折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

一瞬の光        By空倶楽部

2019-11-29 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

空倶楽部の開催は年に35回(閏年なら36回)

これだけの機会となると、いつも万全のコンディションで臨めるとは限らない。

それで、参加するブロガーさんの中にはいざというときのために

「ココ」といった場所をお持ちの方も少なくない。

人によっては「空撮り基地」と表現しているが、

それは自宅のベランダだったり、近くの公園、時には散歩道だったりもする。

私にもそんな場所がいくつかあって、

そのひとつが白山市の徳光海岸だ。

 

 Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (24㎜ ,f/8,1/80sec,ISO100) 

 

普段は穏やかなことが多い北陸の海も

冬を迎えようとする頃から次第に荒れ始める。

したがって、この「空撮り基地」もそろそろ店じまい、

この日も「これが最後の夕陽になるかもしれないな」と、

海に向かって三脚を立てたのだが...。

天気が良すぎたらしく、

日没時間が近づいても空が焼ける気配がない。

しかも、水平線近くには厚い雲が集まり始めてもいる。

こんな日は夕陽が赤く輪郭を整えることはなく、

空もそのまま暗くなっていくことを経験的に知っている。

ところが...。

「やっぱり、だめか...。」と、雲台に手をかけようとした瞬間。

俯いた顔に強い光を感じ、その方向を見ると、

雲の合間から落陽が顔を覘かせ鋭い光を放っている。

一瞬の光、さらには明るさを取り戻した渚の景色に目を奪われ、

急いでファインダーに目を戻す。

その光が輝きを失うまで、夢中でシャッターを切り続け、そして、思ったのである。

 一瞬の光を残して秋が通り過ぎていったのだ、と。

 

 

 

 

 

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はぐれそうな天女

2019-11-26 | 近江憧憬

 

余呉の話が続く。

 

陽が高くなるにつれて

余呉を深く包み込んでいた濃い霧が晴れ、

やがて緑あふれる対岸が見えてきた。

ここは針葉樹が多いので、残念ながら紅葉の名所とは言い難い。

けれども、この緑の瑞々しさがこれからの季節、

それが雪深い冬であっても

余呉の景色を美しく見せてもくれる。

その景色を想像してみる。

湖を取り囲む深い緑。

そこに雪が深々と降り、白い霧のヴェールがかかる。

また、晴れた日なら、真っ青に澄んだ空が背景を飾ってくれる。

さらに、それぞれの色は折り重なって、静かな湖面に映り込む。

それが冬の余呉の魅力なのだ。 

 

ふと...。

ちぎれた霧が流れるように緑の対岸にかかっていることに気がついた。 

 

 Sony α99  F2.8G/70-200㎜ (135mm  f/9,1/80sec , ISO400)

 

まるで...。

「あら、たいへん! 人に見つからないうちに…」

と、あわてた天女が羽衣をひるがえし、空へと帰っていくよう。

で、タイトルが...はぐれそうな天女(恥ずかしながら)

 

 
 はぐれそうな天使  来生たかお

 

 

 

 

 

 

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Nymphたちの朝

2019-11-24 | 近江憧憬

明け方、北陸自動車道の賤ケ岳サービスエリアが近づくにつれて

濃い霧に包まれた、ある一帯が見えてきた。

湖北、余呉湖だ。

地図で見ると、一周7Kmの小さな湖が

琵琶湖の北岸からわずかばかりのところにあり、

琵琶湖の一部がせき止められたのか、と思えなくもない。

けれども、余呉湖は標高にして琵琶湖より40mも高く、

さらに四方を賤ケ岳などの山に囲まれているので、

気象条件はまったく異なる。

その端的な例でいうなら、琵琶湖から2Kmと離れていないにもかかわらず、

冬は寒く、豪雪地帯だということだ。

さらに、これからの時期は朝方に濃い霧が発生するので、

北陸自動車道を走っていると、余呉だけがまるで綿菓子に包まれているようにも見えるのだ。

 

そして...。

まだ、撮影テーマが明確になっているわけではないが、

今年の冬はこの朝霧の中から立ち上がる風景を撮ってみたい、

そう思って、この日も早朝の余呉へやってきたのである。

 Sony α99  F2.8G/70-200㎜ (135mm  f/13,1/25sec , ISO400)

 

夜明け前、余呉を包む濃い霧も

陽が高くなるにつれて薄れ、

やがて、緑に覆われた岸部とその風景を映す静かな湖面が現れてくる。

それはわずかな時間でしかなく、その移り変わりこそが狙いなのだが、

見る見るうちに霧が晴れていく様子を眺めながら、

ふと、思いだしたことがある。

今まで特に気にもしていなかったことだが

余呉に伝わる羽衣伝説のことだ。

羽衣伝説など日本中そこかしこにあって

単なる村おこし、町おこし程度にしか思っていなかったのだが、

調べてみると、ここ余呉で起こった羽衣伝説が全国に広まったとある。

ファインダーから目を外し、霧が晴れる様子に目を凝らしてみた。

この日は快晴。

濃い霧が次第に薄れ、ちぎれちぎれとなって

やがて青い空に吸い込まれるように消えていく。

なるほど、それまで水浴びをしていた天女たちが

羽衣をまとい天へと帰っていくようだ。

今まで無頓着だったが、あらためて昔の人たちの想像力のたくましさに感心し、そして思ったのである。

昔の人たちが想像した天女。

あるものたちは水辺に集い、また、あるものたちは天へと舞い上がろうとする。

できもしないことかもしれないが、そんな姿を写真で表現できたら楽しいだろうな、と。


 

 Eurythmics - There Must Be An Angel (Playing With My Heart)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あの紅葉どうしたでしょうね?

2019-11-21 | 日常の中に

2週間前の記事で枝先だけがほんのりと赤くなったもみじを紹介した。

撮影場所は石川県の南西部に位置する山中温泉の鶴仙渓。

石川県では紅葉の名所。例年であれば真っ赤に染まっていたはずなのに

今年はかなり遅れているらしい。

それで、その日は恐る恐る進行形で紹介したのだが、

はからずもたくさんの方からリアクションを頂戴することになった。

ところが、根は小心者。

うれしい反面、それが強迫観念となって

中途半端だった紅葉の成り行きが気になってしようがない。

 

それで...、2週間後の週末。

またしても恐る恐る出かけた次第である。

題して...「あの紅葉どうしたでしょうね?」の巻。

 

Sony α7R3  F2.8G/70-200㎜ (200mm  f/4.5,1/200sec , ISO2000)   + Lightroom Classic

 

まだまだ真っ赤というわけではなかったが、

前回と打って変わって、行楽客で大賑わい。

その人ごみの合間を狙って、手持ち望遠撮影。

もみくちゃの中でほとんどの写真はブレブレ。

もちろん、撮影条件をあーすれば、こーすれば...などと考える余裕もなし。

したがって、技術の無さを撮影後の現像補正でカバー。

悪しからず。

 

追伸...決して拡大して見ないでください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「帽子」の情景     By空倶楽部

2019-11-19 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


 

このどこかにまだ、あの帽子はあるのだろうか...。

いつか見てみたかった風景を前に、そう思わずにはいられなかった。

 

Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (45mm  f/4.5,1/200sec,ISO100)     

 

旧軽井沢、銀座通りの街並みが途切れるとそこからは山道。

その山道を登りきると旧碓氷峠の山頂へと至る。

今は見晴台と呼ばれる場所で、

そこからは浅間山や妙義連峰など近隣の山々はもちろん、

天候次第では北アルプスや富士山まで見渡すことができる。

その碓氷峠という地名に強い関心を持ち、

そこからの風景をいつか見てみたいと思ったのは

今から40年以上も前のこと。

西條八十の「帽子」を知った時からだった。 

 

 

帽子     西條八十

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、

それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。

 

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

 

 

学生時代、運動部の春と夏の合宿のたびに上信越を走る列車に乗り込んだ。

碓氷峠麓の横川駅を発車した列車は

車輪を軋らせつつ、喘ぐように急こう配を登る。

その車窓を過ぎる雑木林を眺めながら

内心口ずさんだのが、西條八十の詩「帽子」だった。

そして、この詩を知るきっかけとなったのが

当時、斬新な宣伝手法が話題となった角川映画「人間の証明」だ。

映画そのものにさほど興味があったわけではなかったが、

劇中、主演の松田優作が淡々と朗読する「帽子」にはなぜか強く心を惹かれた。

今となっては、はっきりと思い出せないが

誰もが幼児期に体験するような

失った物への愛着がどこかなつかしく、

最後にはちょっぴり寂しく綴られる言葉に共感したのかもしれない。

また、「帽子」を英訳した主題歌の美しい旋律と

ジョー山中の絞り出すように切ないボーカルが

多感な心に響いたのだろう、と思ったりもしたのだった。

いずれにしても、その時。

「帽子」の詩とその情景がこころに深く刻まれたのである。

 

そして、時を経て、その風景が目の前にあった。

終わりかけた紅葉が折り重なる山々に向かって、

まるで「あの帽子」を探すように夢中でシャッターを切っていた。

そのころの記憶をひとつひとつ手繰り寄せるように

また一方で、自分にそんな青臭さがまだ残っていたのか、と苦笑しつつも。

 


ジョー山中 - 人間の証明

 

 

 

 

 

 

 

 

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ありふれた紅葉

2019-11-17 | 風の風景 光の風景

 

雲場池に揺らぐ陽の光を・・・と。

 

Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (70mm  f/3.5,1/200sec,ISO400)    

 

夏の終わりから取り掛かっていた仕事が一段落した。

その間、緊張する日々が続き、

他のことにも手をつけられないでいたので、

気分転換と頑張った自分へのご褒美、

家内とかのん、誕生月イベントとして

晩秋のひとときを軽井沢で過ごすことにした。

 

すでに冬の気配が漂っているかな、と思わなくもなかったが、

ピークを過ぎたとはいえ、まだ紅葉を楽しむには十分だった。

それで、金沢に先立って、紅葉の風景を存分に撮ろうと思っていたのだが...。

やはり、日本を代表する景勝地、この時期でも人出は多い。

しかもその半分以上は外国人で、観光スポットとなると次々と大型バスが運んでくる。

 

最初に訪れたのが旧軽井沢の雲場池だったが、ご多分に漏れずここも大混雑。

雑木林の中、池へと続く細い道はレンタサイクルが重なり合っている。

オフシーズンや平日という感覚はあくまでも日本人にとってのことで

インバウンドの観光需要には関係ないことを痛感した次第だ。

 

そこで、冒頭の写真に戻る。

雲場池で揺らぐ陽の光を背景に...などと

注釈をつけなければならない始末。

せっかくの軽井沢も、

撮るには撮ったが、人出を避けて目線はあくまでも近場。

 

この先も、どこで撮ったかわからないような「ありふれた情景」が続く。

 

 

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紅葉... ing ? 

2019-11-13 | 日常の中に

あれから、街の色も変わってきたな...と、

焦りを感じつつ紅葉狩りに出かけられないでいる。

あれから...  そう、県内の紅葉名所でこの光景を見た2週間前。

 

朝夕もめっきりと寒くなり

染まったかな...

散ってしまったかなあ...

と、この写真を眺めるにつけ、気持ちが落ち着かない。

 

紅葉...ing?   isn't  it ?

 

 

 

 

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湖辺はDétente  By空倶楽部

2019-11-09 | 近江憧憬

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


 

しばらくは戦いの手を止めて、それぞれが穏やかな夕景を楽しんでいるようだった。

 

Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (19㎜ ,f/16,1/30sec,ISO400) 

 

湖北水鳥ステーションからの夕景。

 

いつだったかの冬、この風景をながめながら

日本海側の湿った空と太平洋側の乾いた空の分かれ目が、

いわば「分水嶺的な空」がこの辺りにあるのではないか、と書いたことがある。

もう初冬、とも思えるこの日もそんな空模様だった。

青く澄んだ空に次々と雨雲がやってくる。

夕陽を待ち望む身としてはハラハラドキドキだ。

そして、そんな風景の緊張感をさらに高めたのが湖畔の植物たち。

元々は葦や芒が辺りを埋め尽くしていたはずだが

全国至る所で繁殖する外来のセイタカアワダチソウがここにもはびこっている。

その一方で、在来の植物たちがそれを食い止めようと必死に戦っているようにも見えなくもない。

そんな緊迫した雰囲気を思わせる光景だったのだが...。

雲の合間から沈みゆく陽がのぞき、

あたりを明るい光で覆った瞬間。

それまでしのぎを削り合っていた植物たちが

いっせいに光の方向に目を向け

しばしの夕景に見入っているような

そんな長閑さを感じたのだった。

 

さて、春から初秋にかけて、

葛籠尾岬に落ちていた陽はもうずいぶんと湖上へと移ってきた。

そして、やがて冬至の頃ともなると、

陽は竹生島の頭上めがけて落ちていく。

その落日こそがこの場所における夕景のクライマックス。

その時、空がどんなドラマを繰り広げてくれるのか、今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

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秋の名残り日

2019-11-03 | 風の風景 光の風景

 

わずかばかりの残照に秋の名残りを感じていた。

 

Sony α99  F2.8G/70-200㎜ (70mm  f/9/400sec , ISO200) 

 

空の写真がテーマのひとつとなっている。

ところが、この秋はすっきりしない天気が続き

とりわけ週末ともなると

決まったように台風がやって来るなど

荒れた天気となることが多かった。

晴れた空が必ずしも写真写りがいいわけでもないが

これだけ雲の多い空が続くと

抜けるような秋空を大きく撮りたくなる。

 

そして、秋も深まったその休日。

朝から快晴の空が広がってくれた。

海までは車で30分。

大きな空を撮るなら海と決めていたので

夕焼けに間に合うようにと

西の空を気にしながら向かったのだが...。

冬も近いこの頃となると、天気も長持ちはしてくれないらしい。

渚に出てみるとすでに水平線には厚い雲が立ち込めていて

沈みゆく陽の光を遮っている。

 

ところが、その時...。

それは落胆して帰ろうとした瞬間だった。

雲の合間から鋭く射した光が

波が引いた後の砂を金色に照らし始めていた。

ほんの一瞬の出来事。

秋の名残りとも思える光に急ぎカメラを向けたのだった。

 


晩秋の物悲しさを思いながら、ふと思い出した曲。

 
 Hush-a-bye Seagull   宇崎竜童

 

 

 

 

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