パオと高床

あこがれの移動と定住

瀬戸内寂聴『源氏物語巻一』(講談社文庫)

2007-12-02 23:03:19 | 国内・小説
寒い朝。蒲団から出たくない。で、手を伸ばして瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む。帯にあるとおり「すらすら読める」、しかも、「美しい日本語で」だ。
あっ、と、第一巻を読む。一巻は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」まで。以前、田辺聖子を読んだとき、妙に色っぽい印象があったのは、以前だったせいかも。
今回は、光の君の心理や行動の切なさや浅はかさが、絶妙の距離感で伝わってくる感じ。

「空蝉」の章で、間違った相手と添い寝しながら、それを懸命に、実はあなたを思っていたのですというパターンの極みの口説き文句で納得しようとする光源氏の可笑しさ。その空蝉のつれなさに負けず嫌いの気性を露骨に表す恋の駆け引きのおかし哀しさ。雨夜の品定めに拘束されるように動いていく行動のなんとも言えない「人間喜劇」。そして、常に成就しない恋の欠如感を秘めてしまう展開の「あはれ」が、まず、一巻で伝わってきた。
それにしても光源氏は、自身、実は、何か振り回されているポジションなのだ。空蝉はつれない。桐壺は亡くなるし、最愛の藤壺は、道ならぬしかも切実な恋。心通わせる夕顔は生き霊に命を奪われてしまうし、若紫に自らの主導権を見いだそうとする。

来年は千年紀といわれている。来年中にでも読むつもりで、ぼちぼちと、源氏に付き合っていこうかな。

それにしても、例えば、通う住まいの明かりが蛍のように光っているとかは平安時代の夜の深さが感じられるし、朝の霧の立ちこめる様や、静けさゆえに聞こえてくる音は空間の居住まいを感じさせる。和歌のもたらす音の広がりだけではなく、様々な音が聞こえてくるし、色は鮮烈に行間を埋めるし、手触りや匂いが、記述されていく。月にしても、その示す存在感がある。こうやって、物語られるのだと実感できた時間だった。


コメント
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