晴らしさは無線に夢中で良く解らなかったが 其の後の知夫島からの隠岐の内海と島の景観を見た時、八雲の気持が解る様な気がした。この様な環境の中で山陰の少し「おどろおどろしい」民話をヨーロッパに紹介する記事を書いていたに違いない。奇しくも現代は「ゲゲゲの鬼太郎」の「水木しげる」さんも隠岐に渡る出発点、境港の出身と聞く、何か島根に有る現代に続く縁(えにし)を感じた。



 

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