東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

左衛門橋通りを走ってみる

2020-06-08 | 散歩
  この前金美館通りを歩いたときに見た左衛門橋通り、
  あまり興味はなかったけど調べてみたら神田川に架かる橋らしい。
  え、神田川?柳橋があるじゃないか和泉橋もある、
  わ~お、いく、行く、いぐ。柳橋に向かっていぐ~ぅ!!。


  

     左衛門橋通りは台東区を南北に走るほぼ直線の道路、
     南に向かって走ります、走り始めて間もなく秋葉神社に到着。

     明治の初期神田あたりで大火が発生し辺り一面丸焼けになった、
     東京府は一帯を火除地にし皇居から鎮火三神を勧請した。
     ところが庶民たちは火防の神「秋葉さま」が来たと勘違い
     火除地を秋葉の原と呼ぶうちにいつしか「秋葉原」に。
     やがてここに鉄道が引かれ駅ができ秋葉原駅と、
     当時は「あきばはら」だったけど気がついたら「あきはばら」になっていた。
     鉄道の駅を作るにあたってここに引っ越ししてきた秋葉神社です。




  

     ここまでは前に来たことがある、
     これから先は未知のところを走ることになるね。




  

     ちょっと寄り道をして合羽橋道具街へ。
     職場からは左衛門橋通りの手前の道を行くと真っすぐ来られます合羽橋道具街、
     雨の心配はないけどお日さまは全く顔を出しませんねぇ。




  

     ちょこっと入り口あたりを覗いてみたけど誰もいません、
     シャッターを下ろした店も多く商売になりませんね。




  

     元の左衛門橋通りに戻りちょっと行って「誓教寺」、
     門の扉は締まっていたけど横のくぐり戸が開いていたのでちょっとお邪魔を。




  

     入るとすぐ案内の立札がありすぐに分かります、葛飾北斎の墓がありました。
     北斎自身は日蓮宗の信者だっらしいけど菩提寺が浄土宗だったのでここに祀られたようです、
     墓標には「画狂老人卍墓」と彫られています。




  

     葛飾北斎生誕230年を記念して平成2年(1990)に建てられた葛飾北斎像、
     北斎晩年の自画像を元に作成したとのこと。
     ただし、目鼻に関してだけは『富嶽三十六景』を
     描いていたであろう時期に若返らせた姿を想像して制作したとか。
     富士山の方向を見ているそうです。




  

     葛飾北斎生誕200年を記念して昭和35年(1960)に建てられた石碑。

     北斎が肉筆画で使っていた落款を元にデザインされたもの。
     富士山がかたどられたなかに「北斎」と書かれている。
     とあるけどこれで北斎と読むの?。

     さあ快調に走り始めましたよ、
     このへんはお寺さんが多い、有名無名たくさんあって改めて行きたい寺も。
     次は鳥越神社から始まります、
     ず~っと行きたいと思っていた鳥越神社にやっと行くことができました。

          data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4。 撮影 5月28日 左衛門橋通りを
          
コメント (2)
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