共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

厚木・長谷寺十一面観世音菩薩御開帳

2020年11月03日 17時30分46秒 | 神社仏閣
今日は天長節です。昨日懸念していた雨も明け方にはあがったので、予定通り出掛けることにしました。

最寄りバス停からバスに揺られること20分あまり、厚木市飯山にやってきました。今日は飯山にある長谷寺、通称飯山観音の御開帳日なので、久しぶりに参詣することにしたのです。

バスを降りてから参道を歩くことしばし、先ずは



この急傾斜の石段を登らなければなりません。しかも昨日の雨に濡れてかなり滑りやすくなっていて、ただでさえ踏み幅の狭い石段が更に登りにくくなっていました。

そんな狭い石段を足元に気をつけながらヒイコラ登ったところに、何やら見慣れないものが…。

なんと



仁王門が新しくなっているではありませんか!

以前ここには、宝永6(1709)年に飯山村の安在金左衛門が寄進したと伝わる仁王門と仁王像がありました。かつて見ていたのは



トタン屋根の些か風情に欠ける仁王門でした。それが昨年の台風の被害を受けて倒壊しかけていたのですが、その後修復・再建されて、ちょうど落慶法要が挙行されている最中でした。

偶然遭遇した法要終了後、パーティーションが取り払われて仁王門に近づいて詳しく見ると







柱の一部にはかつての部材が使われ、そこに新たな木材が接ぎ木されるかたちでの再建であることが分かります。

仁王像を囲む柵には



桜の浮き彫りも施され、桜の名所としての飯山を象徴するような細かな演出もされています。

唐破風(からはふ)屋根の下には



法隆寺の国宝・玉虫厨子にも描かれている釈迦の前世の説話である『捨身飼虎図(しゃしんしこず)』の浮き彫りが施され、新しい門に荘厳さを添えています。

屋根の上には



火災除けのための黄金色の鴟尾(しび)が据えられ、新たに銅板で葺かれた屋根に映えていました。

そこから更に狭い石段を登ると



宝珠を戴いた観音堂が見えてきます。

こちらのお寺は、山号を飯上山(いいかみさん)といい、寺号を長谷寺と書いて『ちょうこくじ』といいます。鎌倉時代より、坂東三十三箇所霊場の第6番目の札所にも指定されています。

寺伝では神亀2(725)年に行基菩薩が開いたとも、平安時代の弘仁年間(810〜824)に空海が開いたともいわれています。鎌倉時代には源頼朝が、かつて伊豆配流の折に頼朝に尽力し、北条政子との縁をとりもった安達盛長の子の秋田城介義景に堂宇を建立させたといわれています。

現在の観音堂は江戸時代に建立されたものと言われています。現在の屋根は銅板葺きですが、建立当初は伊勢原の日向薬師のように茅葺き屋根だったそうです。

建物の床は正方形で、外周には



擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)がまわされ、壁面には連子窓(れんじまど)が嵌められています。



正面の向拝(ごはい)は建立当初からのものとみられていますが、軒の上の湾曲した唐破風屋根は後に追加されたものだそうです。

全体はいわゆる密教本堂形式と呼ばれる仏堂の形式で、堂内は外陣(げじん)と内陣(ないじん)とに結界されています。内陣は十一面観世音菩薩を中心とした仏の世界であり、一般人は立ち入ることができません。

その内陣には寛文12(1672)年に当時の飯山村の大工・西海半右衛門によって造立された一間幅の大きな厨子が安置されていて、その中に御本尊の十一面観世音菩薩像が納められています。上の写真で堂内にお燈明が二つ灯されているのですが、その間に御本尊がおわします。

御本尊の十一面観世音菩薩は楠で作られた立像で、胎内には行基菩薩が刻み、裏手の白山の山頂にある白山神社に奉納されていたという十一面観世音菩薩像が納められているといいます。

観音堂の中に入って拝礼してから、いよいよ御開帳された御本尊を拝しました。

が…

厨子の上部にちょうど鼻から上のお顔が重なってしまっていて、実際には唇から膝にかけての部分しか見えませんでした。まぁ、本来ならば秘仏というものはあまりジロジロと見るものではありませんから、考えてみれば仕方ないことではあります。

観音堂を出てから寺務所に行って



御朱印を頂いてきました。中央には十一面観世音菩薩を表す梵字と『大悲殿』という字が書かれています。

観音堂の前には



嘉吉2(1442)年に飯山の鋳物師(いもじ)清原国光による梵鐘が据えられていますが、今日は撞けませんでした。

境内を辞して石段を降りバス停近くまで来てから、折角飯山まで来たので



麓の小鮎川沿いにある龍蔵神社にも参詣しました。こちらの御社も、神亀2年に行基菩薩が勧請したと伝わる霊場です。

バス停に向かう道すがらには







地域のボランティアの方々が植えたという『ざる菊』が見頃になっていました。小ぶりな菊の花が咲き誇るざる菊畑からは、菊の花独特の香りが漂ってきていました。

山から降りてきた頃には、辺りはすっかり暗くなっていました。日毎風が冷たくなる中、たまの休日にゆっくりと地元の寺社参拝することができました。

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