私が2010年から愛用して居た自動車、ピョンピョン二世号(ホンダのアクティーバン)が今月の月末で車検を向える事から今月の初め頃から其の対処で色々考えて居ました。
私が2009年から始めた全国に於ける固定局や移動運用状況が極めて少ない其々の町村に出掛けてアマチュア無線の移動運用をして居た事から其の運用地は一箇所に集中する事無く飛び飛びな場所からの運用と成り其の様はカエルがピョンピョンと飛び跳ねて移動するのと良く似ていた事から初代のワゴンRをピョンピョン号と名付けました。
此の初代は2009年の初めての北海道移動運用(32日間)に元気に活躍してくれましたが其の年の晩秋にエンジンの調子が悪くなり、翌年の長野、東北、北海道方面(84日間)の移動運用には心許なく、然も長期の車中泊には一寸、手狭な感じがしたので車中泊用に改造し易く、維持費の掛らない軽四の箱バンを従弟が経営する車の会社に探して貰って居たら『新古車で1500Kmほど走行して居るが軽四の箱バンで価格が安く出来る車があるのだが如何か?』との連絡があり現物を見たら貨物車で此れなら惜し気も無く車内に穴をあけたり車中泊に便利な様に改造出来る事から即決で購入を決めた。ただ私としては馬力の弱いエンジン出力を最大限に利用出来るフロア・チェンジの車を希望して居たが此の車はオートマ車で一寸、其の事が気に成ったが?私の希望するタイプは新車を購入しない事には直ぐには手に入らないし、此の価格帯では絶対無理と言われて仕舞い我慢する事に成った。
此の車は軽四ながら助手席のシートを倒すと保々、フル・フラットシートに出来るし天井も高かったので荷物も沢山積み込め長期の移動運用にも十分の居住空間が確保され非常に便利であったが、前記のオートマ車だったので勾配のある坂道や緩やかな昇り勾配が延々と続く高速道路などではアクセルをベタ踏み状態でも60Km/h位かスピードが出ず高速道路では『世間のお邪魔虫』に成る事が多かった。
然し其の様な状態でも2010年から2014年までに沖縄方面(1回)を除くと全国を保々2回以上廻っていて其の他に九州と沖縄間に点在する離島運用を2回、隠岐方面の運用も2回出掛け、私は可也酷使したが何れも元気に活躍してくれ此のピョンピョン二世号で私の日本の全県からのアマチュア無線での移動運用は達成出来て其の為には日本中を保々2周する事に成った。
私が2014年度の北海道・東北・関東方面の移動運用を最期に全国に向いての移動運用をキッパリと止めてからはピョンピョン二世号に乗る機会は段々と無く成ったが其の後も2回の車検は受けて来たが家内が2018年に退職してからは外出時は殆ど二人で出掛けるし其の時には家内の乗用車を使うのでピョンピョン二世号の出番は無し、年金暮らしの二人が其々に自動車を持つ必要性も無く成り、特に前回の車検を受けた後は此の2年間で十数回しか乗車して居らずバッテリーが上がらない様に時々エンジンを駆ける程度、此れでは余りにも費用(特に任意保険料)が勿体無い事と、此の4年間、無線の移動運用に再び出掛けたいと思う事は無かったので(もしや出掛けたいと其の気に成るのでは?と実は此の事が気に成って廃車する事が出来なかった。)今回の機会に遂に廃車にする事にした。
然し此の車がアマチュア無線の移動運用中の足と成って活躍したのは当然ながら、述べ日数で数えれば保々1年間に渡る車中泊の移動中の寝床と成って活躍してくれたり、日本国内の名所旧跡を訪ね見て来た私にとっては謂わば戦友の様な存在、過去に私が乗り換えて来た車に対する想いとは全く違い廃車後にスクラップにするには余りにも申し訳ない感じがして私とピョンピョン2世号の、どちらが先に朽ちるのか?解からないが今の所、時々ワックス掛を行い畑の中に保管する方向に決定した。