今日は8月6日で『広島の原爆記念日』で私も原爆が投下された08時15分に国民の一人として広島の方角に向かって1分間の黙祷を捧げた。
私は戦争を知らない世代で大東亜戦争(日本人として敢えてこう書く)が終了した3年後の此の月に生まれたので戦争の怖さや悲惨さの体験は無いが、其れでも小学校に上がる前までの僅かな記憶の中に今から思うと戦後の困窮した生活の記憶が甦る。生家は農業を生業として居たので最低の食べる事だけには困らなかったが食する物や衣類などは貧しく大変貧相な物であった。
小学校に上がると学校給食は脱脂粉乳を溶かしたミルクとコッペパンが主食であったが、当時の生家で食事にパンが出る事等、殆ど無い時代で脱脂粉乳のミルクは余り美味しいとは感じなかったが私達は其れ成りに有難く感じた世代である。其の後、戦後の爪痕を余り身近に感じ無く成ったのは小学校の高学年辺りからで、其の後は日本の飛躍的な経済復興の御蔭で驚く程に生活水準が上り其れを一番身近に感じたのは矢張り各家庭にテレビが普及した事だろう。その次に国民として日本の経済復興を強く実感したのはアジアで最初に開かれた1964年の『第18回夏季東京オリンピック大会』で私は高校一年生だったが日本国中が大変盛り上がると同時に実質の世界先進国の仲間入りを果たした。
然し戦後の復興政策の中でアメリカのGHQが行った『二度と日本が戦勝国に逆らえない様にウォーギルト・プログラム』と言う洗脳政策を採った事で、一番影響し荒廃したのは日本の学校教育であり、其の一番影響を受けたのが終戦直後に生まれた私達『団塊の世代』である。当ブログでも前に書込んでいるが私達世代は何故?日本が無謀とも思える大東亜戦争に突っ走ったのか?の歴史的背景などは先生達からは全く教えられず(完全に逃げて居た)『時間が無いので各自で読んで勉強して置く様に!』に済まされたり先生に寄っては『日本が一方的に悪く、日本がアメリカに負けたから良かった!』と教える先生も居た。私も子供の頃は其れを信じ込んで居たが然し今、此の歳に成って『我が国が未曾有の国難に至った状況や歴史を教えずして何が歴史教育か?』と思い日本の近現代史を確り勉強してみると其の歴史感は可也違って見えて来た。
そもそも戦争に至る双方の関係の中に於いて片方が全てに渡り一方的に悪い事等は考えられず、不本意だが戦争に負けて仕舞うと結果として戦勝国の勝手な理屈が罷り通り、其れが世界の歴史感と正当化されるのは世の常、然し負けた我々側は日本が何故に大東亜戦争に至ったかの歴史的な背景や真実を正確に分析をし、反省するべき所は反省し二度と此の様な失敗を犯さぬ様に後世に伝えねば成らないのに今だにGHQに寄って洗脳された『日本が全て悪いとの自虐的思想』から戦後75年を経過しても今だに抜け出せて居ない。
そして独立以来、独立国で一番重要な『自国の領土と国民の生命と安全は自国で守る。』を等閑(なおざり)にして他国の(アメリカ)傘下で自国の安全を守って貰いながら経済発展に主力を置いた我が国の在り方が昨今の世界情勢の中で既に通用しなく成って来ているのにも関わらず戦後、長年に渡り『平和ボケ』した日本は過去の不幸な歴史から何も学んで居ない状態?口先だけの『世界平和を!』等のお題目を幾等、並べ唱えても自国の平和は維持出来ない事は明々白々なのに『今だに他国から押し付けられた憲法や、自分達が戦争を仕掛けなければ他国は戦争は仕掛けてこないだろう。』等の性善説を神の如く信じている。
大東亜戦争で不幸にして亡く成った戦死者は戦争に至った経緯の良し悪しは別に『自分の思いとは違って居ても国民の義務として自国の安寧と平和を願い戦って亡く成った人々』そして現在の平和は其の人々の犠牲の上に成り立っている。此の先人達の崇高な思いを果たして我々は受継げて居るのだろうか?今回の平和記念式典のライブを見ながら祈りだけに終る事無く、各人各様に今後の日本の在り方に付いて真剣に考える必要を感じた『広島の原爆記念日』と成った。