東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

やって来ました柳橋です

2020-06-11 | 散歩
  柳橋と言えば舟遊びと芸者さん、
  今はもう芸者さんはいないのかな。
  でも伝統は受け継がれ古き良き東京のムードを醸し出しています、
  日本が世界に向けて羽ばたき始めたころの話でしょうか。


  

     さあやって来ました柳橋、何年ぶりに来たのかな。
     永代橋を思わせるフォルムはドイツ・ライン川の橋を模したものでこれは永代橋のお手本でもあります。




  

     重厚なデザインだけど大きな橋ではありません、二車線の道路が走っているだけ。
     そもそもは江戸中期の架橋で明治になって鋼鉄製に、
     だが、関東大震災で落ちてしまいました。
     ドイツ・ライン川の橋を参考に永代橋のデザインを採り入れ
     昭和4年、1929年に完成した橋です。




  

     目の前で橋を見てこのリベットの数を見ると安心するような。
     柳橋の名の由来は、柳原土手の末端にあったとか
     橋のたもとに柳の木があったとか言われているけど
     未だに「諸説あり」の状態みたいですね。




  

     見れば見るほどプチ永代橋、しばらく行ってないけどまた行きたくなってきた永代橋。
     島崎藤村は今の柳橋一丁目に住み、柳橋を題材にした随筆
     「新片町にて」を発表し、小説「沈黙」の中では大正期の
     柳橋界隈を情景豊かに書いています。




  

     夕暮れより照明の演出をして、神田川河口に架かる柳橋の存在感をもたせています。
     子規も二首の句を残しています。
     春の夜や 女見送る柳橋。
     贅沢な 人の涼みや柳橋。
     あのヒト、どこへでも行っちゃうのね。




  

     区では平成3年度に優美な形をしたこの橋を後世に伝えるため
     傷んだ親柱を復元し、欄干には花街にちなんで「かんざし」を飾りました。

     明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表するような場所になり、
     新橋は政府の役人などが、柳橋は江戸以来の商人などが集まる場所となったようです。




  

     戦前の東京では23区のうち21区に花街があり
     代表的な柳橋、新橋、赤坂、神楽坂、芳町、浅草を六花街と
     呼んでいましたが、柳橋花街が消滅したあとに向島が加わりました。
     また深川にかつて存在した花街の芸者は
     「辰巳芸者」と呼ばれ、気っぷの良さで鳴らしたことは有名です。




  

     花街は無くなったけど舟遊びで今も賑わっている柳橋、
     今風の遊び場も増えています。
     船宿が経営するカフェですね、
     船に乗らなくても舟遊びの気分を味わうことができます。

     ひよんなことから柳橋に誘われて左衛門橋通りを走ってきました、
     知らないところっていいですね、キョロキョロしながら走っていました。
     最後に目的地があるってのもいい、柳橋へ行ける!。
     お天気がイマイチだったけど快適に走れました、
     寝ていた子が起きなければいいけどね・・・。

          data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4。 撮影 5月28日 ノスタルジックな柳橋
          
コメント (2)
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