共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

安らかに…

2018年10月28日 18時50分26秒 | 日記
今日は穏やかな晴天に恵まれました。そんな中今日は、愛川町在住のシンガソングライターみらいあいこさんの、先日身罷られた御尊父様の告別式に参列するために、愛川町にある斎場・愛川聖苑に行きました。

移動手段が公共交通機関しか無い私にとって、八菅山と中津川に挟まれた山間にある愛川聖苑に行くためには、本厚木駅前からバスに乗ってノンビリ揺られること20分程で到着する『最寄り』のバス停で下車してから、申し訳程度の歩道を辿って30分前後歩いて行くしか向かう方法がありません。スマホでコースを検索してこのルートが出てきた時には

『( Д ) ゚ ゚』

となりましたが、他に手段も無かったので粛々とそのコースで行くことにしました。

結果、思っていたよりも早くに会場入りすることが出来ました。受付を済ませて会場に入ると、祭壇の前に棺が安置されていたので、せめて最後に…とあいこさんの御尊父様の御顔を拝見しました。享年79と伺っていましたが、一度も染めたことが無いという髪も眉毛も黒々とされて、肌艶も良さそうに見えました。それでも、初めてお目にかかった時と比べてみればかなりお痩せになられていて、晩年の闘病生活が偲ばれました。

これまでの数年間、みらいあいこさんは歌手活動もしながらお仕事もし、自閉症のお子さんの育児もしながらお父様の介護をし…と、正に八面六臂の大活躍をされていました。数年前まではお母様(故人)の介護もされていましたから、その御苦労たるや想像を絶します。それが、こうして一つの区切りを迎えられたということは、彼女にとってどれだけ感慨深いものであるか…子育てや事実上の親の介護をしたことのない他人の私には想像もつきません。

それでもまだ彼女にとってよかったであろうことは、お母様の時もお父様の時も、彼岸に発たれることについての心の準備ができる期間が十分にあったであろうことです。

恐縮ですが私の両親の場合、母は末期の子宮ガンを患って余命半年と言われたところを三年頑張りましたが、最後はホスピスケア病棟で未明に容態が急変して他界してしまいました。父は毎年人間ドックを欠かさない人でしたが、スキルス胃ガンに罹ってあっという間に末期症状になって入院していた時に東日本大震災が発生し、道路や鉄路が壊滅的被害を被ったあおりで医薬品の流通が滞ってしまい、予定よりも早くにモルヒネを投与せざるを得ない状況になって、まるで坂を転げ落ちるように容態が悪化して、発見からわずか三ヶ月で…という他界の仕方でしたので、心の準備なぞとてもできる状態ではなかったのです。

しかも父の場合、亡くなったのが東日本大震災の一週間後だったため、世の中では道や鉄路はガタガタのままでしたし、ライフラインも完全には復旧していませんでした。そんな中で父の亡骸を引き取ったはいいものの、父の仕事関係や友人関係も全く分からないので、葬儀屋さんの提案で新聞の訃報欄に記事を掲載してもらうことしかできず、葬儀をしようにも地元の市営斎場は天井が落ちてしまって使い物にならず、他の自治体の斎場をあたるも無事だった斎場には震災関係の葬儀が目白押し、ようやく会場を見つけるも会場と焼き場とが離れていたためそれぞれのスケジュールの都合上、先に亡骸を荼毘に付してから葬儀をしなければならなかったのです。あの時、父の同級生だという葬儀屋さんが、斎場の手配をして下さったり、物流が滞っていた中で奔走して参列者への会葬御礼品を掻き集めて揃えて下さったりといったことが無かったら、父の葬儀は一体どうなっていたことやら…。そのくらい何から何までシッチャカメッチャカでしたから、ようやく落ち着けたのは初七日過ぎくらいでした。それを思うと、彼女とご両親との時間はとても落ち着いていたように見えていて、勝手ながら羨ましくも思えていました。


そんなことを考えている間に告別式の時間になり、僧侶の読経が始まりました。施主であるみらいあいこさんがご焼香し、それから親族を経て我々一般参列者もご焼香させて頂きました。

そして最後のお別れに棺の中を花で満たすことになり、終わりの方になって一般参列者も花を収めさせて頂きました。御遺体の上には、生前お召しになられていたライトブラウンのお洒落なジャケットとストライプのネクタイにカラーシャツがかけられていましたが、その上に白菊を始めとした様々な供花が飾られ、まるで花園の中に横たわっていらっしゃるような様となりました。

この斎場は式場のすぐ隣に火葬場があるため霊柩車に棺を乗せる必要が無いため、棺の蓋を閉じた後の釘打ちの儀は行わず、そのまま台車に乗せられて僧侶先導の下に火葬場まで運ばれて行きました。我々一般参列者は合掌してお見送りし、そのまま失礼することとなりました。

来た時と同じ道を辿ってバス停に向かっている途中、行きは気づかなかったのですが道端に



薄紫色の野菊が可憐な花を咲かせていました。故人の野辺送りに、これ程相応しい花は無い…と、思わずカメラを向けました。

今頃亡き御尊父様は、先に彼岸に発たれた奥様と再会しておいででしょうか。今はただ、長く闘病された苦しみから解き放たれた御霊安かれと祈るばかりです。

合掌。
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