共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

大嘗祭

2019年11月14日 23時25分00秒 | 日記
今日は皇居内に造営された大嘗宮で、新天皇陛下即位の最大の祭祀である『大嘗宮の儀』が執り行われました。

毎年11月23日には、皇居内の神嘉殿(しんかでん)において『新嘗祭(にいなめさい)』が執り行われていますが、『大嘗祭』は新たに天皇が即位した年に一代一度きり行われる祭祀です。発祥は7世紀後半、飛鳥時代にまで遡ると言われています。

大嘗宮は大小30棟もの建物が、北端にある廻立殿(かいりゅうでん)を中心に左右対称に建てられた建築群です。ここで新天皇が、皇祖天照大御神を始めとする神々に神饌(しんせん)を捧げ、自らも口にして神々と食事を共にして国家安寧、五穀豊穣を祈念します。

18時半、清浄な白妙の絹地で作られた御祭服(ごさいふく)を身に纏い、御菅蓋(おかんがい)という傘を差し掛けられた新天皇陛下が廻立殿を出発して回廊を進み、東側の悠紀殿(ゆきでん)に入られます。

続いて



即位礼正殿の儀でも着用された『帛御服(はくのおんふく)』をお召になった皇后陛下が悠紀殿前の『帳殿(ちょうでん)』に入られ、皇嗣秋篠宮文仁親王殿下は小忌幄舎(おみあくしゃ)に、同紀子妃殿下やお二人の内親王殿下は殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)にそれぞれ入られ、拝礼されます。

悠紀殿外陣には、皇位継承者の証である剣と璽が置かれ、新天皇と介添の采女(うねめ)だけが内陣に入ります。内陣の中央には、神の寝床である『寝座(しんざ)』が敷かれ、それを囲むように四隅に灯台が立てられ、灯りが灯されています。寝座の横には神の御座所である『神座(しんざ)』が伊勢神宮を背にする方向に設えられています。そしてそれと向かい合うように、つまり伊勢神宮に向かい合う南西の方向に向けて新天皇の御座(ぎょざ)が設えられており、ここに新天皇が着座して『悠紀殿供饌の儀』が行なわれます。
占いで決められた東の斉田である栃木県高根沢町の田んぼで取れた『とちぎの星』というお米を蒸して小さく丸めたものや、粟を蒸して丸めたものを柏の葉で作られた皿にピンセット状の竹箸で盛り付けて供えて御告文(おつげぶみ)を奏上し、自らも口にして神々との一体化を図ります。神饌は穀類だけでなく、鯛や昆布、干しアワビといった海産物から、イチゴや柿といった果物に至るまで多岐に渡り、全部を終えるのに3時間はかかります。

21時半、供饌の儀を終えられた天皇陛下は悠紀殿を降り、廻立殿に戻られます。皇后陛下をはじめとした皇族方も、それに続きます。

そして日付が変わった0時半、今度は



西側の主基殿(すきでん)に天皇陛下が進まれ、こちらで『主基殿供饌の儀(すきでんきょうせんのぎ)』が悠紀殿と同じように挙行され



皇后陛下をはじめとした皇族方も、それにならいます。

主基殿内では、やはり占いで西の斉田に選ばれた京都府南丹市の田んぼで取れた『キヌヒカリ』の蒸し米が用意され、悠紀殿と同じく3時間をかけて儀式を執り行い、明け方3時半、即位礼最大の祭祀が終了します。

こうした千年を超えて受け継がれる宮中祭祀がある国に生まれてきたことは、本当に幸せなことだと思います。今回、一部の心無い人の強行意見によって、本来茅葺き屋根に設えられるはずの大嘗宮が全て板葺きになってしまったことが返す返すも残念でしたが、こうした古来から連綿と受け継がれてきた文化を、皇室の皆様にはこれからも大切に継承していって頂きたいと思います。

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