冬晴れの朝、勝鬨橋から空を眺めながら、遠い日の記憶を辿っていた。
RICOH GR DIGITAL Ⅲ F5,1/400sec,ISO-64
東京での仕事場が近くにあるので、
勝鬨橋から眺める空など日常的なものでしかない。
ところが一方で、その空はいつ眺めても、何度眺めても、
決して見飽きることのない特別なものでもある。
なぜなら、その空は遠い日の記憶に繋がっていて、
とりわけ、雲ひとつない冬晴れの朝ともなると、
俄然、記憶の中の風景が鮮やかに蘇ってくるからだ。
もう40年以上も前、学生時代の話だが・・・。
毎年、暮れになると、勝鬨橋詰めの月島にあった食品会社でアルバイトをしていた。
運動部に所属していたのだが、
大学から潤沢な活動費が支給されるわけではなく、
かといって、貧乏学生の集まりではそう多くの部費を捻出できるわけもない。
それで、合宿費や遠征費など、まとまった資金を確保するため、
その食品会社が繁忙期となる年末に部員総出のアルバイトをしていたのだ。
若さと体力を買われてのことだから、
力仕事はもちろん、冷凍倉庫内での出荷作業などキツイ仕事がほとんどだ。
しかも、書き入れ時とあって、勤務が深夜に及ぶことはもちろん、
休みもほとんど取っていなかったと思う。
振り返ってみると、つらいことがいっぱいあったはずだが、
そんなことはまったく忘れていて、
思い出すことと言えば、その会社の上司によく飲みにつれて行ってもらったことや、
仲間たちと寮でバカ騒ぎして寮長に大目玉をくらったことなど、
仕事そっちのけの青くさいことばかりでしかない。
そして、そんな思い出のひとつが、早朝の勝鬨橋から眺める冬晴れの空だったのだ。
出勤時、築地駅で地下鉄を降りて、晴海通り沿いに月島まで歩くのだが、
冷たい川風が吹きすさぶ勝鬨橋の中ほどでわざわざ足を止め、
見入ったのがこの景色だった。
冬、北陸の鉛色の空とは対照的な雲ひとつない真っ青な空。
その空にすっかり魅せられてしまっていたのだ。
さて、この空を撮ろうと思ったのにはこんな理由がある。
実は、前日の夜、その運動部の仲間達が集まって旧交を温めていて、
その席で月島でのアルバイトの思い出話が始まったのだが...。
「そういえば、冬の勝鬨橋からの眺めた空がきれいだったな。」
ふと、仲間のひとりがあの空について話し始めたのだ。
すると、何人もがその話に食いついてくる。
驚いたことに、あの空の記憶は私のものだけではなかったのだ。
だが、仲間のほとんどが卒業以来、あの空を見ていないのだという。
それで、その盛り上がりを受けて、
勝どきに宿をとっている私がつい、
「明日の朝早く、勝鬨橋から撮った写真をメールする」
と、みんなに約束してしまったのだ。
ところが...。
あの日から一週間が過ぎたのに、まだ写真を送っていない。
ちょっと気が変わったせいで、それはこう思えてきたからだ。
「せっかくの記憶をメールで送って、各々がスマホで見るだけでは味気ない。
次に集まる時まで大事にとっておいて、その日が来たら、焼き増ししてみんなに渡そう。」
つまり、次回の酒の肴にしようとの魂胆だ。
そして、さらに思った。
40年以上もたいせつにしてきた記憶、
それが二年や三年、時間が経ったところで、色褪せることなどないはずだから、と。
Do you remember Phil Collins