今日は小田原の教室の日です。ということで、出勤前に小田原城址公園のお堀端に行ってみました。さすがは小田原屈指の桜の名所、既に桜が満開になっていました。
上の写真の赤い橋は『学橋(まなびばし)』といって、かつて二の丸広場に城内小学校があった時代に子ども達の通学用に架けられた橋です。それでもそこはさすがに小田原城、ただ橋を架けるのではなく、桁や欄干もお城に架かるものとして雰囲気を壊さないよう意匠が凝らされています。
かつて正門である銅門(あかがねもん)から観光客を入れたがった一部の市民団体から、築城当初に存在していなかった学橋を撤去すべしとの声が挙がったことがありました。しかし、城内小学校OBやお堀端通り商店街からは、特に桜の頃には学橋を渡っての登城コースが定番化しており、存在そのものも決してお城の雰囲気を損なうものではないとして保存を望み、現在に至ります。
そのままお堀端を進むと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/df/5e188a52ee725694c8dbb1f6504f2edb.jpg)
二の丸の隅櫓(すみやぐら)が見えてきます。
これは明治の廃城令後にも唯一残された遺構でした。残念ながらオリジナルの建物は関東大震災で倒壊し堀の中に落ちてしまい、現在あるのは昭和時代に再建されたものです。
お堀端通り自体にも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0a/a1182817023df62d6ccf859cd982626d.jpg)
御覧のような桜のトンネルが続いていて、夜間には行灯とスポットライトとでライトアップされます。
明るいうちに小田原城の桜を堪能してから、暖かな春の空気の中を教室に向かったのでありました。
上の写真の赤い橋は『学橋(まなびばし)』といって、かつて二の丸広場に城内小学校があった時代に子ども達の通学用に架けられた橋です。それでもそこはさすがに小田原城、ただ橋を架けるのではなく、桁や欄干もお城に架かるものとして雰囲気を壊さないよう意匠が凝らされています。
かつて正門である銅門(あかがねもん)から観光客を入れたがった一部の市民団体から、築城当初に存在していなかった学橋を撤去すべしとの声が挙がったことがありました。しかし、城内小学校OBやお堀端通り商店街からは、特に桜の頃には学橋を渡っての登城コースが定番化しており、存在そのものも決してお城の雰囲気を損なうものではないとして保存を望み、現在に至ります。
そのままお堀端を進むと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/df/5e188a52ee725694c8dbb1f6504f2edb.jpg)
二の丸の隅櫓(すみやぐら)が見えてきます。
これは明治の廃城令後にも唯一残された遺構でした。残念ながらオリジナルの建物は関東大震災で倒壊し堀の中に落ちてしまい、現在あるのは昭和時代に再建されたものです。
お堀端通り自体にも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0a/a1182817023df62d6ccf859cd982626d.jpg)
御覧のような桜のトンネルが続いていて、夜間には行灯とスポットライトとでライトアップされます。
明るいうちに小田原城の桜を堪能してから、暖かな春の空気の中を教室に向かったのでありました。