物悲しいおわら節がどこからともなく聞こえ
やがて漆黒の中から嫋やかな女性の踊り手たちが現れる。
さらに衣擦れの音を響かせながら
キレのある男性の踊り手たちが続く。
菅笠を目深に被り、表情を隠した若い男女の
そんな幻想的なシーンを想像し、
さらに、こんなふうに撮ってみたい、と
構図まで勝手に思い浮かべていたのだが...。
「もうひとつのおわら」はまったくの別物だった、という話。
深夜の町流しをを見たくて訪れた八尾。
ある踊り手にどのあたりを流すのか聞いてみたところ
「どこで踊るのか、僕たちにはわからないのです。
地方の人たちが決めて、僕たちはそれについていくだけです。」
という答えが返ってきた。
地方(じかた)とは三味線や胡弓を奏でる人たち、それに合わせおわら節を唄う人たちのこと。
撮影の主題と思っていた踊り手の「ついていくだけ」という言葉に
しばらくはその景色を思い描けなかったのだが...
これまで見てきたおわらは若い男女が主役だった。
深夜になると主役は少し年嵩の地方や踊り手に変わっていた。
けれども、決してがっかりした訳ではない。
むしろ、かれらが楽しむ姿こそ、
小説「風の柩」に描かれた「おわら」だったに違いない、と納得したからだ。
菅笠を被った若い踊り手たちからは観客を意識した
気負いのようなものを感じていたが、
深夜の主役たちからはそんな気配はまったく感じられなかった。
ただ弾きたいから弾く。踊りたいから踊る。
そんな自分たちのおわらを楽しむ人たちに目が釘付けになったのだ。
そこには長年おわらとともに生きてきた円熟味も加わっていたと思うのだが
その円熟味が若い男女にはない凄みとして伝わってもくる。
そして、それこそが「ほんとうのおわら」なのかもしれない、と思ってもいた。
越中八尾、おわら風の盆。
風の盆と聞いてまず思い起こすのは、
ゆったりとしたおわら節に乗せて若い男女が踊る姿だ。
そもそも踊りの所作は収穫に感謝するものなのだが、
互いに菅笠で素顔を隠し、艶やかに踊る姿に
見る人は男女の恋に思いを馳せる。
そこにおわら節の物悲しい曲調もあって、
一様に「哀愁を帯びた」と情緒を感じるものなのだが
一方では、若い未婚の男女が掛け合う姿だから、
哀愁を感じつつも華やかさも伝わってくる。
縁あって、そんなおわらを十数年見てきたのだが、
実はそれとは別に見てみたいおわらがあった。
十代の頃の話だが。
当時、五木寛之の小説を読み漁った時期があって
風の盆を舞台にした短編小説「風の柩」には
地元の人しか知らないおわらが描かれていた。
その印象がその後も長く心に残ることになったのだが。
深夜、人通りの途絶えた町。
そこにどこからともなく聞こえてくる胡弓の物悲しい音色。
見物客も帰り、踊り手も引き揚げたあと、
淋しい町になった時がおわらには似合う、とあった。
そんな記憶が勝手に作り出したおわらを見てみたかったのだ。
「風の柩」が書かれたのはもう50年以上も前のこと。
その時よりも風の盆はずっと有名になった。
今では全国的に注目を浴び、祭の3日間に訪れる観光客は
20万人とも30万人とも言われる。
つまり、深夜になっても、「風の柩」に描かれているように
人が途絶えてしまうわけではない。
けれども、そこには今まで目にしてきたものとは別物のおわらが
確かにあったのだ。
続く。