秋晴れの中、久しぶりの能登。
母が輪島出身ということもあって、子供の頃は頻繁に輪島へ来ていた。
とくに夏休みなどは、1か月以上も母の実家に預けられ、
海、山と駆け回っていた思い出がある。
ところが、現在、観光スポットになっている地域の記憶はほとんどない。
母の実家が山あいの地にあり、市街地へ出ることが少なかったこともあるが、
当時の輪島は今ほど観光地化しておらず、
例えば、日本で三本の指に入るといわれる朝市でさえ、
コンビニはもちろん、スーパーさえもない時代、
観光地としてではなく、日常生活の一風景として記憶の中に溶けこんでしまっていたのかもしれない。
その朝市の風景。


朝市が閉まる正午間際にもかかわらず、この人だかり。
先にも書いたとおり、元々は地元の人が日常的な食材を求める場所として利用されていたが、
今は、地元食材に加え、加工品や民芸品など観光土産を販売する店が多い。
ふと、子供の頃の記憶が甦り、
朝市での仕事を終えた高齢の女性たちが大きな荷物を担いで、街をゆく姿を思い出したが、
今ではそんな生活臭さなどまったく感じない 。
よく見ると街並みもすっきりと整備され、輪島がすでに成熟した観光地になったということなのだろう。
次に、近年、夜はライトアップされるなど、すっかり観光名所として定着した千枚田へ。

子供の頃から、この場所は知っていたが、
母の実家の近くにも急斜面を切り開いた田や畑があって、
平地の少ない能登ではよくある光景と、特に気に留めることもなかった。
ところが、今や全国挙げての棚田ブーム。
大きな駐車場が整備されたことで、ここにもたくさんの人が訪れる。
観光土産の売店、さらには、いったい何を眺めるのかコイン式の望遠鏡まで設置されている。
小さな棚田が連なる先は海と空だけ。
その能登の原風景の中にいることが、非日常の体験そのものということだろう。
(ライトアップ設備まである田んぼが原風景と言えるかどうかは疑問だが...)

ともあれ...秋晴れの中、潮風にあたりのんびりとつかの間の時間を楽しむ人たち。
能登のやさしい風景にふれた、そのしあわせ気分を分けてもらったような気分になった。
さらに、ついでとばかりに足を延ばして、能登半島先端の地へ。

禄剛崎(ろっこうざき)の見晴らし台。
ここからは、海からの日の出と海に沈む夕陽を居ながらに楽しむことができるという。
東京、釜山、上海、ウラジオストックの距離標識が目を引いたが、
最近、地方にまで及んでいるインバウンド需要が能登も潤していると聞けば、
この程度のサービス精神は当然といったところかもしれない。
さて、輪島での所用ついでに、のんびりと能登を巡った一日。
その写真を整理していて思い出した言葉が、
「能登はやさしや土までも」。
土はもとより人までも、と能登の人の素朴さ温かさを評する言葉である。
能登の血が半分入っているから言うわけではないが、
人はもちろんのこと、海も空も風も、すべてがやさしい能登だった。
秋空の中、どこか遠くへいざなってくれそうな
ライ・クーダーの素朴な名曲。
Always Lift Him Up _ Kanaka Wai Wai Ry Cooder
ところで、曲名の後にあるKanaka Wai Wai(カナカ ヴァイヴァイ)とはハワイではよく知られた讃美歌で、
この曲の間奏部分に使われている心やさしいメロディがそれなんだとか。