そこにあったであろう熱い思いや切なさ、あるいは騒けだつ心や痛み。そして、もちろん喜び。そんなものを穏やかに見つめるまなざしがある。時代の中で、ぞれぞれの時間のなかで過ごしてきた「私」の時間に、「私たち」の時間が重なるように、そこにあった音楽と吉田秀和の思いが重なっていくようでありながら、それをまなざす吉田秀和がいる。ずっと批評家であった吉田秀和だからこそ生まれた、批評家である自分さえも抱えこんでしまったような姿がここにはある。その姿勢に、その姿の自然さに引かれる。
「こういうピアノの扱いはすでにシューベルトで始まり、彼はその手法を充分に意識して発展させてゆくのだが、シューマンはそれに啓発されつつ、ピアノの声部をより心理化し、内面化する傾向がある。それに、いうまでもなく、シューマンは歌曲の創作に手を染める前は専らピアノのための曲ばかり書いていて、ピアノに通暁していた音楽家だった。」
シューマンの人生のある場面を描きながら、こういう批評的文章がくる。「心理化」「内面化」という言葉がふくらむ。そして、続けて、
「この《初めての緑》の場合、シューマンは曲を開始するに当って歌より先に、まずト短調の主三和音を、囲碁の石でもおくように、そっと静かに、鳴らす。」
と、書かれるのだ。「囲碁の石でもおくように」が、ある静謐さの中に鳴る音を感じさせる。さらに「鳴らす」という結びで、一瞬、音が聞こえたような気がするのだ。
また、このような批評家の文章だけではなく、「時代」の中の自分を表すような表現が織りなされる。
「戦争に入って間もなくきいたモーツァルトの《レクイエム》など、きき終わって、日比谷の公会堂から新橋の駅まで暗い夜道を辿りながら、夢の国にいるのか、今まで通りのところにいるのか、よくわからない気がしたものだ。」
この部分は、ユダヤ人狩りを逃れて日本に来た指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックの演奏が「暗さを増してゆく社会」の中で楽しみ、慰め、夢のようだったという記述の後に来るのだが、この文章から、その頃の定期演奏会のプログラムだったマーラーの歌曲に話が進む。そして、ユダヤ人マーラーの曲を演奏することの時代的な緊張感に触れながら、マーラーの曲への批評に読者を導いていくのだ。
この『真昼』に収められている11編のエッセイの7編はマーラーの曲についてのエッセイである。
マーラーについてこんな記述がある。
「そこにマーラーが生涯を通じて持ち続けていたらしい〈ここにないもの、あったけれど、いつか失われてしまったもの〉をもう一度とり戻そうとする熱い望み、それから終生彼を脅かし続けたのではないかと思われる、どこからかやって来て彼を死に追いやろうとする力を前にしての恐怖などが、すでにこの曲の底に流れていたのがわかってくる。しかも、彼の場合、恐れと憧れの両方が一体になって、〈甘い歌〉に昇華していることさえ感じられるのである。」
ふー、なるほどと思う。もちろん、これだけではなく、マーラーの笑いの要素についても、
「そのまま流れにのって流されてゆくうちに、全身がかゆくなるような感じになったり、くすくす笑いを抑えられないようなことになったり、そのうち自分が本当の笑いの中にいるのに気がついたりする。」そして、「けれども、(略)マーラーでは、笑い、ユーモアといったものには、実はその裏に毒が含まれていて、時には悪意の影が見えてくることが少なくない。」と、他の曲の中からたぐり出している。確かに19世紀末から20世紀を生きた作曲家だと思わせる。
この本の中では、最終章の《告別》が、圧巻だと思う。マーラーの《大地の歌》の中のこの曲に触れながら、書名の『永遠の故郷』へと重いが繋がっていく。
「深刻な打撃」を受けながらも創造していくマーラーについて彼は書く。
「未曾有の新しさと間然するところのない成熟度の共存。芸術の歴史で、こういう例を求めても、これは一握りにも満たない名しか、私には、思い当たらない。モーツァルト、ピカソ……。」
そして、1908年から11年のマーラーの曲に則して、
「これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲をきいていると、時々、耳を塞ぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がある。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。」
と、バルトの「快楽の読書」を想起できるような音楽の快楽が記述されている。さらに、すごいのは、ここまで書きながら、なお、
「だが、この曲(十番)について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》について話をしたい。」と書くのだ。
「まだ、私には、できない」。
音楽の先にはその陶酔と寂寞のさらにその先の死があるのかも知れない。そして、その死は、〈永遠〉につながれていくのだろうか。
「こういうピアノの扱いはすでにシューベルトで始まり、彼はその手法を充分に意識して発展させてゆくのだが、シューマンはそれに啓発されつつ、ピアノの声部をより心理化し、内面化する傾向がある。それに、いうまでもなく、シューマンは歌曲の創作に手を染める前は専らピアノのための曲ばかり書いていて、ピアノに通暁していた音楽家だった。」
シューマンの人生のある場面を描きながら、こういう批評的文章がくる。「心理化」「内面化」という言葉がふくらむ。そして、続けて、
「この《初めての緑》の場合、シューマンは曲を開始するに当って歌より先に、まずト短調の主三和音を、囲碁の石でもおくように、そっと静かに、鳴らす。」
と、書かれるのだ。「囲碁の石でもおくように」が、ある静謐さの中に鳴る音を感じさせる。さらに「鳴らす」という結びで、一瞬、音が聞こえたような気がするのだ。
また、このような批評家の文章だけではなく、「時代」の中の自分を表すような表現が織りなされる。
「戦争に入って間もなくきいたモーツァルトの《レクイエム》など、きき終わって、日比谷の公会堂から新橋の駅まで暗い夜道を辿りながら、夢の国にいるのか、今まで通りのところにいるのか、よくわからない気がしたものだ。」
この部分は、ユダヤ人狩りを逃れて日本に来た指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックの演奏が「暗さを増してゆく社会」の中で楽しみ、慰め、夢のようだったという記述の後に来るのだが、この文章から、その頃の定期演奏会のプログラムだったマーラーの歌曲に話が進む。そして、ユダヤ人マーラーの曲を演奏することの時代的な緊張感に触れながら、マーラーの曲への批評に読者を導いていくのだ。
この『真昼』に収められている11編のエッセイの7編はマーラーの曲についてのエッセイである。
マーラーについてこんな記述がある。
「そこにマーラーが生涯を通じて持ち続けていたらしい〈ここにないもの、あったけれど、いつか失われてしまったもの〉をもう一度とり戻そうとする熱い望み、それから終生彼を脅かし続けたのではないかと思われる、どこからかやって来て彼を死に追いやろうとする力を前にしての恐怖などが、すでにこの曲の底に流れていたのがわかってくる。しかも、彼の場合、恐れと憧れの両方が一体になって、〈甘い歌〉に昇華していることさえ感じられるのである。」
ふー、なるほどと思う。もちろん、これだけではなく、マーラーの笑いの要素についても、
「そのまま流れにのって流されてゆくうちに、全身がかゆくなるような感じになったり、くすくす笑いを抑えられないようなことになったり、そのうち自分が本当の笑いの中にいるのに気がついたりする。」そして、「けれども、(略)マーラーでは、笑い、ユーモアといったものには、実はその裏に毒が含まれていて、時には悪意の影が見えてくることが少なくない。」と、他の曲の中からたぐり出している。確かに19世紀末から20世紀を生きた作曲家だと思わせる。
この本の中では、最終章の《告別》が、圧巻だと思う。マーラーの《大地の歌》の中のこの曲に触れながら、書名の『永遠の故郷』へと重いが繋がっていく。
「深刻な打撃」を受けながらも創造していくマーラーについて彼は書く。
「未曾有の新しさと間然するところのない成熟度の共存。芸術の歴史で、こういう例を求めても、これは一握りにも満たない名しか、私には、思い当たらない。モーツァルト、ピカソ……。」
そして、1908年から11年のマーラーの曲に則して、
「これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲をきいていると、時々、耳を塞ぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がある。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。」
と、バルトの「快楽の読書」を想起できるような音楽の快楽が記述されている。さらに、すごいのは、ここまで書きながら、なお、
「だが、この曲(十番)について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》について話をしたい。」と書くのだ。
「まだ、私には、できない」。
音楽の先にはその陶酔と寂寞のさらにその先の死があるのかも知れない。そして、その死は、〈永遠〉につながれていくのだろうか。