折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

余呉ミラージュ  By空倶楽部

2016-09-29 | 空倶楽部

湖北、余呉湖。

余呉ミラージュなどと勝手に名前をつけたが、

実際の空と映り込みの空の間に、余呉の町が蜃気楼のように浮かぶ。

早朝の静けさの中の風景。

これを見ることができたなら、早起きして出かけた甲斐があったというもの。

さらに、期限はとうに過ぎているが、今月のお題は「映りこみの空」。

かなり後出しとなったが、自分的にはクリアということにしておこう。

 


澄んだ曲を...と思って探し当てたのが

スタンダード・ナンバーの「イン・ア・センチメンタルムード」

競作数々あれど、やはり本家デューク・エリントンのソロ。

ひときわ高い透明度に参った! 

 

In a sentimental mood   Duke Ellington

 

「9」のつく日は空倶楽部の日   

詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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ア、秋

2016-09-27 | 日常の中に

 

 

ふと気がつくと、秋がすでにやって来ていた。

毎年この時期になると同じことを書いているが、

太宰治の創作ノート、「ア、秋」の一節。

「夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。」

今年は、炎熱もあったが、台風や長雨のせいで、

またしても、こっそりと隠れてやって来た秋を見破ることができなかった(笑)

 

冗談はさておき、

要は、他の季節の移り変わりに比べて、夏から秋への変化がわかりにくいことを太宰治は表現したかったのだと思う。

サトウハチローの「小さい秋みつけた」も、

一見、難解な歌詞に思えるが、実は「ア、秋」的に感じた秋を点描したのではないかと思っている。

 

ただし、あくまでも個人的な感想。

 

そんな能書きはさておいて、

木々の間に、ふと見つけた桜の病葉(わくらば)を眺めながら、

「ア、秋」とつぶやいた次第である。

 

 

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加賀橋立(はしだて)北前船の里 その3

2016-09-23 | かが・のと

もう少し、北前船の話を...。

 

                                            北前船主の屋敷跡にて

                    
北前船は巨万の富をもたらしたが、一方で航海の危険もかなり高かった。

北前船の多くは弁才船(べざいせん)と呼ばれる水密甲板を持たない様式で、

嵐に弱く、その航海は常に海難事故と背中合わせ、現に多くの死者を出している。

江戸期の海商、高田屋嘉兵衛を描いた

司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」に、

北前船など当時の操船の模様が描かれているが、

嵐や海の難所を乗り切る様はまさに命がけ、

水夫たちの緊張が精緻に伝わってきたことを覚えている。


離れて暮らす時間が長く、しかもその仕事は命がけ。

それだけに家族、とりわけ夫婦の結びつきは強く、

そのことは、このあたりに多い、夫婦(めおと)墓からも窺い知ることができる。

一般的な墓は、先祖代々を一基とし、墓碑銘を刻んでいくが、

夫婦墓は夫婦毎に墓所を確保し、夫と女房の2基の墓を並べる。

死後も水入らずという願いからだと思うが、橋立に限らず、海に生きる地域に夫婦墓は多いようだ。


北前船の乗組員、その家族の心情を想像してみた。

乗組員たちは、春彼岸頃、家族との別れを惜しみつつ大阪へ向かう。

大阪から出航し、瀬戸内海から日本海、そして北海道と回航し、大阪に戻るのは秋の彼岸頃。

一方で女房たちは日々航海の無事を祈りながら、

ひたすら夫の帰りを待ち続ける。

半年の航海を終えた乗組員たちは莫大な稼ぎを持ってなつかしいふるさとに帰り、

ようやく会えた女房とともに骨休めの湯治に出かけ、

仲睦まじいふたりの時間を過ごす。

不安と安らぎが交互に訪れる生活。

このような生活が繰り返されることで、「家単位」ではくくることのできない死生観が形成されたのではないかと思う。

北前船資料館で求めた冊子の中に、妻が航海中の夫に充てた手紙があった。



 


ひとふでしめし上げ候、

時節おいおいあたたかに相成り候

御君様、船の皆々ごぶじにて御ちゃく(御着)遊ばされ、

まんまん(万々)めでたく存じ参らせ候

ついてはご両親様はじめ、はつ子(ひとり娘)もわれらともさわりなく候あいだ、ご案じ下されまじく候

なお御君様、御身のかげんいかがにござ候やと、案じ居り候

なるだけ御身大切にお暮らしあそばされまいらせ候

まづは御見舞いかたがた一寸ひとふで書きしるしまいらせ候

あらあらめでたし                かしく
                  
                                 なつかしの美起より

※「北前船の遺産」 加賀市教育委員会編 作家 高田 宏氏の文章より引用

 

美起というのは女房の名前で、「なつかしの...」とはまるで恋人に宛てた手紙のよう。

今はこのふたりも「夫婦墓」で仲睦まじく眠っていることだろう。

 

さて。

何事もなかったように静かな今の橋立港。


なんとなく探し当てたなにげない一曲。

イエスタデイは傑作だけど、アナザーデイは駄作...そう叩かれていた記憶もあるが、

個人的には、ビートルズ以降では思い出深い曲。

何よりも、なんてことのない日常を楽曲にして、それで物議を醸すポールはやはり別格。

"Another Day"   Paul McCartney & Wings 

 

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加賀橋立(はしだて)北前船の里 その2

2016-09-21 | かが・のと

9月17日の記事に続き、橋立のこと。

というか、北前船のこと。

 

重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定、北前船主の屋敷跡がのこる街並み。

かつて橋立には30人を超える船主がいて、

北前船がもたらす財により大いに栄え、

その豪奢な様子から、日本一の富豪村と呼ばれたという。

  

江戸時代後期から明治初年にかけて隆盛を誇った北前船交易。

橋立に住む船乗りたちは春を待って徒歩で大阪に向かい、

係留してあるそれぞれの持ち船に乗り込む。

大阪を出港した北前船は、瀬戸内海を航行、下関から日本海へ出て、

山陰から北陸、東北と北上して北海道へ。

そして、逆のルートをたどり晩秋には大阪に戻って来る。

その間、点在する寄港地で積荷を仕入れ、または売りさばき、各地の特産物を交流させていた。

彼らの積み荷はそれぞれの地域には無いもの、または珍しいものだったから高値で売れる。

一度の航海あたり、1艘の北前船が稼ぐ水揚げは現在価値で約1億円。

何艘もの北前船を持つ船主たちは莫大な財を築いていった。

しかし、明治の中ごろになり、鉄道網が整備されるとともに、陸上輸送が発達、

さらに電信網による商品情報の交換が頻繁になることで北前船の交易は次第に衰退していったのだという。

 

 

午後、漁の合間の静かな橋立港。



そんな北前船栄華の記憶も今となっては遠い昔のこと。

 


なんとなくの一曲はロッド・スチュアート、しみじみと...。 

Rod Stewart - When I Need You

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奥琵琶湖晩夏 季節移ろいの空  By空倶楽部

2016-09-19 | 空倶楽部

秋雨前線という言葉があるくらいだから、

9月は雨が多いことは当然承知しているわけだが、

今年ほど天候に恵まれない秋の始まりは珍しいのではないか。

夏から秋へと季節が変わる様子を、ひと雨ひと雨ごとに秋が深まると言う。

「秋が深まる」というのは、

過ごしやすさだけではなく、

食べ物にしても、目に入る色彩にしても、

とりわけ情緒豊かな季節の到来を待ちわびる表現だと思うが、

これだけ雨が続くと、せっかくの気分も台無しとなり残念だ。

 

 

さて、8月の終わりの奥琵琶湖。

多少だが、季節移ろいの情緒を感じたこと風景がある。

前日からの雨が朝にはあがったものの、

雲が切れはじめたのはかなり陽が傾いてから。

暑さも和らぎ、竹生島にかかる空の色と深い青に染まりはじめた湖面に秋を感じた次第。


1970年代の初めの洋楽シーン。

美しいメロディや愛をテーマにした歌詞を特長とした

ソフトロックなる音楽ジャンルが台頭したが、

印象に残るバンドのひとつがブレッド。

邦題は「愛の別れ道」。

Bread   Baby I'm-A Want You  

 

 

「9」のつく日は空倶楽部の日   

詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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加賀橋立(はしだて) 北前船の里

2016-09-17 | かが・のと

初秋、加賀橋立へ出かけた。


石川県南部の港町。

そう大きな漁港ではないが、ここで揚がった魚は鮮度にうるさい県内でもちょっとしたブランドとして重宝される。

したがって、地元の食事処で「橋立港直送」と書いてあれば、そこは食材にこだわったお店だと思って間違いない。

ところで、この小さな町がかつては北前船の一大本拠地で、

日本一の富豪村とも呼ばれていたことを知る人は少ない。 


北前船の里資料館。



かつての北前船主の家だが、今は資料館として保存されている。

敷地は1000坪あまり。

広さもさることながら展示されている調度の数々から、

北前船交易で財を成した船主の豪勢な暮らしぶりを覗うことができる。 


さらに橋立の街並みを点描。

加賀ルージュと呼ばれる赤瓦が続く家並み。

また、今は廃墟となった家も含め橋立にはたくさんの船主屋敷跡が残されていて、

国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にも指定されている。 



北前船主の屋敷跡。

うっそうとした茂みの中、建物はすでに朽ち果ててはいるが、

その広大な敷地が当時の隆盛を伝えている。


ふたたび橋立港。

その隆盛からすでに100年。

まるで何事もなかったかのように、午後の陽ざしが閑散とした港を照らしていた。


 

猛暑の後は相次ぐ台風の襲来に長雨。

もう9月も中頃を過ぎたというのに、

今年の秋は残念な始まり。

せめて、曲だけでも秋らしくさわやかに。

Love Will Keep Us Alive    Eagles

1994年再結成に合わせてリリースされた Hell freezes over に収められていた

ティモシー・シュミットの曲。

 




 

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お茶の水界隈から  鉄写同好会

2016-09-11 | 鉄道写真

毎月11日は「鉄写同好会」の日。

詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。


お茶の水界隈としたが、実際にはお茶の水という地名はなく、

正しくは東京都文京区湯島から千代田区神田駿河台に至る一帯の通称だという。 

したがって「お茶の水」という文字も、JRや東京メトロの駅名においては「御茶ノ水」と表記されているし、

道路標識などには「御茶の水」の文字も見えるというから、これも通称たる由縁だろう。

そのお茶の水界隈、仕事で訪れた次第だが、時間調整もかねて付近を散策してみた。

 

駿河台と本郷台の間を流れる神田川に架かる聖橋(ひじりばし)から。

学生時代から変わらない東京の風景のひとつである。

 

地図を参考に解説をすると。

 

写真の右端がJR御茶ノ水駅で、

新宿方面からの中央線と総武線はこの駅まで並走し、その後枝分かれとなる。

中央線はこのまま神田川沿いに神田駅を経由して東京駅が終着。

一方で、総武線は鉄橋で神田川を渡り、秋葉原を経由して千葉方面へと向かう。

また、一瞬地上に出て、まさに神田川を渡ろうしているのが地下鉄丸ノ内線。

このあと、ふたたび地下に入るとすぐそこは地下鉄御茶ノ水駅だ。

 

ところで。

「変わらない風景」と紹介したが、実は大きく変わっていることもある。

それは列車の車体で、今はどの列車もジュラルミンの車体で、

路線は車体横のラインの色で識別されるが、遠目にはどれも同じに見える。

かつてはどうだったか。

中央線はオレンジの車体、総武線はカナリヤ色、

また、丸ノ内線は真紅の車体に波型のラインと一目瞭然で、

その列車たちが交差しながら行き来する様を思い出すと、

今のお茶の水の風景は多少殺風景になっているのかもしれない。

 

もうすこし散策を続けて、聖橋を渡りきったところ、湯島聖堂へも行ってみた。

歴史の教科書には幕府直轄の昌平坂学問所として登場するが、

明治期に以降、その学問の系譜は東京教育大(現筑波大)、お茶の水女子大に受け継がれ、

現在は、孔子を祀る史跡としてひっそりと保存されている。

 

杏壇門

 

 広い間口、荘厳な佇まいはまさに聖堂の正門といったところか。

 

大成殿

孔子を祭る本殿的存在。

 

そして、杏壇門横に奉納された絵馬。

「合格」の文字が表わすように、ここはやはり学問の神様(?)、

この時期でも絵馬は鈴なりで、昔も今も神頼みは変わらずということだろう。

 

さて、この付近には神田明神や湯島天神、

さらに駿河台には聖ニコライ堂もあり、

今ふうに言うならパワースポットが連なるありがたい一画でもある。

また、湯島天神から本郷台を下って不忍通りへ出れば、

根津、谷中、千駄木へと続く散策コース。

もう少し涼しくなったら、仕事とは別に時間をとって、

ゆっくりと歩いてみることにしよう。

 


ビートルズの弟分というふれ込みで、アップルレコードからデビューし、

1970年代前半に活動したバッドフィンガーのバラードで邦題は「明日の風」。

秋風が吹きはじめるとなんとなく思い出す曲のひとつである。

知らない人がほとんどと思うが、

ニルソンが歌って大ヒットし、その後もマライヤ・キャリーやホール&オーツなど

数々のカバーで知られる「ウィズアウト・ユー」は彼らがオリジナルである。

Carry On Till Tomorrow

 

 

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「台風に名前があった」という話と琵琶湖の空 By空倶楽部

2016-09-09 | 空倶楽部

ここのところ、東京へ出張するたびに台風がやってくる。

結果として、仕事そのものに支障をきたすことはなかったが、

台風の影響を受けることが少ない北陸に住んでいるものとして、

これだけ台風にヤキモキさせられる年も珍しい。

 ※東北、北海道はじめ甚大な被害に合われた皆様にこころよりお見舞い申し上げます。 

 

ところで、台風のことを調べていて知ったことだが、

台風には「○号」という識別のほかにれっきとした名前があるのだという。

「ジェーン台風とかいうあれか?」とお気づきの方もいらっしゃると思うが、

今の呼び名は金髪美人を思わせる西洋風ではなく、アジア名がつけられている。

自分が首都圏で遭遇した台風を例にとると、

先月東京を直撃した9号は「ミンドゥル」といって、名づけ親は北朝鮮で「たんぽぽ」を意味する。

迷走して東北と北海道に大被害を及ぼした10号は「ライオンロック」で香港の山の名前だし、

昨日、関東を駆け上がった雨台風の13号は「マーロウ」といって、マカオでいう「瑪瑙(めのう)」のことらしい。

さらに、この先やってくる台風にも、すでに名前がついていて、

「ムーランティ(マレーシアの木の名前)」、

「ライ(ミクロネシアの貨幣)」、

「マラカス(フィリピン語で”強い”」なんだとか。

実はこれら台風の名前、日本をはじめとして、台風の影響をうける14の国が加盟する「台風委員会」なる組織があって、

あらかじめ用意した140個の名前を順に割り当てているのだそうだ。

そして、140個を使い切ったなら、ふたたび最初に戻る約束となっている。

ちなみに日本名を紹介すると、

「ヤギ」「クジラ」「テンビン」など星座の名前がつけられている...なんでだろ?

 

前置きが長くなったが、今回の空倶楽部。

台風とはなんの関係もないが、

前回の空倶楽部に引き続き、

琵琶湖でひと足早い秋を感じた空。

 残念ながら、お題「映り込みの空」はクリアできず。


 

James Blunt   Good Bye My Lover 

 

 

「9」のつく日は空倶楽部の日   

詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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金沢・広坂 四校記念文化交流館にて 

2016-09-04 | 抒情的金沢

9月にも関わらず、容赦なく暑い金沢。

台風が近づくと風向きの関係で暑い南風が吹き込むのだという。

あと数日は降雨の有無に関わらず高温状態が続くようだ。

そんな中、所用で金沢市街へ。

「せっかくだから」とカメラを持ち出しものの、じりじりと肌を焼くような暑さにあえなく降参。

そこで、逃げ込んだのが「四校記念文化交流館」。

明治時代、全国に創設された旧制高等学校。

いわゆるナンバースクールで、その第四高等学校の校舎がこのれんが造りの建物。

戦後、金沢大学の理学部校舎として使用された後、

いくつかの変遷があり、現在は文化交流施設として保存されている。

 

 

旧四校はじめ、金沢の教育史を知る上で貴重な展示が興味深いが、

なんといっても見どころは、

金沢の三文豪(室生犀星、徳田秋声、泉鏡花)ほか、

井上靖や五木寛之など金沢ゆかりの作家の著書や記念の品の展示。

 

そして、その一画でふと目が留まったところ。

洋室の隅っこに置かれた古いライティングデスク。

その上に、さりげなく飾られた写真とこれまた年代を感じさせる電球スタンド。

わずかな調度ながら、木々の緑を映す光に照らされた姿に気をひかれた。

 

歩いて5分ばかりのところにある21世紀美術館とは比べようもなく閑散とした館内だが、

観光客の方にはぜひとも訪れていただきたい場所だ。


社会に出た年の夏。

この曲が収められたアルバム「ゴールドラッシュ」を、

夏から秋へ季節が変わる頃にすりきれるほどよく聴いた。

そんな思い出深い曲。 

時間よ止まれ / 矢沢永吉

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