折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

June Bride

2024-06-14 | 折にふれて

6月に結婚する花嫁は幸せになれる

ギリシャ神話に登場する女神ジュノにまつわる言い伝えとのことだが

好天に恵まれた高原の一隅に集まった人たちに囲まれて

新婦は幸せ気分に包まれていた。

     

そんな人々の表情を捉えることができたなら、とカメラを構えたのだが、

ファインダーを通してでも人と目が合うのは苦手。

それで、人気のない写真がほとんどとなってしまった次第だが。。。

せめて、幸せの「間」を繋ぎ合わせることができたなら幸いだ。

     

 

新婦。そして、新郎に幸あれ。

 

J.D. Souther - You're Only Lonely (Live at Farm Aid 1986)

 

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「四番、キャッチャー ・・・」

2024-05-29 | 折にふれて

「公式戦に出るから応援に来て!」

長女からせがまれて孫Hの野球観戦へと出かけた。

 

Hが学童野球チームに入って3年。

ダブダブのユニフォームにやたらと大きいヘルメットとグラブ。

そんなHの印象しかなかったのだが、子供にとって3年間の成長は大きかった。

「四番、キャッチャー。H君」とのコールの後、

打席には見違えるばかりに凛々しい野球少年が立っていた。

    

そして、キャッチャーと言えば守備の要。

    

先輩の見様見真似もあるのだろうが、中々に堂々としたものだ。

そして、そのプレーの一端をご披露。

当たったら、軽く外野まで飛ぶぞ、とばかりのスイングで三振。

長女に言わせると、いいところを見せようとして大振りになったのだとか。

    

さらに、守備面では。

ボールがバットに当たるたびにヘルメットとマスクを後方に跳ね上げてボールの行方を追う。

また、大きく逸れたボールは体を使って止める

監督やコーチの指導のお陰だろうが、その鍛えられ方は頼もしく目に映る。

    

そんな攻守を目を細めて眺めていたのだが、さて、その結果は...。

先行は許したものの、8対1で4回コールド勝ち。お見事。

そして、最後の整列を終えてスタンドへと駆け寄る子供たちは満面の笑顔。

そのあどけなさが残る表情にまた目を細めていた次第だ。

    

それにしてもだ。

ひときわ目立つ坊主頭。

これまた長女に言わせると「何かプレースタイルとか、こだわりがあるみたい」

なのだそうだ。まだ4年生なのに!?

 

※空倶楽部はお休みします。

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フェーン現象の怪

2023-08-06 | 折にふれて

連日猛暑の北陸。

こう暑くてはカメラを持って出かける気にもならず

「お蔵」から多少とも涼を感じる写真を引っ張り出してみた。


  橋立港(石川県加賀市) 2016.07.31 Sony α99  F2.8G/70-200㎜ 

 

北陸というと夏はなんとなく涼しげに思われがちだが本当のところは暑い。

各地で軒並み体温を超える暑さとなっていることに加えて

石川県の小松市、そして当ブログでもおなじみの三国港(福井県坂井市)で

39℃超える最高気温を記録している。

その原因となっているのがフェーン現象。

日本列島に南からの湿った風が吹き込み、

その風が列島中央部の山岳地帯を駆け降りるとき高温となって

北陸など日本海側の地域の気温が上昇するというものだ。

しかし、そもそも風が山を越えることでどうして気温が上昇するのだろう?

そのメカニズムを調べてみた。

『チコちゃん』流に表現するなら、「湿った空気と乾いた空気の温度変化に差があるから」ということなのだが

まずは気象庁のホームページから拝借した模式図をご覧いただきたい。

図の右、太平洋側から25℃の湿った風が2000mの山を越え

図の左、日本海側に33℃の乾いた風となって吹き込む様子を表している。

空気は標高が上がると冷やされ、逆に標高が下がれば温められる。

ところが、空気が含む水分量によってその温度変化は異なってくる。

湿った空気の温度変化は標高100mごとに0.6℃だが乾いた空気は1℃である。

したがって、25℃の湿った空気は2000mの山頂付近では13℃に冷やされるが

それが駆け降りることで33℃に温められる。

この条件での気温差は8℃。自然のヒートポンプともいえるメカニズム。これがフェーン現象だ。

 

さて、台風6号が九州南部に近づいている。

この位置に台風が来ると北陸には強い南風が吹くそうだ。

そのせいか、この先一週間は体温並みの気温が続くという。やれやれだ。

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一瞬の夏 By空倶楽部

2023-07-29 | 折にふれて

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

2014年8月 新潟県鯨波海岸を走るトワイライトエクスプレス。


 2014.08.30  18:34  Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (35mm  f/2.8,1/250sec,ISO12800)    

 

来春、北陸新幹線が敦賀まで延伸される。

それによって金沢から敦賀までの所要時間は30分短縮されて46分。

また、敦賀を経由した大阪までの所要時間も同様に30分短縮され2時間となる。

一方で鉄道輸送の高速化と引き換えに失われるものもある。

「サンダーバード」や「しらさぎ」など在来特急が北陸の鉄路から消えるのだ。

それと同じことが今から8年前にも起こっている。

北陸新幹線の開業とともに廃止されたいくつかの特別急行のことで、

その一つが大阪と札幌を結ぶトワイライトエクスプレスだった。

年のせいか滅びゆくものに共感し、廃止までの一年間、トワイライトエクスプレスを各地で追いかけた。

その中で最も印象に残っているのがここ夕暮れの鯨波だったわけで、

この場所こそがトワイライトと名づけられた列車を撮るに相応しい場所に違いないと

トワイライトエクスプレスの最後の夏を待ち構えたのだ。

 

 

実はこの写真を引っ張り出してきたのには訳がある。

その日、日没時間を過ぎてやって来たトワイライトエクスプレス。

徐々にあたりが暗くなるなる中でカメラのISO感度はすでに12800。

当時、常用していたカメラでは限界の感度で、残された写真はノイズがざらつくひどいものだった。

ところがである。最近になって、現像ソフトとして使用しているlightroomにAIによるノイズリダクションが搭載された。

それを試したところ、記憶の風景は鮮明に蘇った。

そして、トワイライトエクスプレスとともに通り過ぎた一瞬の夏を

なつかしく思い出し、この稿に残そうと思ったのである。

 

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Wembley Or Bust  Jeff Lynne's ELO

2023-05-31 | 折にふれて

一時帰国中の妹夫婦と毎夜楽しい時間を過ごしている。

妹のダンナ「K」はイギリス人。

あるグローバル企業の日本法人で技術者として20年ほど働いていたが、

三年前、定年を機に夫婦でイギリスに帰った。

日本には今でも友人知人が多く、その旧交を温めたいと思うのか、

また、妹にもさみしい思いをさせたくないのか

年に二回は夫婦で日本へやってきて一月ほど滞在する。

その滞在先のひとつが我が家というわけだ。

とにかく社交的、それでいて細やかな気づかいもできる。

それがたくさんの人に好かれる所以だろう。

そして、よく食べてよく飲む。

そんなわけで毎夜のどんちゃん騒ぎがやがて一週間は続いている。

あやしい日本語にあやしい英語で応えながら、

イギリスでの生活ぶりや先方の家族のこと、

最近出かけた旅行のことやちょっぴり政治の話など、

話題は多岐にわたる.

それら話題も決まって落ち着く先があって、それは音楽の話だ。

同年代の K と私はともに古い洋楽(彼にすればただのナツメロだが)が大好きで、

youtubeやディスクなど、音楽映像に歓声をあげながら酒宴が続くのである。

 

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、

この記事のタイトル『Wembley Or Bust』は K と私が酒宴のサカナにしている音楽ライブのことだ。

ジェフ・リンと彼を支える音楽ユニットELOがロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムで行ったコンサートの映像が収録されている。

ちなみにこのユニットはジェフ・リンがかつて率いたバンド『エレクトリック・ライト・オーケストラ』(ELO)とは

別物と捉えたほうが良いかもしれない。

同じ楽曲であってもバンド時代の気負いがまったく感じられない。

メンバーの違いは当然として、ひと年廻ったジェフ・リンによる音楽は

親しみ易さはそのままに、洗練された演奏とコーラスからオトナの雰囲気が伝わってくる。

『Wembley  Or  Bust』を昨今のワカモノ言葉で表現するなら

「ウェンブリーでやるっきゃない!」もしくは「ウェンブリーに行くっきゃない!」とでもなるのだろうか、

タイトル通り、ステージも観客も大盛り上がり。

ジェフ・リンの50年を超えるキャリアもあって観客の年齢層は高め。

会場は同窓会さながらで、映像を通してもその懐かしさ、さらには

ほのぼのとした雰囲気も伝わってくる。そして、掛け値なしに楽しい。

十代、二十代にジェフ・リンとエレクトリック・ライト・オーケストラの音楽に親しんだ方必見のライブ映像だ。

二時間近い収録のうち、いくつかの曲がyoutubeでも見ることができる。

その中から Evil  Woman を取り上げてみた。

 

Jeff Lynne's ELO - Evil Woman (Live at Wembley Stadium)

 

さて、私が退職したら、K はイギリス各地を巡る旅に連れて行ってくれるらしい。

それはナロウ・ボートというキャンピングカーのような小さな客船を借りて

運河をのんびりと航行する旅だという。

そして、その旅にジェフ・リンのコンサートも盛り込むそうだ。

そんな夢のような旅が今から楽しみだ。

けれども、気がかりなこともある。

退職まであと二年。そして、ジェフ・リンはすでに75歳。

その時まで元気に頑張っていてくれることを心から祈るばかりだ。

 

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These Days

2023-04-13 | 折にふれて

千鳥ヶ淵での桜の話題が続く。


  千鳥ヶ淵(東京都千代田区) 2023.03.31  7:47am  Sony α7R3   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (70㎜  f/5.6,1/320sec,ISO100)    

 

まだ人通りの少ない、朝の風景は気持ちを穏やかにさせてはくれたが

一方で、風が吹くたびに花びらがはらはらと散る桜を少しさみしく感じてもいた。

とは言っても、散りぎわの桜ばかりが気持ちを湿らせたわけではなく

前夜のジャクソン・ブラウンのコンサートの余韻が

そうさせたのかな、と思ったりもする。

50年来の思いを胸に出かけたコンサート。

自分自身の反応を意外に思うほど熱狂したことは直後の記事に書き留めた。

今度の日本公演でジャクソン・ブラウンが選んだ曲はほとんどが70年代のもの。

私にしてみれば10代から20代の初めにかけての思い出に繋がる。

曲ごとに様々な記憶が蘇がえり、その懐かしさや切なさ、

さらには、さみしさを散りゆく桜に映したのかもしれない。

そしてその時。ふと思い出した曲が『These days ( 邦題:青春の日々)』だった。

青臭い話ついでに曲への思いを留めておきたい。

 

Jackson Browne - These Days

 

コンサートでは歌われなかったが

ジャクソン・ブラウン初期の良く知られた曲だ。

彼がまだデビュー前、16歳の時に書かれたもので

この頃から彼特有の難しい表現が歌詞に現れているものの

「背伸び」したい気持ちが透けて見えるようにも感じる。

けれども、なんとなく言いたいことはわかるし、それが心の葛藤だと思うのだが、

直訳すると通じにくいので、思いっきり、というか独善的に意訳を試みてみた。

 

These days 

Well I've been out walking

I don't do that much talking these days

These days

These days I seem to think a lot

About the things that I forgot to do for you

And all the times I had the chance to

 

そう、僕はこれまではずっと外に目を向けて歩んできた。

でも近頃は、そんなに人と話すこともしていない。

そして近頃は、君のためにやり忘れたことにひどく悔やんでいるようだ。

「いつだってそのチャンスはあったのに」ってね。

 

And I had a lover

It's so hard to risk another these days

These days

Now if I seem to be afraid

To live the life I have made in song

Well it's just that I've been losing so long

 

以前にも恋人はいたけれど

近頃は、別の恋をすることをためらってしまう。

近頃の僕が歌の中にあるような人生を怖がっているようなら

それは、僕がこれまでも逃げ続けてきたということだろうね。

 

I'll keep on moving

Things are bound to be improving these days

These days

These days I sit on corner stones

And count the time in quarter tones to ten, 

my friend

Don't confront me with my failures

I had not forgotten them 

 

物事を良いほうへ向けるなら行動を続けるしかないだろう。

でも近頃の僕はコーナーストーンに座り込んだまま

四分音で10を数えるようにのんびりしていたりもする。

でも友達なら、

僕の過ちを責めないでくれないか。

決して過ちを忘れてはいないのだから。

 

 

 

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桜とともに Jackson Browne 

2023-04-02 | 折にふれて

桜の開花とともにやって来たジャクソン・ブラウン。

その東京公演に行ってきた。

 

この年になって「今さら」という思いもないではなかったのだが...。

行ってよかった。コンサートを心底から楽しむことができたからだ。

ジャクソン・ブラウンとの出会いは十代。

彼のファースト・アルバムを衝動買いした高校生の時だった。

その時以来50年、折にふれて彼の音楽に耳を傾けてきた。

だが、過去何回かの来日公演があり、出かけるチャンスもあったにもかかわらず、

直に彼の音楽に触れようとはしなかった。

確かに、高校、大学時代とジャクソン・ブラウンの音楽に共感し熱狂もした。

けれども、社会に出てからというもの、

都会でしか開催されないコンサートに

休みをとってまで出かけようとは思わなかったのだ。

ところが今回は違った。

昨年暮れにジャクソン・ブラウンの来日を知った時、

最初は「ふーん、来るんだ。」程度の反応だったのだが、

彼がすでに74歳となっていることを知り、

ひょっとしたら、これが最後の来日になるかもしれないと思ったら

間近で彼の音楽を聴いておきたいとの思いが急に募り始めた。

幸いにして、今は仕事量を調整しやすくもなっているので

この機会は絶対に逃せない、と東京での追加公演のチケットを

発売開始と同時に申し込んでいた。

 

それからの3か月。気後れしないようにと最新アルバムを中心に

現在のジャクソン・ブラウンの音楽を繰り返し何度も聴いてきた。

昔のように歌詞を覚えるまで聴き込めたわけではないが、

どの曲が始まっても楽しめる準備は整っていた。

そして、公演の当日。

開演を待つ列に並ぶ人たちのほとんどが私と同年代。

彼の音楽に共感した人たちが同じ世代にたくさんいたことをうれしく思いながら開演を待っていた。

コンサートの選曲は意外にも大半が初期の4枚のアルバムから、

私がもっとも熱狂した時代の曲がほとんどだった。

公演の始まりこそ、だれもが大人しく聴いていたが、会場は次第に熱気を帯び

終盤には私自身も立ち上がって、若い頃に聞きおぼえた歌詞を熱唱していた。

観客総立ちの中、2回のアンコールの後のこと。

ジャクソン・ブラウンは演奏メンバーはもちろん、

日本人の運営スタッフもステージに呼び出し、

「Thank You Tokyo!」と手を振りながら、舞台の袖に消えていった。

 

その後も鳴りやまぬ拍手の中。

コンサートが完全に終わったことを確かめながら

私もゆっくりと会場を後にした。

そして、渋谷駅への道すがら。

「最近、これほど熱狂した時間を過ごしたことがあったかな」と

高揚のあまり、いくつかの曲を口ずさむ自分を不思議に思いつつ、

さらにこんなことを思ったりもしていた。

終盤の会場のどよめきを思う限り、私だけでなく観衆の誰もがあの時間を楽しんでいた。

そして、ジャクソン・ブラウンもまた、あのアンコールの曲『ロード・アウト』の歌詞のように

日本での最後の公演を満足してくれていたらいいな、と。

 

Jackson Browne The Load Out/Stay

 

 

『ロード・アウト』

客席は空っぽ。

さあ、設営スタッフにステージを受け渡そう。

会場は取り壊され、荷造りが始まる。

彼らは最初にここにやってきて、そして最後にここを出る。

わずかな賃金で働いてくれて

そして、別の街でまた会場を準備してくれる。

今夜、観客はとても素晴らしかった。

ちゃんと列を作って待ってくれていた。

そして、立ち上がってショーを盛り上げてもくれて、

すごく心地よかった。

でも、今、僕の耳には観客が聞くことがなかった

椅子を片づける音やドアが閉まる音が聞こえているんだ。

 

片付けが進んで、最後のギターが仕舞われても

僕はまだ歌っていたいんだ。

だからピアノを片づけるのは待ってくれないか。

 

みなさん。僕たちのコンサートに力をくれるのはあなたたちです。

座って待つのもいいけど、僕たちを引っ張ってください。

僕たちと一緒に歌いましょう!

 

『ステイ』

みなさん。もう少しだけいてください。

僕たちはもう少し演奏していたいんです。

開催者だって気にせず許してくれるでしょう。

だから、時間をとってもう一曲歌いましょう。

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置き去りにできなかった空 By空俱楽部

2022-12-29 | 折にふれて

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


「置き去りにできなかった」と奇妙なタイトルをつけたが、

つまりは蔵出しの写真のこと。

いったんはパソコンに納めたものの、季節感など機会を逃した写真を

これまでも体よく、というか言い訳がましく掲載している。

その常套句が「置き去りにできなかった」なのである。

今回は9月に上京した際、帰路の機中で撮ったものだ。

遠くに富士山が見えているが、おそらくは松本市から北アルプスにかけての上空だと思う。

     2022.09.11  17:29  Sony α7S2   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (24㎜  f/5.0,1/2000sec,ISO160)    

 

このところの北陸は雪や雨の日が多く、

何日も太陽を見ないことも多い。

せめて、今年最後の「空倶楽部」くらいはと、

「蔵」の中からおひさまの写真を引っ張り出した次第だ。

 

さて、もうひとつ。

「置き去り」という言葉を使った理由があって

それはこの曲のことを書き留めておきたかったからだ。

 
Late for the Sky   Jackson Browne     

来年の3月にジャクソン・ブラウンが来日する。

そのコンサートに行くことを決めてから

彼のアルバムを聴きまくっている。

ジャクソン・ブラウンとの出会いは高校生の時だったからやがて50年になる。

以来、もっともよく聴いた曲が『レイト・フォー・ザ・スカイ』だった。

男女のこころのすれ違いを歌ったものだが

関係を修復できないまま恋人が去って行った朝の空。

その空がタイトルであり、エンディングの一節となる Late for the sky  である。

その言葉を個人的には「あの空に置き去りにされたまま」と解釈していて、

それはまた、いまだに高校時代の青臭さを思い出させてくれる言葉なのである。

 

 

Late for the sky   By Jackson Browne


The words had all been spoken

And somehow the feeling still wasn’t right

And still continued on through the night tracing our steps from the beginning until they vanished into the air

Trying to understand how our lives had led us there

すべて語りつくしたはずなのに、どう正せばよかったのか、今になってもわからない。

それで僕たちは、 ふたりの足どりがその始まりから、風の中に消えさってしまうまでを、

一晩中たどろうとした。

ふたりの人生がどうしてこんな風になってしまったのかを確かめたくて。

 

Looking hard into your eyes

There was nobody I’d ever known

Such an empty surprise to feel so alone

君の瞳の中をじっと覗き込んでみるけれども

もうそこには僕が知っている人は誰もいない

孤独の感情に空しい驚きすら感じてしまうんだ。

 

Now for me some words come easy

But I know that they don’t mean that much compared with the things

That are said when lovers touch never knew what I loved in you

I don’t know what you loved in me

May be the picture of somebody you were hoping I might be

簡単に言葉を口にすることはできるけど、

愛し合っていた頃に比べると、その言葉は何の意味も持たないことを知っているんだ。

僕が君の中の何を愛したのか、そして君が僕の何を愛したのか、もう知ることはないだろう。

たぶん君は、誰か理想の人を僕に映していたのだと思う。

 

Awake again I can’t pretend

And I know I’m alone

And close to the end of the feeling we’ve known

How long have I been sleeping

How long have I been drifting along through the night

How long have I been dreaming

I could make it right

If I closed my eyes and tried with all my might to be the one you need

また目が覚める。もう自分の心を偽ることはできない。

僕はもうひとりぼっち。

そして、ふたりが共有した感情もすでに終わろうとしている。

どれだけ眠っていたのだろう。

どれだけ孤独な夜を彷徨っていたのだろう。

長い間、夢を見ていただけなのだろうか。

目を閉じて、そして、君が必要とする男になろうと努力すれば、やり直せたのかもしれない。

 

How long have I been running for the morning flight

Through the whispered promises and the changing light of the bed where we both lie

Late for the sky

どれだけ走り続けたなら、あの朝のフライトに間に合っていたのだろう。

ベッドで身をよせながら、朝までささやき合った約束。

あの時の空に僕は置き去りにされたまま。

 

 

 

 

 

 

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Happy holidays

2022-12-24 | 折にふれて

今朝の金沢は雨。

クリスマス寒波も峠を越してくれたよう。

ご心配いただいた皆様にこころより感謝申し上げます。

    KITTE(東京都中央区丸の内)2018.12.15 9:56am   RICOH  GR DIGITAL3 (f1.9 1/50sec  ISO64)

 

ふだん交流いただいているブロガーさんの今朝の記事を眺めていたらクリスマス気分満載。

それで、ついうらやましくなって、「お蔵」からクリスマスらしい写真を引っ張り出してみた。

 

ついでにこの懐かしいビデオクリップも。


 
Live Aid 1985 - Do They Know It's Christmas (Film Camera Source)

1985年。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』のラストシーンもこのライブエイドでの

クイーンのパフォーマンスを再現したもの。

当時、全世界に送られた映像を食いつくように見入ったことを

つい昨日のことのように思い出していた。

 

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朝顔の句の話

2022-08-13 | 折にふれて

JR松任駅前の特設広場で朝顔の展示を楽しんできた。

 

松任(現白山市)は朝顔の栽培が盛んなところで

この時期開催される「あさがおまつり」には市内の愛好家はもちろん

園児、学童たちが丹精込めて育てた朝顔が多数出展されている。

というのも、松任は俳人の加賀千代女が生まれ育ったところで

彼女の代表的な句、

 朝顔やつるべ取られてもらひ水

にちなんで朝顔への愛着が強いのだ。

松任駅に隣接する『千代女の里俳句館』 では

春夏秋冬や花鳥風月など、折々の千代女の句に親しむことができるが、

それだけではない。

市民句会やこども句会の紹介、写真五七五の展示などは心温まるものだし、

また、小泉八雲が俳句を世界に紹介したコーナーなどは

芸術的文学的にも興味深く、

私のような俳句素人でも存分に楽しむことができる。

 

あらためて、「朝顔の句」のこと。

同志社女子大学の教員コラムに興味深い記事があった。

朝顔やつるべ取られてもらひ水

と紹介したが、コラムを書かれた吉海直人教授によると、

朝顔につるべ取られてもらひ水

とする句が一般に流布されていて、

「朝顔や」で親しんでいる人は金沢出身(*)の人が多いとのことである。

 *正確には旧松任市を含む石川県加賀地方

たった一文字の違いだが、俳句を鑑賞するという点では大きく異なる。

まず、「朝顔に」の句だが

「朝、起きて井戸に水を汲みに行くと、朝顔のつるが釣瓶(つるべ)に巻きついていた。

それを外すのが忍びなくて、わざわざ近所で水をもらった」と、断然わかりやすい。

一方で、「朝顔や」の句は「や」という切れ字によって

現実の世界からこころの世界へと次元を転換している。

つまりは朝顔の美しさに感動したことに重きを置いているのだ。

コラムを読みながら、以前、俳人の長谷川櫂さんの著書『俳句の誕生』で

切れ字のダイナミズムに大いに納得したことを思い出してもいた。

しかし、それなら「朝顔や」の句からは、千代女のやさしさは失われてしまっているのか。

吉海教授は、同じく石川県が生んだ哲学者、鈴木大拙の言葉を引用してその答えを導いている。

「彼女がいかに深く、いかに徹底して、この世のものならぬ花の美しさに打たれたかは、

彼女が手桶から蔓をはずそうとしなかった事実によってうなずかれる」(『禅』所収)

 

それでは、私はどちらの句を支持するのか。

 

「朝顔や」の句からは情景の広がりや読み手のこころなど俳句の醍醐味が伝わってくる。

一方で、「朝顔に」の句の方は「ただごと」である。

説明や報告に終わっている、と言ってしまえばそれまでだ。

けれども、こちらの表現には千代女の「ひととなり」が

よりはっきりと映しこまれているように思える。

つまりは、嫋やかな女性のこころを、

それも三百年という時空を超えて鮮明に映す

「朝顔に」の句に惹かれるのである。


 
 Carole King - (You Make Me Feel Like A) Natural Woman (from Welcome To My Living Room)

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