折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

琵琶湖 行く秋   By空倶楽部

2020-11-29 | 近江憧憬

2020年晩秋、琵琶湖湖畔。

    長浜市琵琶湖湖畔 2020.11.21  03:16PM  Sony α7S2  FE2.8 16-35 GM (,f/22,1/60sec,ISO400) 

 

その日、前夜から続いた雨は午前中には上がり、

やがて快晴の空が広がると、この時期としては暖かな一日となった。

早朝に余呉に着き、その後、昼過ぎにかけて長浜市内を散策したが

その頃には陽気で汗ばむほどだった。

そして、陽が傾くころ、琵琶湖湖畔に立ち

日没を待つことにしたのだが..。

 

長浜市内で感じた暖かさからは想像できないほど

湖面から吹きつける風は冷たかった。

この時期から冬にかけて、琵琶湖のほとりではしっかりと低温対策をする。

その日も厳冬とは言わないまでもそれなりに着込んではいた。

ところがその時、湖面を渡ってくる風はそれ以上に凍えるほど冷たかった。

一見、ふんだんな陽ざしを浴びる琵琶湖の表情は穏やかだ。

けれどもその表情とは裏腹に

琵琶湖はひと風ごとにその冷気を蓄え

人知れず、冬の様相へと変わっていたのだろう。

風が吹きつけるごとに手をこすり

さらに小刻みに足踏みをしながら日没を待つ。

しかし、そんな思いをしても琵琶湖の風景は千両役者。

光る湖面に目を細めながら、行く秋を繋ぎとめようと思ったのだ。

 

行く秋や持て来た風は置ながら  千代女

 

 


「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

 

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ガサッと落ち葉すくふやうに

2020-11-22 | 折にふれて

今日は休息日。

ここ2か月ばかり集中してきた仕事が一段落した。

気持ちが開放的になったことで、昨日は久しぶりの琵琶湖へ。

穏やかな秋晴れの中、撮影と散策を楽しんだが、

強行軍がたたったのか、今日は気力減退ぎみ。

それで休息という名目で写真整理に時間を費やすことにしたのだ。

 

その写真の中から長浜で見かけた紅葉を。

  2020.11.21  0:21PM 滋賀県長浜市八幡神社 Sony α7R3  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (50㎜ f/2.8 1/1250sec ISO100)    

 

神社の一角、うっそうとした森の中、

染まり始めたもみじが陽に照らされ、

色とりどりに輝く様子が印象的だった。

 

ところで...

 

美しさの代償でもないが、広い境内のあちこちには大量の落ち葉が。

訪れる人は「きれい!」で済むが

掃除する人にとってはたいへんな作業量。

ちょっと気の毒に思いながらも...それはそれとして

これだけの落ち葉を前にするとついやってみたくなるのが

ガサ、ガサっと靴先で落ち葉を跳ね上げながら歩くこと。

・・・・・

「いい年して」と、正気に戻って周りを見渡しつつ...

そして、一方では河野裕子さんの有名な歌を思い出してもいた。

 

人を恋うる歌か、はたまた現実逃避の歌か。

その解釈はそれぞれの方のお心向きにお任せするとして...


たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  河野裕子

 


久しぶりに折にふれての音楽

アルバート・ハモンドの『落ち葉のコンチェルト』を探していたら

ミコのカヴァーがヒットした。

 
 ♪ 落ち葉のコンチェルト/弘田三枝子

 

若い頃から『バケーション』や『砂に消えた涙』など

和製ポップスを器用にこなし

歌の巧さには定評があったが

それはこの曲でも健在だと思った。

残念ながら、この7月に亡くなられた。

あらためて、ご冥福をお祈りしたい。

 

 

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紅葉、そして「あやとり」の空  By空倶楽部

2020-11-19 | かが・のと

加賀市山中温泉の紅葉。

加賀温泉郷でも山あいにあるせいか

山代温泉や片山津温泉に比べて色づきが早い。

また、その日は気候にも恵まれ

ふだんなら見過ごしてしまうような街角が

色鮮やかな光景として印象に残った。

 

山中温泉は山あいの地と紹介したが

それは一方で不利な立地とも言える。

開湯1300年、松尾芭蕉も愛した名湯だが

その地理的条件が影響したのか、

近年、山代や片山津に比べ、客足が減った時期もあった。

けれども、街並みの整備や観光資源の再発信など

街を上げて取り組んだ結果、

温泉街では珍しく日中でも多くの観光客が、

それも若い女性客が街を散策する姿が見られるようになった。

そして、山中温泉でも観光名所として名高いのが鶴仙渓だ。

温泉街の崖下に流れる大聖寺川の渓流。

その流れに沿った散策路からは

約1キロに渡って四季折々の風景を楽しむことができる。

 

そして、もちろん、この時期の見どころと言えば

せせらぎを覆うように張り出す木々の紅葉である。

 

昨年のこの時期、なんとなく訪れた鶴仙渓。

その時、紅葉に見入ってからというもの

毎週のように写真を撮りに出かけた。

石川県には他にも紅葉の名所はあるのだが

今では、「自分にとっての紅葉は鶴仙渓がいちばん」との思いだ。

理屈っぽいが...そのワケを考えてみた。

その答えのひとつがこの光景ではないだろうか。

 

鶴仙渓は深い崖下にあり、うっそうと茂る木々が紅葉する。

その下で陽の当たらない岩場は暗がりとなり、

また川の流れは濃い群青色の背景となる。

つまりは岩場や川が自然のキャンバスとなり紅葉を引き立てているのだ。

 

さて、と。

取ってつけたようだが、今日は空倶楽部。

鶴仙渓にかかる「あやとりはし」から眺めた空を。

 

それにしても「あやとりはし」とはうまく名付けたもの。

ちなみにこの橋のデザインは

草月流家元で舞台芸術など

様々な分野で活躍した勅使河原宏氏だそうだ。

 

2020.11.15  加賀市山中温泉  Sony α7R3   F2.8G/70-200㎜

 

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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『陰翳礼讃』

2020-11-15 | 折にふれて

 

その夜は一時帰国した妹夫婦と食事を共に。

せっかくの機会だから、久しぶりに金沢情緒を楽しんだら...と「ひがし」へ誘った。

 

 

妹のダンナはイギリス人で20年間日本の会社で働いた後、

昨年、定年退職を機に夫婦でイギリスへ戻った。

戻ったものの、元来の日本好き、さらには妹の希望もあって

日本に家を残し、一年の半分は日本でも暮らすつもりだった。

ところが、このコロナ騒ぎでなかなか戻れず、

コロナ禍が下火となった頃を見計らって、一年ぶりの帰国となった次第だ。

(皮肉にもその後、イギリスはたいへんな騒ぎとなってしまったのだが...)

 

和食通、さらに日本酒通の彼。

イギリスにも今や和食も日本酒もあるのだが

「純」和食は久しぶり、、また北陸の地酒は殊の外美味しいのだとか。

舌鼓を打ったかどうかはわからないが

大いに喜んでくれた。

 

さて、その食事も終わろうとした時。

店内の片隅に飾られた塗り物の椀が話題となった。

最近注目されている輪島塗の作家によるものらしいが

暗がりの中から艶やかな朱に染められた模様が浮き出し

眺めれば眺めるほどにその朱色に惹き込まれていく。

 

 

その時、椀を眺めながら、

暗がりの美について書かれた本のことを思ってもいた。

谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼賛』で

暗がりの中の「漆」の美しさについて

どこかに書かれてあったことを思い出したのだ。

 

ある建築家にすすめられて読んだ『陰翳礼賛』。

昭和初期に書かれたものだが

日本古来の衣食住など暮らしぶり、

ひいては積み上げてきた文化が

西洋化され変わり始めたことに警鐘を鳴らし

日本人が持つ美意識を改めて見つめ直す、というものだった。

そして、その美意識こそ「影」や「薄明り」の中にある、

つまりは、終始、陰翳を褒めたたえる内容で

興味深く読んだことを記憶している。

 

以下、暗がりの中の漆器に関する著述を引用する。(谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』より抜粋)

 

日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、

始めてほんとうに発揮されると云うことであった。

「わらんじや(*1)」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、

床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。

が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、

それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、

全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。

そしてわれ/\の祖先がうるしと云う塗料を見出し、

それを塗った器物の色沢に愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。

われ/\は、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、

漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、

それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。

事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。

今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、

昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、

それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、

周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

(⋆1)京都の料亭

 

ところで...。

この夜は家内の誕生祝いも兼ねていた。

店が用意してくれたケーキを『陰翳礼讃』風に撮ってみた。

...谷崎潤一郎先生に怒られるかな。

 

ご訪問ありがとうございます。

本日コメント欄閉じております。

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時は流れない

2020-11-10 | 折にふれて

一日遅れとなったが空倶楽部。

今月のお題は「夕焼け空」ということだったが...。

           「9」のつく日は空倶楽部の日。詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

 福井県越前海岸 2020.11.08 15:53   Sony α7S2  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (24㎜,f/8,1/160sec,ISO100)    

 

夕焼けを期待して出かけたものの

この写真の後には暑い雲が張り出し

日没の頃には大粒の雨まで落ちてくる始末。

残念ながらお題クリアとはならなかった。

(元々、一日遅れなのでお題クリアなどあったものではないが...)

一方で、青く澄んだ空と雨雲が目まぐるしく交錯する空模様は冬の空そのもの。

遠い海鳴りも相まって、一足早い季節の到来を感じる越前岬だった。

 

さて。

先週の話になるが...

ショーン・コネリーが亡くなった。

ずいぶんと前に引退して余生を送っていると聞いてはいたが

彼の姿をいよいよ見ることが出来なくなったと思うと寂しい限りだ。

ショーン・コネリーと聞けば、誰もが当たり役のジェームズ・ボンドを思い浮かべる。

私にしてもそう。確かに『007シリーズ』は何度も観た。

けれども、俳優としての彼にさほど魅力は感じなかった。

好色でスカした感じがどちらかと言えば好きではなかったのだ。

その後、ボンド役が移り変わるうちに彼のことはすっかり忘れてしまっていた。

ショーン・コネリーをあらためて知り

自分の中で特別な存在となったのは

それからずいぶんと後のこと。

『アンタッチャブル』で気骨な警官マローンを演じた時からだった。

多くは語らず、やるべきことを淡々とこなす。

けれども、決して意固地なわけではない。

そして時々、何気ない表情や言葉の中に練り上げられた人格が垣間見える。

もちろん役柄の話だが、それをショーン・コネリーの人となりに重ね合わせ

この映画を繰り返し観るうちに彼のことを次第に好きになっていったのだ。

その人となりがこのコマーシャル映像でも窺える。

 

 

 

わずか一分の二つのドラマ。

「時は流れない。それは積み重なる」

その言葉に共感したものだが、それから30年。

今では当時のショーン・コネリーの実年齢を超えてしまったが

相も変わらず毎日を余裕もなくあたふたと生きていて

時を積み重ねるどころではない。

詰まる所、凡人はこの先も凡人のまま時を流し続けるのだろう。

しかし、それはそれとして...

時を積み重ねるショーン・コネリーにいまだに憧れる自分がいる。

 

余談。

実はショーン・コネリー、

まったく飲めなかったという話を聞いた。

それでこの演技。それも名優と呼ばれる所以だ。

 

 

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金沢 灯りの風景 

2020-11-03 | 抒情的金沢

金沢、ひがし茶屋街

   金沢市東山 2020.10.29  18:55  Sony α7S2  Planar 50㎜/F1.4(F1.4,1/60sec,ISO8000) 

 

GOTOキャンペーンで観光客は戻りつつある、と聞いていたが

周辺での食事に遠慮や警戒感などあるのか

それとも店側の受け入れ態勢が整っていないのか

まだ宵の口にもかかわらずこの閑散とした風景。

そして、灯りだけが目立つ茶屋街をしげしげと眺めながら思った。

ひと口に「灯り」と言っても明暗もあれば色合いもある。

その灯りが見事に統一され、街並みに調和している、と。

あらためて地区計画ガイドに目を通してみたのだが、

建物の建て方や建材、色に制限をかけてはいるが

灯りについての規定はない。

とどのつまり、藩政時代からの色街としての記憶が調和させたのだろう、と

かってに結論付けたのがこの「灯りの風景」だった。

 

 

 

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