共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

延喜式内社 高部屋神社

2017年05月06日 23時30分28秒 | スピリチュアル
今日は、先日平塚のパワースポット巡りを御一緒した知り合いの方と、再びショートトリップに出掛けました。今回は伊勢原市編です。

先ずは厚木との境に程近い糟屋という地区にある高部屋神社に参詣しました。ここは平安期に制定された延喜式内社のひとつで、寒川神社や川勾神社をはじめとした主要神社と共に相模國十三社のひとつとして列せられています。

御祭神ですが、これが何ともユニークで、内陸部の神社にも拘らず三筒男命(みつつをのみこと)=海神の住吉大神が祀られています。他には神倭伊波禮彦命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)や譽田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)等です。

古くから糟屋住吉の大神として崇敬され、《大住大明神》とも呼ばれていたこの御社には、海神をお祀りしていることもあってか『汐汲みの神事』というものが伝わっています。また、拝殿の向拝(ごはい)という銅板葺きの破風の下には



神奈川県下に多く伝わる『浦島太郎』伝説の亀と浦島との一場面の浮き彫りが飾られています。スマホカメラの写真には撮れませんでしたが、この上の部分には竜宮城と乙姫も彫られています。

この拝殿は慶應元(1865)年に建てられたもので、隣接する幣殿と共に茅葺きの屋根が特徴です。この茅葺き屋根は平成24年に葺き替えられたばかりということでしたが、同じく伊勢原市にある日向薬師の本堂と共に茅葺堂の数少ない作例として、国の有形文化財に登録されています。



本殿は正保4(1647)年に建設されたものですが、関東大震災の折に一度倒壊してしまいました。それを昭和4(1929)年に再建したものが現在に伝わっていますが、再建にあたって江戸時代の古材を極力再利用したようで、五間の扉等は正保年間のものが使われているそうです。

この横長の本殿は五間社流造(ごけんしゃながれづくり)というものです。この形の社殿は、ここの他には鎌倉・鶴岡八幡宮若宮本殿や箱根神社本殿、大磯六所神社といった社格の高い御社にしか使われていない建築様式です。ただ、何故か幣殿と本殿とは廊下等で繋がっておらず、独立した建物となっています。

そして…



出ました!『宮鐘』!

もう、すっかりお馴染みになった感がありますが、やはり仏教のアイテムである梵鐘が何故神社の鳥居の内に、しかもかなり確信的に据えられているのか…謎は深まるばかりです。

続きます。
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相模國三之宮 比々多神社

2017年05月06日 23時10分07秒 | スピリチュアル
先程の高部屋神社をあとにして、更に伊勢原市の中央部に移動しました。

東名高速道路の高架下をくぐって、そこから更に進むと長閑な田園風景が広がる一帯に出ます。その只中の小高いところに、相模國三之宮である比々多神社(ひびたじんじゃ)が鎮座坐しています。

社伝によればこちらの創建は神武天皇6年といいますから、それに従えば2600有余年前の創建ということになります。実はこの御社の裏手には縄文時代中頃のものとされる『立石』という環状配石遺跡があったり古墳が点在したりしているのですが、そういった意味では、古代からこの一帯が既にある意味での霊場であったことは間違いないようです。

御祭神は国土開発の神と云われる豊國主尊(とよくにぬしのみこと)をはじめとして、日本武尊(やまとたけるのみこと)や大酒解神(おおさかとけのかみ=大山祇神)、小酒解神(こさかとけのかみ=木野花咲耶姫)等です。

こちらの御社に詣でて先ず目に入ってくるのが、参道横に立っている巨大な御神木の杉の木です。



何と言っても、さしもの縦長のスマホの画角に収まらないほどのこの大きさ!樹齢にしたら、一体どのくらいあるのでしょう。

触れるとフワァ…という気が掌を通して流れ込んできます。よく見ると樹皮の間からヤニが染み出していて、陽の光を受けて琥珀色にキラキラと輝いていましたが、それを見ただけでも、如何にこの御神木の生命力が強いかが窺い知れます。

そして…



こちらにも『宮鐘』が!

何でしょう…ここまで行く先々で『宮鐘』に遭遇すると、むしろこちらの方が標準装備なんではなかろうか?とすら思えてくるから不思議です。いやいや、そんなことはないのですけれどね…。

かつて、こちらの神職さんをつかまえて

「何故、鳥居の内側に、仏教のシンボルともいえる梵鐘が据えられているのでしょうか?」

と伺った時にも

「さぁ…詳しい経緯は把握しておりませんでして…。」

というお返事があったくらいですから、もはや本当に分からないのでしょう。

それにしても、戦時中に様々なお寺の梵鐘が供出の憂き目にあって矢弾となって消えていった中で、むしろ『宮鐘』の方が人々の手によって地中に埋められたり納屋の奥に隠されたりして守られていたことも不思議です。もしかしたら、自分達で国家神道を担ぎ上げた以上、さしもの手荒な軍部も神社のものには手をつけられなかったのでしょうか?

更に続きます。
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富岡八幡宮?伊勢神宮??

2017年05月06日 22時54分38秒 | スピリチュアル
比々多神社をあとにして、今度は伊勢原市の総合運動公園の近くに移動してきました。実はここに、以前から気になっていた小さな御社があり、今回初めて参詣することになりました。

この小さな御社は、その名を《西富岡八幡宮》といいます。そう、実はこの御社は文明年間に、かの太田道灌が下総の富岡八幡宮の御分霊をこの地に祀ったものだったのです。御祭神は当然のことながら譽田別命(応神天皇)です。

ここは道灌というビッグネームが関わっていたこともあって、かつてはかなりの社域を誇っていたようでした。しかし、明治期に村社に列格された後、明治23年に鳥居以外の全てを火災で焼失してしまい、昭和2年になってやっと現在の本殿が再建されたようです。

この御社の最大の特徴は、



境内に聳え立つ3本の巨大な楠の御神木です。一番奥のものは大人でも3人がかりでなければ抱えられないほどの太さがあります。

恐らくこの御社の栄枯盛衰を、この3本は見つめていたのでしょう。触ると、どれもなかなかの生命力の気が還ってきます。

最後に伊勢原市の中心部に戻って、伊勢原大神宮に参詣しました。



こちらは江戸時代に、伊勢神宮の外宮と内宮の御分霊をこの地に勧請した御社です。向かって右側が豊受大神をお祀りする外宮、左側が天照大御神をお祀りする内宮です。

そして、ここの真ん中にも巨大な楠の木が聳えています。先程の西富岡八幡宮のものよりも更に大きな御神木です。

今回は伊勢原市内のパワースポットをいろいろと巡りました。何だか私自身も気の通りが良くなったようで、首の後ろ側が猛烈に暑くなりました。そこから、私の内側から発した気の塊のようなものが勢いよく噴き出している感覚が続いています。

明日は、これとはまた別のパワースポットに行ってこようと計画しております。
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