折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

當麻伝説  Ⅱ

2024-11-15 | 大和路

當麻寺境内の中将姫像

     

先の記事で當麻寺に秘蔵される国宝『綴織当麻曼荼羅』に触れたが

その国宝を蓮の糸で一晩で織り上げたと伝えられる人物が中将姫。

藤原鎌足の曽孫とのことだが

「一晩で」「蓮の糸で」とはいかにも作り話だし、

さらにその後、中将姫は若い姿のまま浄土に召されたと言い伝えは続く。

そもそも中将姫の存在も不確かと言わざるを得ないが、

當麻寺に何らかの徳を為した女性のモデルがいたのかもしれない。

そして、中将姫伝説は歌人で国文学者の折口信夫(釈超空)の小説『死者の書』の着想にもつながっている。

『死者の書』にはもう一人の主人公として大津皇子が登場するのだが、

物語は二上山に葬られた皇子が目覚めるところから始まる。

大津皇子は天智天皇の孫で文武の才に恵まれ、臣下に慕われた人物で、

有力な皇位後継者と目されていた。

しかし、叔母である持統天皇から疎まれ、謀反の嫌疑により追い詰められて自死。

その後、二上山に葬られたと伝わる。

二上山に葬られたというところがミソで

前回の記事で紹介したように、飛鳥の人たちは当時、

二上山をこの世とあの世の結界と考えていた。

つまり、大津皇子はこの世にも戻れず、

あの世にも行けない場所に葬られたことになる。

史実には謀反の内実を伝えるものも

持統天皇の関与を裏付けるものも残されていないそうだが

大津皇子を二上山に葬ったことは

持統天皇がそれほどまでに皇子の魂の復活を畏れた証であり、

また嫌疑の裏付けのように思えてならないのである。

物語に話を戻す。

中将姫は浄土の様子を描いた曼荼羅を織り上げる。

その功徳で大津皇子の魂を鎮め、やがて自らも浄土へ赴くという故事に繋がる。

毎年、當麻寺では中将姫の縁日とされる4月14日に練供養会式が催されるが、

それは中将姫が浄土に召される様子を再現したものだという。

 

あらためて當麻寺のスナップ。

     

 

この静かな寺を訪れる人でこの寺が持つ不思議を知る人は少ないと思う。

いや、當麻寺中の坊のご住職から聞いた話だが、

過去に一度だけ「不思議」を求めて観光客が殺到した時期があったという。

それはこのJR東海のCFが流れた後、わずか3か月間だけだったそうだが...。

いま、ふたたびの奈良へ-當麻寺 2014年1月奈良へ

 

 

 

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當麻伝説  Ⅰ

2024-11-14 | 大和路

當麻寺。

 

ここを訪れるたびにこの寺が持つ数々の不思議が頭をよぎる。

 

そのひとつが東西の塔が並び立つ風景の中にあるのだが、

飛鳥天平時代から変わらぬ双塔の足元には小高い丘の斜面が迫り、

それをこんもりとした木々が覆っている。

飛鳥期、白鳳期、天平期に建てられた寺院の多くには伽藍の正門とも言うべき南門があって

双塔が配置される場合、南門をくぐってすぐ塔を見上げることになる。

ところが、當麻寺においては「あるべき南門」が存在しないのである。

 

さらに伽藍を眺めると講堂を背にして正面に金堂、そして左手には本堂が配置されているのだが、

これもおかしい。


  ※写真上では向かって左が講堂、右が金堂。正面奥が本堂。

 

なぜなら、本堂も金堂も仏教寺院で本尊を祀る建物。

本尊を祀る場所が何故二か所必要だったのか。

また、現在、本尊として本堂に安置された当麻曼荼羅は江戸時代に模されたレプリカ。

それでも重要文化財であることに驚かされるが、

一方で、創建当時からの本来の本尊、綴織曼荼羅図は損耗が激しく、

當麻寺に秘蔵されているらしいが、こちらは国宝だという。

綴織(つづれおり)とあるから、絨毯のように織られたものだと思うが、

いつどこで作られたものか、ひょっとして渡来したものなのか、

つまりは国宝にもかかわらず出自がはっきりしていないのだ。

 

出自と言えば、この寺そのものについても創建当時の縁起はわかっていない。

7世紀の初めに聖徳太子の異母弟である麻呂子王が創建したと伝えられてはいるが

大和のひとたちにとっては特別な山だった二上山の麓に

「誰が何のためにこの寺を開いたのか」はっきりとしていないのである。


  ※講堂と金堂の背後に見えるのが二上山(左が雌岳、右が雄岳)

 

遠く飛鳥時代、大和の国の西に位置する二上山は二つの峰の間に夕日が沈むことから

西方浄土の入り口と考えられていた。

死者の魂が向かう先ということだが、

現に二上山を超えた河内飛鳥(大阪府羽曳野市など)には

聖徳太子やその親族の用明天皇や推古天皇、敏達天皇など当時の有力者が埋葬されている。

伝承によると、當麻寺は麻呂子王に繋がる豪族当麻氏の氏寺とされているが、

そもそも二上山の麓は極楽浄土との結界、

死者の穢れを畏れる古代人がわざわざその場所に氏寺を設けるだろうか。

創建された理由については謎に包まれているのである。

 

さて、當麻寺、曼荼羅、二上山と謎や不思議を追ってみたが、

伝説として書き留めておきたいことがもう一つある。

それは二上山に埋葬された皇族、大津皇子のことだが、長くなるので後編へ。

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凍れる音楽  大和路点描2022秋

2022-11-10 | 大和路

夜明け前の薬師寺。

    
     2022.10.16  5:13    SONYα7S2  70-200㎜ F2.8G (70㎜ f7.1 10sec  ISO1600 )

タイトルの「凍れる音楽」のこと。

明治初期に来日し、日本の美術を広く世界に紹介したアメリカ人哲学者。

アーネスト・フェノロサが薬師寺東塔の美しさを評した言葉として伝わっている。

その言葉の解釈も、そもそもフェノロサによる表現だったかについても諸説あるようだが

それはさておき、裳階(もこし)を挟む三層の塔に

音楽が持つ韻律にも似た美しさを感じることから

そう形容されることになったらしい。

当時、西塔は存在していない。昭和になって再建されているからだ。

ひとつが再建された塔だとは言え、ふたつの塔が並ぶ姿のほうが

さらに景色の韻律を高めるようで断然美しいと思う。

もし、フェノロサがこの光景を眺めたなら、なんと形容しただろうと

答えのないことを想像しながら、この光景を楽しんでいたのである。

 

そして。

さらに「凍れる音楽」の風景を引き寄せてみた。

    
                   2022.10.16  4:50    SONYα7S2  70-200㎜ F2.8G  (200㎜ f5.6 6.0sec  ISO1600 )

 

その美しさを間近感じていただけたなら幸いだ。


久しぶりの選曲。

のんびりと古都を眺めた気分に美しいメロディと韻律の整った歌詞を重ねてみた。

 
原 由子  花咲く旅路

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室生寺 大和路点描2022秋

2022-11-01 | 大和路

 

宇陀、室生寺。

      

ごつごつとした石段を昇ってゆくと

うっそうとした木々の間から次々と伽藍が現れる。

いずれも斜面を切り開いた小さな平地に建造されたれたもので、

この山中の寺が修行の場であったことを物語っている。

真偽はともかく、役行者(えんのぎょうじゃ)や空海が創建したとの伝承にも頷けるというものだ。

この時期、紅葉には少し早かったが、

木洩れ日が織り成す風景は見応え充分だった。

      

自然と一体となった境内の佇まいからは四季折々の美しさも想像できるが、

そんな色とりどりの季節よりも興味を曳くのは厳冬だと思った。

雪に埋もれ色を失った光景から苦行の厳しさが

雰囲気として伝わって来るのでは、と想像したからだ。

そんな室生寺を胸に描きつつ、次に訪れるとしたら冬だな、と思った次第だ。

 

  

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当尾 浄瑠璃寺 大和路点描2022秋 

2022-10-25 | 大和路

当尾、浄瑠璃寺。   

    

 

初めて浄瑠璃寺という名前を耳にしたとき、

奈良仏教文化とは異質の歴史の浅い寺を想像した。

浄瑠璃という言葉から三味線に乗せた語り物を連想するとともに

竹本義太夫や近松門在衛門といった作者の名前を思い出し、

さらには男女の悲恋など世俗的な出来事に繋がる印象を受けたからだ。

だが、調べてみると浄瑠璃とはサンスクリットを語源とした

ひとつの浄土を表す言葉であることを知った。

東方浄瑠璃浄土がそれだ。

浄土というと西方極楽浄土のことばかりと思っていたが、

仏教の世界には浄土はいくつもあって

浄瑠璃寺はそのひとつ薬師如来が導く浄瑠璃浄土を具現しているという。

この寺の見どころは阿弥陀堂に鎮座する九体の阿弥陀仏。(現在は二体が修理中)

そのありがたいお姿を拝し、浄土より此岸に戻ったところ...

    

 

「撮ってください」とばかりのしつらえを前に

世俗に戻って「映え」撮りに及んだ次第。

 

 

さらに続く。

 

 

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当尾 岩船寺  大和路点描2022秋 

2022-10-23 | 大和路

空倶楽部のCさん、Kさん。そして二科会員のD師匠と訪れた奈良。

奈良というと奈良公園を中心として東大寺、興福寺、春日大社や

西ノ京の薬師寺、唐招提寺などが有名どころだが、

今回は奈良に詳しいKさんのご案内で

郊外の鄙びた(などと書くと叱られそうだが)寺を回った。

題して「オトナの撮影会」

ということで、しばらくは奈良の話題が続く。

 

まずは当尾(とうの)岩船寺から。

    

当尾の厳密な所在地を記せば京都府木津川市。

けれども、ガイドブックなどでは奈良の観光地として収録されているので

当ブログでも大和路点描として掲載させていただくことにした。

 

山間の地。緑にすっぽりと包まれた伽藍が印象的な寺だったが

中でも、深緑に朱色がひときわ映える三重塔が目を引いた。

    

 

今回の奈良。

何をどう撮るか、まったく考えてなかったのだが

Kさんがふと口にした「観光写真にならないように...」を

心掛けるようにした。

したがって、なんでこんなものを撮ったのか、というものもあるし、

しかも大方が「力のない写真」。

だから、「数」で勝負、組み写真で掲載することとした。

それぞれの寺の雰囲気が伝われば幸いだ。

 

続く。

 

 

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薬師寺遠景  By空倶楽部

2022-10-19 | 大和路

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

奈良西ノ京、薬師寺遠景。

         
            2022.10.16 6:31AM   Sony α7S2  F2.8G/70-200㎜ (135mm f/13/50sec , ISO100)

 

地元のカメラマンの方に薬師寺絶景のタイミングを教えていただいた。

頃合いにすればゴールデンウィークと盆の期間。

薬師寺のちょうど背後から朝日が昇るのだそうだ。

逆光、つまりは明暗差の激しい条件。ドラマティックな写真が期待できる。

だが一方でたくさんのカメラマンが殺到するのだろう、と

その時期、ここに立つことがすこし億劫にも感じられた。

そう思わせてくれたのがこの日の薬師寺。

日の出から30分あまり。穏やかな光がふたつの塔を包んでいた。

逆光ほどの迫力には欠けるかもしれないが、

やさしい斜光に照らされた薬師寺もいいものだ、と

この光景に見入った次第だ。

 

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薬師寺 悠久の浪漫   By空倶楽部

2022-09-29 | 大和路

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


奈良の話題が続く。

當麻寺での法要に出かけた奈良だったが、

実はもうひとつ目的があって、それがこの景色。

       
        薬師寺 2022.09.25 05:30AM  Sony α7R3   E150-500㎜/f5-6.7(150㎜  f/22,1/50sec,ISO640)    

奈良、西ノ京 薬師寺。

創建時の姿を残す東塔が解体修理に入って10年余り。

昨年春にようやくその修理を終えた。

1300年前、天平の人々も眺めていたのだろう。

その景色が再び戻ってきたのだ。

       
          薬師寺 2022.09.25 05:39AM  Sony α7R3   E150-500㎜/f5-6.7(288㎜  f/22,1/30sec,ISO500)    

 

 

 

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當麻寺

2022-09-27 | 大和路

久しぶりの奈良、そして當麻寺。

當麻寺に先祖供養をお願いしていて

年に二回、春と秋の彼岸に追善供養の法要に出かけている。

父が平成17年に他界して以来なので、私にとっての年中行事だったが

ここしばらくはコロナ騒ぎで中断していた。

當麻寺に関わる記事は「大和路点描」というカテゴリに括ってあって

振り返ってみると最後に訪れたのが2019年の9月だった。

それまで通い始めて15年ほどになるから

かれこれ30回は訪れた計算になる。

だから、3年ものブランクは大きいはずだったが...。

いつもと変わらぬ長閑な風景と空気で當麻寺は出迎えてくれた。

それもそのはず、1300年というこの寺の歴史にすれば

3年の月日などとるに足らないものでしかないのだから。

 

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當麻寺 奇跡の光景

2019-09-25 | 大和路

 4年にも及ぶ西塔の修理が終わり

二つの塔が並び建つ奇跡の光景が當麻寺に戻ってきた。

 Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (60mm f5.6,1/800sec,ISO100) 

 

當麻寺の創建は今から1400年あまりも昔、

推古天皇の御代、聖徳太子の異母弟の麻呂子王によるものと伝えられる。

法隆寺と同時代だからたいへんな古刹なのだが、

法隆寺はもとより、東大寺や興福寺など有名どころに比べ、

正直なところ見劣りはするし訪れる人もまばらだ。

(関係筋から叱られるかもしれないが...)

それでも年に2回、「あいかわらず田舎臭いなあ」と苦笑しつつもここを訪れる。

先祖の追善供養をお願いしているからだが、

その縁は今から60年以上も前に遡る。

年の離れた従兄が学生時代に奈良を放浪するうちに、

どういうわけか當麻寺に転がり込んだ。

そして、この寺の「不思議」に強い関心を持つこととなる。

不思議の謎解きを始めたそうだが、

それはやがて當麻寺への愛着に変わり

さらに、その縁は従兄を自分の子のようにかわいがった父、

そして私へと受け継がれてきたのである。

従兄は事あるごとに不思議を私に話してくれた。

もし、その不思議に興味を持った方がいらっしゃるなら

過去の記事を参照されたい。

當麻寺 不思議の力に引き寄せられて 

ただし、あくまでも従兄と私の私論なのであしからず。

 

さて、あらためて冒頭の光景。

1200年あまりの時を刻む二つの塔だ。

かつて二つの塔が建ち並ぶ伽藍は多かったという。

しかし、その塔のほとんどが今では消失している。

代表的な光景として薬師寺の双塔を思い浮かべる向きもあろうかと思うが 

今修理中の東塔こそ創建当時の姿だが

西塔は昭和50年代に再建されたものだ。

塔が消失する原因の多くは落雷と戦災だという。

だからこそ、1200年の長きにわたって二つの塔が消失を免れたのは

これはもう奇跡としか思えないのである。

そして、その塔たちが當麻寺で繰り広げられてきた

「不思議」を見届けてきたと思うと

それだけでこの寺に対する愛着が倍加するのである。

 

 

 

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