パオと高床

あこがれの移動と定住

ヘレーン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地』江藤淳訳(中公文庫)

2009-05-16 09:46:19 | 詩・戯曲その他
1949年10月5日に、ニューヨークに住むヘレーン・ハンフが、ロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書店マークス社にあてた一通の注文手紙で始まる往復書簡集だ。
最後の日付が1969年10月。二十年に渡る交流の手紙は、古書への愛情と人への愛情に溢れていて、静かに心に沁みてくる。お気に入りの古書が送られてきたときの喜び、その本への慈しみ。古書が期待を裏切ったときの落胆とユーモラスにくわえられる手厳しい批判。それらの本を探してくれるマークス社とその担当者への敬意と思いやり。最初は古書の注文だったものが、大戦後の物資の乏しいロンドンへのお礼の肉や卵の送付になり、ついにはマークス社の人々や担当者の家族とのやりとりにも広がっていき、ハンフの友人との交流にもなっていく。その過程で注文の手紙はお互への節度を持った交流の手紙に変わっていく。ここにある「手紙の世界」は、背景にそれぞれの現在を秘めた、物語りきらない物語の世界となって、想像力をやさしく刺激する。そして、最後に読者は二十年という時の経過に、思わず、「あっ」と、気づかされるのだ。
江藤淳は「解説」で、次のように書いている。「『チャリング・クロス街84番地』を読む人々は、書物というものの本来あるべき姿を思い、真に書物を愛する人々がどのような人々であるかを思い、そういう人々の心が奏でた善意の音楽を聴くであろう。世の中が荒れ果て、悪意と敵意に占領され、人と人とのあいだの信頼が軽んじられるような風潮がさかんな現代にあってこそ、このようなささやかな本の存在意義は大きいように思われる」と。
訳者紹介の江藤淳の写真が痛い。

神田の古書店、高田の馬場の古書店、大学のある街のすみにふっとある古書店。それらが頭に浮かぶ。と同時に、行ったこともないロンドンやヨーロッパの街の古書店が、今まで読んだ本から受けた印象で、勝手に頭のなかでだけ作られる。そういえば、古書店ではなかったけれど、須賀敦子さんの書店もよかった。

この文庫本。表紙もしゃれている。