折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

夕陽の歌を    By空倶楽部

2019-09-29 | 折にふれて

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


 

日没寸前、焼けた空はわずかでしかなかったが

それでも川面を茜色に染めるには十分だった。

 

  Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (70mm  f/8,1/1200sec,ISO100)   

 

夏から秋へと季節が移ろうとする頃。

この日この時間この場所でしか出会えなかった景色だが、

一方でいつか遠い昔に眺めた景色のようにも思えたのだった。

そして、この時間を楽しみながら、

ふとなつかしい歌を思い出していた。 

 

 
 歌ってよ夕陽の歌を 吉田拓郎

 

 歌ってよ夕陽の歌を

 歌ってよ心やさしく

 

 あなたは坂を登って行く

 私はあとからついて行く

 影は私達をへだてるので

 やさしい夕日は 時々雲に隠れてくれる

 歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 

 あなたは夏をおりて行く

 私は秋に登って行く

 心を季節がへだてるので

 すばやい風はこうして二人を寒くさせる

 歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 

 

 

 

フォークミュージックの旗手として

1970年代の音楽シーンに鮮烈に登場した吉田拓郎。

これまで経験したことのない激しさとやさしさ。

彼の歌に当時の若者は大いに共感し、

学園祭などでもこぞって彼の歌を熱唱したものだった。

そして、時代の先駆者として疾走する吉田拓郎がふと立ち止まり、

力を抜いて作ったアルバム。

それが「ぷらいべえと」だった。

「夜霧よ今夜もありがとう」や「くちなしの花」など

当時の彼からは想像もできない曲が収録されている。

それらの曲を彼はまるで「鼻歌」のように歌っていて

リラックスした雰囲気とともに

ユーモアさえ感じられるのである。

さて、収録曲にはまた、彼がほかの歌手のために書いた曲のセルフカバーも含まれている。

梓みちよが歌った「メランコリー」やキャンディーズの「やさしい悪魔」、

そして、森山良子が歌ったこの曲

「歌ってよ夕陽の歌を」である。

森山良子版の曲は、持ち前の澄んだ、そして包み込むような歌声を、

バックコーラスやストリングスがさらに盛り上げる完成度の高い曲作りとなっている。

一方の吉田拓郎によるセルフカバーは至ってシンプルで

まるで気の合った仲間たちと一発録りをしたように荒削りな感じさえする。

しかも、同じ曲とは思えないほどロック調で、

これまた「どうだ!」とばかりの遊び心が伝わってくる。

あらためて聴いてみて、

彼に熱狂した多感な時代をほんのりとなつかしく思い出していた。

そしてまた、その気恥ずかしい思いとともに

この日眺めた夕陽の記憶も長く心に残るだろうと思ったりもしたのだった。

 

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當麻寺 奇跡の光景

2019-09-25 | 大和路点描

 4年にも及ぶ西塔の修理が終わり

二つの塔が並び建つ奇跡の光景が當麻寺に戻ってきた。

 Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (60mm f5.6,1/800sec,ISO100) 

 

當麻寺の創建は今から1400年あまりも昔、

推古天皇の御代、聖徳太子の異母弟の麻呂子王によるものと伝えられる。

法隆寺と同時代だからたいへんな古刹なのだが、

法隆寺はもとより、東大寺や興福寺など有名どころに比べ、

正直なところ見劣りはするし訪れる人もまばらだ。

(関係筋から叱られるかもしれないが...)

それでも年に2回、「あいかわらず田舎臭いなあ」と苦笑しつつもここを訪れる。

先祖の追善供養をお願いしているからだが、

その縁は今から60年以上も前に遡る。

年の離れた従兄が学生時代に奈良を放浪するうちに、

どういうわけか當麻寺に転がり込んだ。

そして、この寺の「不思議」に強い関心を持つこととなる。

不思議の謎解きを始めたそうだが、

それはやがて當麻寺への愛着に変わり

さらに、その縁は従兄を自分の子のようにかわいがった父、

そして私へと受け継がれてきたのである。

従兄は事あるごとに不思議を私に話してくれた。

もし、その不思議に興味を持った方がいらっしゃるなら

過去の記事を参照されたい。

當麻寺 不思議の力に引き寄せられて 

ただし、あくまでも従兄と私の私論なのであしからず。

 

さて、あらためて冒頭の光景。

1200年あまりの時を刻む二つの塔だ。

かつて二つの塔が建ち並ぶ伽藍は多かったという。

しかし、その塔のほとんどが今では消失している。

代表的な光景として薬師寺の双塔を思い浮かべる向きもあろうかと思うが 

今修理中の東塔こそ創建当時の姿だが

西塔は昭和50年代に再建されたものだ。

塔が消失する原因の多くは落雷と戦災だという。

だからこそ、1200年の長きにわたって二つの塔が消失を免れたのは

これはもう奇跡としか思えないのである。

そして、その塔たちが當麻寺で繰り広げられてきた

「不思議」を見届けてきたと思うと

それだけでこの寺に対する愛着が倍加するのである。

 

 

 

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東京 Slow Life

2019-09-21 | 郷愁的東京

六本木での話題が続く。

しかも...「らしくない」話。

 

      

        Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/5.6,1/320sec,ISO100) 

 

二科展の顛末は前回触れたが、

国立新美術館の開館時間は午前10時。

2時には美術館を離れなければならない事情があったので

その間を有意義に使いたい。

それでまず考えたのは昼食時間の節約。

館内や周辺の食事場所は混みあうことが予想される。

だから、開館前に「腹ごしらえ」をしっかりとしておきたかった。

とはいえ、ことさらアテがあるわけでもない。

それで六本木へ向かう地下鉄の中で、

ミッドタウン付近の「朝食」で検索したところ

「ブランチをゆっくりとれる」というふれこみの店がヒットした。

つまりは朝昼兼用、もってこいだ。

 

ミッドタウン裏手にあるその店をに入ったのは 

開店時間の9時を少し回った頃だった。

ところが。

近郊ではかなり知られた店なのだろう、

すでに窓側のイス席はほとんど埋まっている。

「ここで...」と、案内されたのは店の真ん中の暖炉前の席。

四方がイス席に囲まれてはいるが、

店内が広く見渡せるゆったりとした空間だったので

居心地は悪くなかった。

 

そして...。 

メニューに目を通す。

ブランチの種類は豊富でどれもおいしそう。

少し迷った挙句、

私は「サーモンのタルタルとアボガド+ポーチドエッグ」

家内は「ノルディックサーモンのマリネ+目玉焼き」を注文したのだが

さらに、それぞれの料理にフレンチトーストが2枚ついてくる。

あとでわかったことだが、そのフレンチトーストが店の看板メニューとのことだった。

バターの香りがする生地が

ほんのり甘いミルクをたっぷりと含んで

たしかに美味かった。

       

       

 

入店時に、「在席時間は2時間までとさせていただいています」と案内され

朝昼兼用とはいえ、「そこまでの長居は…?!」と思ったのだが

この料理なら休日の朝をゆっくりと楽しむことも悪くない。

また、すこし贅沢かとの思いもあったが、

「これも朝昼兼用なら...!」と大いに納得できたのである。

 

さて...。

思いもかけず、そんなゆったりとした朝から始まった日。

二科展での芸術鑑賞を終えた後、ミッドタウンで家内の買い物にお付き合い。

意外だったが、三連休にもかかわらず、人出は少なめ。

そう長い時間ではなかったが、

ミッドタウンの中での「新しい風景」探しなど

のんびりした時間を楽しんだのである。

 

       

 

ところで...。

今回の二科展で興味深かった展示のひとつが「組み写真」。

考えてみればブログの構成に通じるところもある。

それで、柄にもない記事を

六本木の風景とともに組み写真風に構成してみた次第だ。

少しでもSlowな心持ちを感じていただけたなら、うれしい限りだ。 

 

 
  In My Life  The Beatles

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新涼の空高く  By空倶楽部

2019-09-19 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


建物と木々のわずかな隙間からのぞく青空。

しばらく立ち止まってその高い空に見入り、そして思った。

いつのまにか秋の空に変わったのだな、と。

 

Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/5.6,1/2000sec,ISO100)  

 

その日、国立新美術館を訪れたのは開期終盤となった二科展を楽しむためだった。

二科展は東京で開催された後、地方開催として全国を持ちまわる。

小規模ながら金沢も開催地となったことがあって

その折々に足を運んではいたのだが、

東京での展示は別格、その規模、出展数の多さ、

そして多様なジャンルに圧倒され、

その見ごたえに思わず時間を忘れるほどだった。

 

ところで...。

はるばる東京での二科展まで出かけるには二つの理由があった。

そのひとつは家内の知人たちの作品が入選し展示されていることだ。

家内は数年前から絵画教室に通っていて、

今年、同じ教室で学ぶ先輩格の人たちが15人も入選したという。

しかも一般公募では最高賞の二科賞を受賞した人までいたとのことだからまさに快挙である。

それで、家内は先輩たちのそれぞれの作品に触れ、

さらに自分のモチベーションを高めたかったというわけである。

 

もうひとつの理由は私自身のこと。

話は今年の春にさかのぼるが…。

空倶楽部の主宰者の かず某さんchacha〇さん、そして、笑子さんlunayaさん

金沢へ来てくださりオフ会を開いた。

その時、同行されたのが面々が師と仰ぐDさんだった。

Dさんは二科会会員。

初めて写真家の仕事の瞬間を目の当たりにして

被写体との向き合い方や出来栄えの違いを感動とともに体感することができた。

そしてこの日、そのDさんの作品を間近に鑑賞できるとあって

ぜひとも会場に足を運びたいと強く思っていたのだ。

展示された作品はDさんが長年テーマにしていらっしゃる渡良瀬遊水地での風景写真。

生い茂る葦の葉の上で輝く朝露。

大きく広がる風景の中、

ほんの小さな被写体から大きな存在感を感じた。

さらにその写真が一発勝負のフィルムだというから

小さな被写体に着眼した感性とともに

技術の高さに驚き、目を凝らして見入った次第である。

 

さて---。

その後、Dさんと写真の展示を隈なく回り、

懇切丁寧な解説を拝聴することができた。

それはとても貴重で有意義な時間となり、

写真の奥深さを知るまたとない機会となった。

Dさんはもちろん、Dさんと知り合うきっかけとなった当空倶楽部に

あらためて感謝申し上げる次第だ。

 

 

 

 

 

 

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東京「新」風景

2019-09-16 | 郷愁的東京

 

東京国立新美術館

 

 

見慣れた建物のはずなのに

ただ無造作にカメラを向けるだけで

ファインダーの中で魅力的なフォルムとなり

そして、訪れるたびに新しい風景となる。

ここは、そんな不思議な場所である。

 

 

 

※ご訪問ありがとうございます。

 本日、コメント欄閉じています。

 

 

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水澄む季節 By空倶楽部

2019-09-09 | 空倶楽部

 「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


 

空倶楽部9月のお題は「映り込みの空」

穏やかに湛えられた水、高層ビルのカーテンウォールなど

空を映す場所が必要...という点で難題のひとつだ。

いや、早くからその「場所」を決めておいたなら

難題とはならないのかもしれないが

試験勉強以来、身に着いた「一夜漬け」の悪癖は

この年になっても治らない。

それで、8月下旬になって慌てだしたわけだが

実はひとつだけ近場で思い当たる場所があった。

石川県南部加賀市にある塩屋港である。

北陸の漁港は冬に押し寄せる日本海の荒波を避けるため

大きな川の河口に開けた港が多い。

塩屋港もその一つで、夏には午後から夕方の陽が河口を照らしてくれる。

その河口なら映り込む空を撮れるはず、と目論んだのだ。

...ところがである。

塩屋港に着いてみるといつもは静かな水面がざわざわと波立っている。

しかもその細かな波が上流に向かって流れているように見える。

「満潮か!?」

さすがにそこまでは考えていなかった。

日没まで残された時間はわずか。

ただ「治まってくれ」と祈る気持ちで待つしかなかった。

間一髪!

陽が入江の高台へ隠れようとする頃になって

水面の揺らぎが治まりはじめ、

やがて夕暮れの空を鮮やかに映し始めてくれた。

       

  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/8,1/250sec,ISO100) 

 

長々とどうでもいい撮影顛末を記したが

言ってみれば結果オーライ。

そして、河口での撮影は潮汐も条件のひとつとの教訓でもあった。

ともあれ、お題クリアに安堵しつつ、

水が鏡のように映しだす黄昏の空を眺めながら

往く夏へのほのかな寂しさを感じ

また一方で水澄む季節の到来を喜んだのだった。

 


この記事とは全く関係ないが、

この日塩屋港へ向かう途中、ラジオから懐かしい曲が流れてきた。

加山雄三の「君のために」である。

一連の若大将シリーズの中では

好きな楽曲のひとつだったが、

「君といつまでも」や「夜空を仰いで」ほどの

ヒット曲ではなかったせいか、その後ほとんど聴いた覚えがなかった。

だから、ずいぶんと久しぶりに、

いやそれどころか忘れかけた記憶を呼び起こすように聴いたのだが、

実はラジオから流れてきた声は加山雄三ではなく竹内まりやだった。

9月初旬に発売されるアルバムに収録されるもので、

彼女自身の「お気に入り」の一曲とのことだった。

竹内まりやとは同年代、その心意気にエールを送るものだが

当時を懐かしむならやはり加山雄三で聴きたい。

それでyoutubeからオリジナルを探し出してきた次第だが、

昭和の良き時代の思い出として同年代の方に共感いただけたら幸いだ。

  加山雄三/君のために (1967年)

 

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艶姿 風の乙女

2019-09-06 | 若狭 越前 越中

立春から二百十日。

今年の秋もおわらから始まった。

三日三晩のおわら風の盆。

その初日、9月1日に越中八尾を訪れることが恒例となって10年以上もたつ。

元禄の頃に起こった収穫の無事を祈る行事。

それが今日に伝わったものとされるが

たしかにこの頃は秋の長雨に台風の襲来など天候の不純な時期。

それだから、一週間ほど前から八尾の天気を気にし始める。

  ♪ 八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か オワラ ハラハラと

おわら節の一節のとおりハラハラと当日を待つのである。

 

そして...。

前日まで降り続いた雨を追い払ってくれた今年の風の乙女は彼女。

その艶姿に年甲斐もなく釘づけになった次第である。

 

 

 

 

※ご訪問ありがとうございました。

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カヴァティーナが流れている

2019-09-01 | 折にふれて

 

  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (17㎜ ,f/5.6,1/800sec,ISO100) 

 

穏やかな気持ちで風景に向かうとき

必ずと言っていいほど頭の中でイメージする音楽がある。

スタンリー・マイヤーズ作曲による「カヴァティーナ」で

タイトルは「抒情的な旋律を表現の主体とする小品」を意味する音楽形式のことらしい。

じゅうぶんに納得のいくところである。

 

カヴァティーナを知ったのは40年以上も前のこと。

学生時代に都内の名画座で観た映画「ディア・ハンター」の主題曲としてだった。

ベトナム戦争に徴兵された若者たちを描く

ロバート・デ・ニーロ主演による映画だったが

その凄惨な内容とは対照的な美しい主題曲が長く心に残った。

 

もうずいぶんと前の話になるが

別のブログでディアハンターのことを書いたことがあって

その時、同年代のある女性がこんな感想を投稿してくださった。

ディアハンターを観終わった後、

感情のやり場がなくなって、

そのままトイレへ駈け込んで号泣したというのだ。

それ以上のことは書かれていなかったが

なんとなくその気持ちがわかるような気がした。

哀しかったわけではない。ましてや感激があったわけでもない。

はけ口のない激しいやるせなさが彼女の心を大きく動かしたと思ったからだ。

しかし同じやるせなさを感じながらも自分の心はそこまでは動かなかった。

いや、動こうとする瞬間に留まった。

やり場のない感情を唯一消化させてくれたのが

カヴァティーナの美しいメロディだったのだ。

そして、それ以来。

穏やかな気持ちでいたいと願うとき

さらにまた、美しい風景に出会ったとき

どこからかカヴァティーナのメロディが流れてくるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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