パオと高床

あこがれの移動と定住

吉田秀和『モーツァルト』(講談社学術文庫)

2012-07-07 13:09:26 | 国内・エッセイ・評論
吉田秀和が、とうとう死んでしまった。
と、思ってから1ヶ月少しになる。
『永遠の故郷』を読みながら、その自在さの先に、「永遠」に静かに向き合う、あるいは「永遠」に溶けこんでいく「死」があるのだろうと思ったが、それでも、吉田秀和の「死」をニュースで知ったときには、「えっ」と思った。そして、この1ヶ月ほど、パラパラと吉田秀和の文章を読んでいた。

この『モーツァルト』には、昭和22年に書かれた「モーツァルトー出現・成就・創造」から、昭和44年の「ピアノ・ソナタ 第十番 第十二番」までの、ほぼ20年間にわたる文章が収録されている。
『永遠の故郷』の中にも、戦時下から戦後にかけての社会状況に、吉田秀和自身の状況や音楽への思いを重ねて描きだしている部分があったが、昭和22年に発表された「モーツァルト」は、戦後直ぐに、モーツァルトへの思いを溢れさせることで、生まれだした作品ではないかと思う。そこに戦争末期の作者の滲み出てくる気分があったことは、作者あとがきからわかる。
「さて敗戦が現実となり、しかも自分がまだ生きているという事態を前にした時、私は、さあ、こんどこそ、自分ひとりでできることで、しかも何時死んでも悔いのないといったことだけをやろうと決心した。そうして、私は、毎日毎日うちにいて、音楽についてのあのこと、このことを片っぱしからノートしだした。いまいった最後の論文は、そういう中で書いたことの延長線上にあった。」と書いている。
そして、吉田秀和だなと思える冷静な一面と品の良い照れは、このあとに「こんどひさしぶり校正で読みかえしてみると、戦争末期の私たちの八方ふさがりの気分を、モーツァルトに押しつけている点、彼に申しわけない気がする。」と、書き続けているところだ。

吉田秀和にとっては、音楽は生きものであり、生ものだ。当然、作曲家も生きている(生きていた)存在なのだ。音楽を言葉で表すことは、言葉のレトリックを駆使する先に、語りかけることなのかもしれない。そこに、過去の時間を伴いながらも、今、この時として存在する音楽。それを捉えることは、聞き、そして、語りかけることなのだ。そうして、また返された語りを聞くことである。返事は音になっている。それに、最初に語りかけてきたものも音なのだろう。その音に語りかける言葉。すると、そこに、作曲家の、そして演奏家の姿が立ち現れる。その人が生きてきた時間が現れる。吉田秀和はいつか、彼や彼女と語りはじめる。吉田秀和の知性が応じていくのだ。
モーツァルトの音楽が吉田秀和を捉えたとき、吉田秀和は自らの置かれた状況の中で、その音楽を聴く。しかし、彼は、その「私」を連綿と語ったりはしない。むしろ、そこからモーツァルトに迫っていく。彼の生活から、彼の生みだした音楽へ。伝記ではない。なぜか、常に生みだされた音楽との間を往還するからだ。そうすることで、モーツァルトの天才を讃え、証していく。その表現の背後に、吉田秀和の姿がすかし絵のように見えるようだ。

この本の最初には、昭和31年に書かれた「モーツァルトーその生涯、その音楽―」というモーツァルト論が収録されている。そこでは、さらにモーツァルトの関係の糸は広がりを見せている。他の作曲家との比較や文学者などの言葉を引きながら、立体化を図っていく。音楽から芸術全体へ、文化総体へ、そして、あくまでも個人の持つ多様性と可能性へ。この評論は、昭和22年のモーツァルト論からの、さらなる深化と広がりを示している。

「モーツァルトがすぎさるとは、単純に、人間たちが音楽をきく耳を失ったために、モーツァルトの音楽が、地上にひびかなくなる日がくるというだけのことだ。なぜならば、彼の音楽は、一つの開始でなくて、一つの完結であり、それ以上に、ひとつの完成なのだから。」と、書き、さらに続けて「一つの文明が、フランス革命とともに終わった。その噴火口の上に生きて、爛熟しきった十八世紀後半の音楽の総決算を彼は行ったのだ。それが今日でもこんなに爽やかに響くということ。これが一つの奇蹟でなくて、何だろう。ニーチェ風にいえば、モーツァルトは、まぎれもない、噴火口上の軽やかな舞踏者だった!」

こんな文章の展開に、熱気と冷静のバランスに、いいなと呟きたくなる。
吉田秀和の存在があったからこそ、ボクの好きな梅津時比古や岡田暁生の凄さもあるのだと思う。

それにしても、解説の川村二郎は、さすがにうまいところを見つけだす。指揮者モントゥーに触れた文章から「優しい自由」という言葉を引く。モントゥーの指揮について「優しい自由」と表した吉田秀和。その彼の批評文こそが「優しい自由」という特色を持っていると川村は解説するのだ。彼は、こう書く。
「すぐれて啓発的な批評家に備わる、ほかならぬ〈優しい自由〉の引力が、そこへ読者を誘うのである。」と。



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