折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

母のこと

2020-01-26 | 折にふれて

母の葬儀を終えた。

94歳。現役を離れて40年余り。

その頃の母を知る参列者はわずかでしかないことを思うと

少し大げさな葬儀だったかもしれない。

けれども、今自分にできることとして、

参列者の数はともかくも

母の経歴に見合った葬儀になれば、と思ったのだ。

 

母は大正14年に能登輪島で生まれた。

輪島と言えば朝の連ドラ「まれ」の舞台となった街だが

母の生家は、ドラマで紹介された輪島の印象からはほど遠い

山あいの地にあった。

"Looking  Into  You"  母の生家の記憶      2016.10.01

 

農家の三人姉妹、末っ子だった母は

幼いころから、自分は外に出て働くものだと決めていたらしい。

長女は婿をとって家を継ぎ、

病弱だった次女(後に二十歳で早世)は家を離れることはできないだろう、

だから、自分は家を出なければならない、と思っていたようだ。

それで母は太平洋戦争のさなかに看護婦(当時)という職業に就いた。

村長を務め厳格な父親の教育もあったのか、

国のお役に立ちたい、との志がそうさせたと聞いている。

二十歳前の母が戦傷病院で目の当たりにした光景は

おそらくは想像を絶するものだったに違いない。

けれども母は最期までそのことを私たち子どもに話すことはなかった。

 

戦争が終わった後、いったんは輪島に帰っていたそうだが、

経験を請われて、まもなく復職。

加賀市にあった国立の療養病院に勤めた。

母に連れられてその病院を訪れた記憶がある。

そこは、今の病院とはまったく風景が違っていた。

木造で体育館のような広い病棟と

簡易なベッドが等間隔にいくつも並べられていたことを

おぼろげながら覚えている。

その後、母は県内にあるいくつかの療養病院に勤務し、

退職までには婦長、総婦長も歴任していた。

当時の母の仕事ぶりがどうだったのか、はっきりとはわからないが

退職後の昭和57年に、勲五等瑞宝章を授与されたことを思うと

看護師になろうと決めた志のとおり

多少なりとも世の中の役に立っていたのかもしれない。

 

退職後、母は父とともにしょっちゅう旅行に出かけていた。

婦人会やボランティアなど地域活動にも積極的に参加し、

充実した毎日を楽しんで過ごしていたと思う。

ところが、父が体調を崩した平成15年あたりから

痴呆の症状が現われはじめ、

父が他界した平17年には寝ていることが多くなっていた。

それから15年間、次第に記憶は薄れて、体も不自由になっていったが、

幸いにも、顔艶はよく、容体も安定した日々が続いていた。

しかし、昨年からは呼吸や脈拍が次第にゆるやかとなり

1月21日に静かに息を引き取った。

老衰とのことだった。

 

葬儀式場でのこと。

通夜は私の職場や仕事関係の方たちが駆けつけてくれて

それなりの賑わいだったが、翌日の葬儀ともなると参列者はまばら。

その中を遺族席に立つ私に向かって、ゆっくりと歩いてくる高齢のご婦人の姿が見えた。

70代後半か、ひょっとすると80歳をいくつか超えているかもしれない。

私の前に立って「〇〇ちゃんでしょう?」と問いかけてきた。

聞けば、かつての母の部下で、

母に連れられてよく病院に来ていた子供の頃の私を

覚えていたのだそうだ。

「婦長さんにはたいへんお世話になりました」と切り出すや、

異動で他の病棟に移り、人間関係で苦しんだ時に

母が熱心に相談に乗り、

上司に掛け合って母の病棟に戻してくれたこと、

母は部下思いで、自分の他にも母を慕っていた人が何人もいたことなど

涙ながらに話してくれた。

家ではおちょこちょいでどちらかというととぼけた母。

仕事で家を空けることが多かったので

家事も料理もへたくそだった母。

その母が実は頼りがいがある人だったことが誇らしく

今更ながら母が愛おしく、思わず込み上げそうになった。

あのご婦人の話を聞けただけでもじゅうぶんに立派な葬儀になったと思った。

そして。「最後にいい親孝行をしてくれた」と母は思ってくれるだろうか、と

あらためて母の遺影を眺めてもみた。

 


「ウィズアウト・ユー」といえばニルソンの名曲と誰しも思うはずだ。

けれどもオリジナルはイギリスのロックバンドのバッドフィンガー。

シンプルで荒削り。

ニルソンのような歌のうまさも曲の華やかさもないが、

かえって、彼らの素朴なシャウトに胸が熱くなった。

 

 Without you - Badfinger

 

 

 

 

 

 

 

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令和2年1月21日

2020-01-21 | 折にふれて

母が息を引き取った。

ここのところずっと胸につかえていた仕事に

ようやく見通しがつき、

ほっとした直後の、姉からの知らせだった。

去年から次第に脈拍が弱くなり

覚悟はしていたけれども...。

94歳、静かな最期だったらしい。

「もう逝ってもいいかな。あなたも少しは気を休めなさい。」

そんな声が聞こえたような気がした。

 


 
 山中千尋 ~So Long~

 

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Tokyo Sparkly Night    By空倶楽部

2020-01-19 | 郷愁的東京

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


東京での仕事を終えて、ふと立ち寄った東京駅。

帰るまでにはまだ少し時間がある。

幸いにもこの時期にしては寒さも和らいでいたので、

しばらく周辺を散策してみることにした。

周辺の整備も終わり、行幸通りからは景観を阻害するものもなく

広く東京駅を眺めることができる。

ところが、周辺には高さが100メートルを超える

高層のビルが何本も立ち並んでいて、

せいぜいで30メートル余りの東京駅は

煌々と輝くビルの明かりに埋没してしまうのでは...

と思わないでもなかった。

けれども、その心配は一瞬で消えた。

RICOH  GR  DIGITAL3  f6.0mm F1.9 ( F6.3, 5Sec, ISO100)        2020.01.16 18:50   東京丸の内

 

ライトアップされた煉瓦造りの駅舎が周辺のビルのきらめきを

従えるかのように堂々と浮かび上がっている。

その姿はまさに千両役者。

日本一、いや世界でも類をみない美しい駅舎だろう、と

あらためてこの景色に見入ったのだった。

 

 

 

 

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われは湖の子

2020-01-12 | 近江憧憬

 

初冬の琵琶湖畔。

 

  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (35㎜ ,f/8,1/320sec,ISO100) 

 

われは湖の子、といえば「琵琶湖周航の歌」の冒頭の歌詞。

元は旧三校(京都大学)ボート部の愛唱歌だったというが

その旅情あふれる言葉と親しみ深いメロディは

折々の琵琶湖をしみじみとした情景として思い起こさせてくれる。

この日、陽も沈もうとする頃、静かに寄せる波をながめながら

つい口ずさんだのがこの歌詞だった。

 

波のまにまに 漂えば

赤い泊火 懐かしみ

行方定めぬ 波枕

明日は今津か 長浜か

 

ただ青と表現するだけでは

もったいないような美しい空と水面。

その色に心奪われつつ、そしてまた

心を包み込むように大きく緩やかに打ち寄せる波を眺めながら思った。

とにかくも今年いちばん、

いや、心慰めるというなら、

これまで出会った琵琶湖の中でも

いちばんの風景かもしれない、と。

 

 

 

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「なぐさめ」の空 By空倶楽部

2020-01-09 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

今年初めての空倶楽部。そして、お題は例年通り「元旦の空」。

 

暦の上でのことだが、すでに冬が半分終わろうとしている。

それにもかかわらず、

金沢では積雪がないどころか、雪すらもちらほらと舞う程度。

記憶にないほどの暖冬だ。

雪がないのは結構なことだが、

これでは春以降、雪解けの水不足が心配されて

稲や野菜などの大地の恵みにも影響が出るのでは、と思ってしまう。

一方で空の様子はというと暖冬とは別物。

どんよりと覆いかぶさる灰色の空はいつもの冬そのもの。

それは元旦の朝にしても同様。

夜明けから日差しはまったく閉ざされ、

今にも雨が落ちてきそうな空模様。

(結局昼前から細かい雨が降り出してきた。)

 

                                                                                              Sony α7R3  Planar  50mm (,f/2.5,1/350sec,ISO100) 

 

 

厚く暗い雲に覆われた空に冬枯れの樹木。

なんとも重苦しく、寂しげな風景で、

写真で眺めただけでも気持ちはふさぎ込んでしまう。

いや、去年まではそう思っていたのだが、

内村鑑三の「寒中の木の芽」という詩を知ってからというもの

冬枯れもそう悪い景色ではない、と思えるようになった。

というのも、一見冬枯れと思える景色の中にも

希望が宿っていることをその詩が教えてくれたからだ。

 

  春の枝に花あり

  夏の枝に葉あり


  秋の枝に果あり


  冬の枝に慰(なぐさめ)あり


  花散りて後に

  葉落ちて後に


  果失せて後に


  芽は枝に顕(あら)はる


       内村鑑三 「寒中の木の芽」(抜粋)

 

詩の言葉をひとつひとつ胸の内でつぶやきながら、

あらためて冬枯れの木を眺めてみた。

すると、枝々が暗い空を力強く押し広げているかのように見えてきた。

そしてさらに、冬枯れの木に新たな生命が宿り

春に向けて胎動を始めたように思えてもきたのだった。

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湖北 小春日和

2020-01-04 | 近江憧憬

年末封切の映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を観てきた。

シリーズ第1作から50年、50作目という節目の作品。

また49作目からは実に22年ぶりとなる。

とは言っても、主演の渥美清さん始めおいちゃんの下条正巳さん、

おばちゃんの三崎千恵子さん、タコ社長の太宰久雄さんなど

主要メンバーはすでに亡くなっているから、

いったいどんな話になるのだろう、と興味津々で出かけた次第だ。

まだ観てない方も多いと思うので詳細は差し控えるとして、

小説家となった寅さんの甥の満男(吉岡秀隆)が主人公。

満男と元恋人の泉(後藤久美子)との再会をめぐる物語に

寅さんの回想シーンが散りばめられるという展開だ。

この回想シーンこそ大きな見どころで

過去のシリーズから抜粋された名シーンを最新技術でリメイクしたもの。

生き生きとした寅さんが鮮やかに蘇っていた。

とにかく「じゅうぶんに楽しませてもらった」というのが正直なところの感想だ。

けれども一方で、これで寅さんシリーズもほんとうに終わったのだな、と

ちょっぴりさみしくもなった。

ともあれ、寅さんファンなら必見。それもぜひ劇場で観ていただきたい。

 

さて、話は変わるが、12月に奥琵琶湖の菅浦へ行ってきた。

菅浦は寅さんシリーズ第47作「拝啓、車寅次郎様」のロケ地となった場所で、

このブログでもそのことは何度か触れている。

渥美清さんの没後20年を記念した番組で菅浦のことを知り、

それ以来毎年、四季折々に訪ねている。

この日。前日までの雨もすっきり上がり、この時期としては記憶がないほどの快晴。

ということでこの日の菅浦。

題して、「湖北(まとめて)小春日和」

「お帰り寅さん」の余韻に浸りつつ、

まだひと月も経っていないこの日の風景を、そして空気を、

なぜかなつかしく思い出していた。

 

                       
                                                                  Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8

 


男はつらいよシリーズで、ここぞという時に流れる

どこかなつかしく、やさしい気持ちにしてくれる曲。

 
 男はつらいよ 寅次郎 歌子のしあわせ~夜の題経寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おみくじの話 

2020-01-03 | 折にふれて

2020年元旦午前6時50分 白山市 白山比咩(しらやまひめ)神社

 

白山比咩神社への初詣は元旦早朝と決めている。

加賀一の宮、県内では白山さんの愛称で呼ばれていて金沢からの参拝客も多い。

したがって、元旦はもちろん三が日通じてたいへんな混みようで、

元旦の昼過ぎなどに出かけようものなら着くまでに日が暮れてしまう。

それで、どの時間帯がもっとも空いているか、

いろいろと試してみて、元旦の早朝に落ち着いたという次第だ。

ふだんなら車で20分の距離だが、

空いているとはいっても、1時間はかかると見込んで6時前には家を出る。

家の近くにもこの総社から分社された白山神社はあるが、

睡眠時間を削ってまでここへやってくるのにはわけがある。

加賀一の宮という格式を重んじてのこともあるが、

大人げない話ながら、おみくじが気になるのだ。

ここ5年ほど、「末吉」を引いている。

知人友人の話を聞いても、この神社のおみくじは総じて辛口で

例え「大吉」であっても、かなり手厳しいことが書いてあるという。

ましてや下から二番目の「末吉」となると、

商売は辛抱、旅行はするな、探しものは出ない、待ち人は来ないなど

真に受けたら社会生活が成り立たない。

それを5年も引いているのだ。

一応、財布の中にしまい込んで、念のための「戒め」としておき、

年が明けると「今年こそはいいおみくじを!」と神様に挑むのである。

その今年の首尾は…。

「小吉」 順位でいうならひとつ良くはなったが、

多少の手心は感じるもののやはり手厳しい。

ところが、である。

もういい加減、こんな馬鹿々々しい意地っ張りはやめよう、と、

そのあたりの木に結ぼうとした時、

ふと、運勢の序文の言葉に目が止まった。

   見かけ倒しの運勢で、人に羨まれるほどに中身がよくない時である。

   斯かる時こそ尚更、人に対しては誠実を旨とし、嘘を言わず親切に交際して、

   信用を築くように心がけるべきである。

どこか、心を見透かされているような気がしたのである。

さらに続いて...。

   虚栄(みえ)を張らず、奢りを慎み、質素を守るがよろしい。

   今の運勢は、遠くの見透しがつかないのが欠点であるから、

   軽はずみせず、諸事手堅くするよう心掛ければ吉になる。

つまりは人としてどうあるべきかということを説いており、

最後には「吉になる」とやさしい言葉で結んである。

もう運勢の順位などさしたる問題ではないと思えてきた。

さらに、そう思って個別の運勢を読み始めると

それぞれの内容に頷けないこともない。

さすがは神様だ。

いや、どなたかは知らないが、ご神託を文章にした方の慧眼と言うべきか。

そして、やはり今年も、財布の中にしまっておこう、と思ったのである。

「戒め」ではなく「教え」として。

 

 

 

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