「午前十時の映画祭」
毎日午前10時から、1950年から1970年代の洋画を中心に
週替わりで(時には2週に渡って)上映する企画だ。
数年前に、アメリカン・ニュー・シネマの特集があって、
この時は、(家族に云わせると)憑りつかれたように、毎週末になると出かけたものだが、
土日の朝というとサラリーマンにとっては貴重なくつろぎの時間、
いつのまにかその熱も冷めていった。
ところが、である。
先の週末の朝、なにげなく眺めた新聞の上映案内に、「ティファニーで朝食を」とある。
しかも上映期間はこの週末限り。
オードリー・ヘップバーンの大ファンとしては外せない一作。
出張明けでだらだらと時間を過ごしたい気持ちもあったが、
スクリーンで観る機会を逃すものかと、朝食もそこそこに出かけた次第。
Breakfast at Tiffany's Opening Scene - HQ
早朝のニューヨーク。
閑散とした街並み、人通りもない道を向かってくるタクシー。
やがてタクシーはティファニーの前で停まり、黒づくめのドレスのオードリー・ヘップバーンが降り立つ。
袋から取り出したパンをかじりながら、ウィンドウをしげしげと覗き込むオードリー。
そのバックに流れるのが、ヘンリー・マンシーニの名曲「ムーンリバー」。
50年以上も経ったとは思えないほど、このオープニングシーンは色褪せない。
さらに、このシーンがこれから始まる粋な人間模様と感動的な結末を示唆しているようにも思えて、
何度も観ているにもかかわらず、ワクワクさせてくれるのだ。
その内容を一言で表現するならラブ・コメディ。
作家を志す青年ポール(ジョージ・ペパード)は、女性実業家に囲われてニューヨークのとあるアパートに住むことに。
そこで出会ったのが自由奔放に生きるホリー(オードリー・ヘップバーン)。
最初はホリーの破天荒な行動に戸惑うポールも次第に彼女の魅力に惹かれていく。
紆余曲折の末、やがて愛し合うふたりだったが、
犯罪事件に巻き込まれたことをきっかけにホリーは南米へ旅立つ決心をする。
空港へ向かうタクシーの中。
南米行きをめぐり口論となったふたり。錯乱したホリーは可愛がっていた猫を土砂降りの雨の中に放りだしてしまう。
やがて、冷静さを取り戻した二人は猫を探すため雨の街へ。
ようやく猫を見つけ出したことで、ふたりは愛する心を取り戻し、
ずぶ濡れのまま抱きしめあい、口づけを交わす。
そして、ここで再び流れるのがムーンリバー...という感動の結末。
さて、原作はトルーマン・カポーティの同名小説。
ただし、この原作は随所で映画と食い違っている。
ポールは「僕」という一人称で語られるし、ジョージ・ペパードのようにかっこよくもない。
さらには、女性実業家の愛人でもない。
また、「僕」とホリーの共通の友人ジョー・ベルは映画には登場しない。
そしてなによりも、ふたりは結ばれず、猫も行方不明のまま、ホリーは去って行ってしまう。
おそらくは、映画を観た後で原作を読んだひとがほとんどで、(自分もそう)
映画で味わったラストシーンの感動を活字でもう一度、と期待するのは当然のことだが、原作の結末はそうではなかった。
その点、むしろ原作と映画は別物と割り切った方が良いのかもしれない。
しかし一方で、原作には映画とは異なる深い味わいもある。
洒脱な会話がふんだんに盛り込まれていることがそうだし、
「またホリーに会いたい」と、読者自身に思わせるような、ちょっと感傷的な結末もそうだ。
映画にはない淡々とした結末(むしろこの結末のほうが現実っぽい)の中に感じるさわやかさ。
そんな読後感は活字の力ならではの醍醐味ではないかと思う。
例によって、折にふれての選曲。
先日、あるラジオ番組でスティービー・ワンダーの特集をやっていた。
希有のシンガーでありソングライターであることは誰でも承知しているが、
実は彼、ハーモニカの名手でもある。
彼がハーモニカで演奏に加わった、いわば裏ワザ的特集だったが、
その中で流れたのがこの曲。
Moonriver | Henry Mancini ft. Stevie Wonder & Take 6
TAKE6のハーモニーとの豪華共演。それでいて、原曲のイメージもそのまま残している。
云わば、もうひとつの「ムーンリバー」、傑作だと思う。
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