今日は、先日平塚のパワースポット巡りを御一緒した知り合いの方と、再びショートトリップに出掛けました。今回は伊勢原市編です。
先ずは厚木との境に程近い糟屋という地区にある高部屋神社に参詣しました。ここは平安期に制定された延喜式内社のひとつで、寒川神社や川勾神社をはじめとした主要神社と共に相模國十三社のひとつとして列せられています。
御祭神ですが、これが何ともユニークで、内陸部の神社にも拘らず三筒男命(みつつをのみこと)=海神の住吉大神が祀られています。他には神倭伊波禮彦命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)や譽田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)等です。
古くから糟屋住吉の大神として崇敬され、《大住大明神》とも呼ばれていたこの御社には、海神をお祀りしていることもあってか『汐汲みの神事』というものが伝わっています。また、拝殿の向拝(ごはい)という銅板葺きの破風の下には

神奈川県下に多く伝わる『浦島太郎』伝説の亀と浦島との一場面の浮き彫りが飾られています。スマホカメラの写真には撮れませんでしたが、この上の部分には竜宮城と乙姫も彫られています。
この拝殿は慶應元(1865)年に建てられたもので、隣接する幣殿と共に茅葺きの屋根が特徴です。この茅葺き屋根は平成24年に葺き替えられたばかりということでしたが、同じく伊勢原市にある日向薬師の本堂と共に茅葺堂の数少ない作例として、国の有形文化財に登録されています。

本殿は正保4(1647)年に建設されたものですが、関東大震災の折に一度倒壊してしまいました。それを昭和4(1929)年に再建したものが現在に伝わっていますが、再建にあたって江戸時代の古材を極力再利用したようで、五間の扉等は正保年間のものが使われているそうです。
この横長の本殿は五間社流造(ごけんしゃながれづくり)というものです。この形の社殿は、ここの他には鎌倉・鶴岡八幡宮若宮本殿や箱根神社本殿、大磯六所神社といった社格の高い御社にしか使われていない建築様式です。ただ、何故か幣殿と本殿とは廊下等で繋がっておらず、独立した建物となっています。
そして…

出ました!『宮鐘』!
もう、すっかりお馴染みになった感がありますが、やはり仏教のアイテムである梵鐘が何故神社の鳥居の内に、しかもかなり確信的に据えられているのか…謎は深まるばかりです。
続きます。
先ずは厚木との境に程近い糟屋という地区にある高部屋神社に参詣しました。ここは平安期に制定された延喜式内社のひとつで、寒川神社や川勾神社をはじめとした主要神社と共に相模國十三社のひとつとして列せられています。
御祭神ですが、これが何ともユニークで、内陸部の神社にも拘らず三筒男命(みつつをのみこと)=海神の住吉大神が祀られています。他には神倭伊波禮彦命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)や譽田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)等です。
古くから糟屋住吉の大神として崇敬され、《大住大明神》とも呼ばれていたこの御社には、海神をお祀りしていることもあってか『汐汲みの神事』というものが伝わっています。また、拝殿の向拝(ごはい)という銅板葺きの破風の下には

神奈川県下に多く伝わる『浦島太郎』伝説の亀と浦島との一場面の浮き彫りが飾られています。スマホカメラの写真には撮れませんでしたが、この上の部分には竜宮城と乙姫も彫られています。
この拝殿は慶應元(1865)年に建てられたもので、隣接する幣殿と共に茅葺きの屋根が特徴です。この茅葺き屋根は平成24年に葺き替えられたばかりということでしたが、同じく伊勢原市にある日向薬師の本堂と共に茅葺堂の数少ない作例として、国の有形文化財に登録されています。

本殿は正保4(1647)年に建設されたものですが、関東大震災の折に一度倒壊してしまいました。それを昭和4(1929)年に再建したものが現在に伝わっていますが、再建にあたって江戸時代の古材を極力再利用したようで、五間の扉等は正保年間のものが使われているそうです。
この横長の本殿は五間社流造(ごけんしゃながれづくり)というものです。この形の社殿は、ここの他には鎌倉・鶴岡八幡宮若宮本殿や箱根神社本殿、大磯六所神社といった社格の高い御社にしか使われていない建築様式です。ただ、何故か幣殿と本殿とは廊下等で繋がっておらず、独立した建物となっています。
そして…

出ました!『宮鐘』!
もう、すっかりお馴染みになった感がありますが、やはり仏教のアイテムである梵鐘が何故神社の鳥居の内に、しかもかなり確信的に据えられているのか…謎は深まるばかりです。
続きます。