書評集について書くということは暴挙かもしれない。が、とにかく面白い。
匿名書評家〈狐〉こと山村修の「文学界」連載の書評集である。そして、彼は56歳で亡くなっていることから、最後の書評集でもある。
まず、その多様さに驚く。「志ん朝の落語からプルーストまで、坂本龍馬の手紙からコナン・ドイルまで。」と紹介されているが、ざっと目次を見ただけでもため息が出る。で、書評を読むと、その本を読みたくなるのだ。
例えば、今、話題の坂本龍馬。宮地佐一郎著『龍馬の手紙』の書評。
「坂本龍馬が、こんなに心躍りのする手紙を書いていたとは。明るくて、笑いがあって、ときには冷やかしもあって、励ましもあって、エヘンと自慢することもあって、つまりは何とも清新な、みずみずしい手紙文を、しかもこんなにたくさん書いていたとは。」
と書き始められる。
あっ、いいなと思ってしまう。
さらに、「龍馬の手紙から受けるおどろきは、たとえば与謝蕪村を読み、そこにすぐれて近代的な精神とリリシズムとがみちているのを見出したときの感動に似ている。」と続く。
龍馬の手紙の位置づけと同時に、蕪村への興味まで掻きたてられる。さらに、手紙に込めた龍馬の意図を汲み取った、宮川禎一の『龍馬を読む愉しさ』という本を引いてきて、手紙がどういう状況を生きていたのかまでさらりと触れる。ここで、山村の頭のなかの図書館は、関連本の妙味まで読者に手渡すのだ。あっ、宮川禎一も面白そうだと思わせる。
そして、「こんな手紙をたくさん残し、坂本龍馬は慶応三(一八六七)年、京都の醤油商近江屋で刺客に襲われ、没した。享年三十三。」で、この本の書評を終える。
見事だ。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』の風になった龍馬を思い浮かべた。溢れているのだ、本への思いが。
他にも石田五郎の『天文台日記』なども面白そう。そして、先程の『龍馬の手紙』の時は、もう一冊の紹介がセリーヌの『夜の果てへの旅』だったり、『天文台日記』の時は、キケローの『老年について』だったり、ほんとうに古今東西なのだ。
この本も、また、読み終えることができない一冊のような気がする。
匿名書評家〈狐〉こと山村修の「文学界」連載の書評集である。そして、彼は56歳で亡くなっていることから、最後の書評集でもある。
まず、その多様さに驚く。「志ん朝の落語からプルーストまで、坂本龍馬の手紙からコナン・ドイルまで。」と紹介されているが、ざっと目次を見ただけでもため息が出る。で、書評を読むと、その本を読みたくなるのだ。
例えば、今、話題の坂本龍馬。宮地佐一郎著『龍馬の手紙』の書評。
「坂本龍馬が、こんなに心躍りのする手紙を書いていたとは。明るくて、笑いがあって、ときには冷やかしもあって、励ましもあって、エヘンと自慢することもあって、つまりは何とも清新な、みずみずしい手紙文を、しかもこんなにたくさん書いていたとは。」
と書き始められる。
あっ、いいなと思ってしまう。
さらに、「龍馬の手紙から受けるおどろきは、たとえば与謝蕪村を読み、そこにすぐれて近代的な精神とリリシズムとがみちているのを見出したときの感動に似ている。」と続く。
龍馬の手紙の位置づけと同時に、蕪村への興味まで掻きたてられる。さらに、手紙に込めた龍馬の意図を汲み取った、宮川禎一の『龍馬を読む愉しさ』という本を引いてきて、手紙がどういう状況を生きていたのかまでさらりと触れる。ここで、山村の頭のなかの図書館は、関連本の妙味まで読者に手渡すのだ。あっ、宮川禎一も面白そうだと思わせる。
そして、「こんな手紙をたくさん残し、坂本龍馬は慶応三(一八六七)年、京都の醤油商近江屋で刺客に襲われ、没した。享年三十三。」で、この本の書評を終える。
見事だ。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』の風になった龍馬を思い浮かべた。溢れているのだ、本への思いが。
他にも石田五郎の『天文台日記』なども面白そう。そして、先程の『龍馬の手紙』の時は、もう一冊の紹介がセリーヌの『夜の果てへの旅』だったり、『天文台日記』の時は、キケローの『老年について』だったり、ほんとうに古今東西なのだ。
この本も、また、読み終えることができない一冊のような気がする。