パオと高床

あこがれの移動と定住

五木寛之『物語の森へ』(東京書籍)から短編三作

2008-09-07 16:27:00 | 国内・小説
五木寛之の初期のしかも外国ものが読みたくなって、「全・中短編ベストセレクション」というこの本から「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「ソフィアの秋」を読む。小説の語り口や主人公の造型がカッコイイよ、この人の小説は。以前、一度読んだことがあったが、今回読んでも、面白かった。主人公には、何か挫折感のような、世間から逸れているような感じが漂っていながら、社会的に隠者というわけではなく、何かしら成功している人たちなのだ。ただ、自分の価値観と社会との齟齬のようなものを常に感じているし、個人として戦おうとしながら、その使命は果たせずに終わってしまう。そのかなわなさの哀しみのようなものが、主人公のまわりの空気に立ちのぼっているのだ。ストーリーはストーリーテラーとしての五木寛之の才能を遺憾なく発揮しているし、どこか素人の「007」といったような展開がある。また、ロシアやブルガリアの描き方に臨場感が(ボクはどちらも行ったことないが)漂っている。しかも、ガイドブック的ではなく人物たちの醸し出す空気、人物たちを取り巻く空気を描き出している。ブルガリアの田舎の村など、まるで「ウルルン滞在記」で見たような感じだ。 で、五木寛之が最近の韓国のお寺まわりの文章などで書いていたような、五木自身の引き揚げの時の心の傷が、しっかりと主人公の心の中に抱えこまれているのだ。それに、常に時代と共に歩いてきた五木らしく、六十年代後半の価値観の個別化と巨大な社会との戦いの姿や、自己の絶対と行為の必要さ、それに伴ってくる無力感のようなものが描き出されている。「蒼ざめた馬を見よ」の巨大な組織力は、後の長編『ガウディの夏』などにきちんと繋がっていると思う。すでに、この初期短編で、世界を包み込むものと個人の葛藤が五木的ヒロイズムで表れている。モスクワ愚連隊のジャズミュージシャンは、のちの演歌やタンゴやファゴに繋がっていく。そうなると、残るのは、『風の王国』に行く「日本幻論」の流れなのかもしれない。これが、近年の五木の仕事に関係してくるのだろうが。この本は齋藤愼爾の解説「すべてを見てしまいたる目」という文がいい。それから、この本は五木寛之の作家生活三十年を記念して1996年に出版されたものだということだ。
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