共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はコレッリの誕生日〜ヴァイオリン・ソナタの名作《ラ・フォリア》

2022年02月17日 16時30分35秒 | 音楽
朝方は冷え込んでいた厚木市でしたが、昼頃からは陽射しも暖かくなって過ごしやすくなりました。外を歩いているとそこかしこから梅の香りが漂ってきて、まだ寒いながらも暦の上ではもうすっかり春になっているのだ…ということを感じることができます。

ところで、今日2月17日はイタリアバロック音楽の巨匠の一人コレッリの誕生日です。



アルカンジェロ・コレッリ(1653〜1713)はイタリアで生まれた作曲家・ヴァイオリニストです。

イタリア・バロック音楽の巨匠として有名なコレッリですが、現在のラヴェンナ県内であるフジニャーノで1653年2月17日に生まれたということ以外の若い頃のことは知られておらず、13歳でボローニャに出てくる以前のことは実はあまり分かっていません。コレッリの家系についても同様にあまり多くのことは知られていませんが、同じ一族から僧侶や法律家、医学者、詩人などを輩出していることは分かっています。

1666年に当時イタリアの器楽音楽発展の最大の拠点であったボローニャに出たコレッリは、ここでヴァイオリン奏法を学んで音楽家として大成しました。ただ、コレッリは初期の作品で自らを『フジニャーノ生まれでボローニャの人と呼ばれるアルカンジェロ・コレッリ』と名乗ってはいるものの、彼が確実にボローニャに滞在したのは1666年(13歳)から1670年(17歳)までのわずか4年間のようです。

コレッリ最初の大きな成功は19歳のときにフランス・パリで得たもので、これによって彼はヨーロッパでの評判を得ることができました。1675年(22歳)にローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会でバイオリン奏者の地位についたコレッリはその後ドイツに拠点を移し、1681年に作曲した《トリオ・ソナタ集 作品1》を皮切りに作品番号を記した代表作を世に送り出して、器楽曲の作曲家としての名声を高めていきました。

更に1685年にローマに移ったコレッリは、1700年に名作《ヴァイオリン・ソナタ集 作品5》を出版しました。このヴァイオリン独奏のための作品集はヨーロッパ中の宮廷で評判となって、幾たびも再版や再出版が重ねられるほどのベストセラーとなりました。

その後『クリスマス協奏曲』で有名な《合奏協奏曲集 作品6》を出版したりしましたが、何と言ってもコレッリの名を現在まで轟かせているのは作品5の存在が大きいでしょう。そしてその中の白眉とも言うべき傑作が、終曲であるソナタニ短調『ラ・フォリア』ではないでしょうか。

『ラ・フォリア』或いは『フォリア』はスペイン発祥のゆっくりとした短調の三拍子の舞曲で、イ短調で書くと

Am-E-Am-G-C-G-Am-E-Am-E-Am-G-C-G-Am-E-Am

というコード進行で出来ています。この『フォリア』のメロディとコード進行はヨーロッパ中で大流行し、様々な作曲家がこの『フォリア』に基づいた変奏曲を作っています。

有名どころではヴィヴァルディがトリオ・ソナタのかたちで作曲していますし、モーツァルトのライバルと言われて久しいアントニオ・サリエリもクラヴィーア作品を遺しています。しかし、現在《ラ・フォリア》といえば真っ先にコレッリが想起されるくらい、飛び抜けて有名な作品になっています。

コレッリの《ラ・フォリア》はヴァイオリンの教則本にも収録されているので、中級以降に進んだ子たちはほぼ漏れなく演奏する曲となっています。ただ、それらはコレッリのオリジナル通りの楽譜ではなく、後世の様々な作曲家や校訂者によって改訂されたものです。

勿論、そうした校訂譜にもそれぞれ意義があります。しかし、私は基本的にコレッリの自筆譜に則った楽譜を使うようにしていて、バロック音楽特有の装飾法と合わせて教えるようにしています。

そんなわけでコレッリの誕生日である今日は、屈指のヴァイオリン・ソナタの名作《ラ・フォリア》の演奏動画を転載してみました。数あるフォリアの中でも、名作の誉れ高いコレッリのヴァリエーションをお楽しみください。



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