連日猛暑が続く日本列島。
けれども、ひょっとして琵琶湖なら幾分か涼しいのでは...!?
そんな思いで出かけたのだが、フロントパネルに表示される外気温は36℃。
列島を覆う炎熱に例外はないようだ。
日が陰り始めてもその日の暑さはとどまることを知らない。
それで、たまりかねて湖畔のカフェへと逃げ込むことにした。
水泳場帰りの客で混みあっているかな、とも思ったのだが
この暑さで人出ももうひとつらしい。
幸いにもひと時の涼をとることができたのだった。
そんな暑さにもかかわらずはるばる出かけたのには理由があって
それは、この時期の写真テーマ「ア、秋」の風景を探すことだった。
もう何年も前のことになるが、新聞のコラム欄に太宰治の創作ノート「ア、秋」のことが書かれてあった。
その中には、”秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル” と題された文章が残されていて
「夏の中に秋がこっそり隠れてもはや来ているのであるが、
人は炎熱にだまされてそれを見破ることが出来ぬ。」 と記されている。
夏から秋へと移り変わる季節のあいまいさを
太宰治は彼一流のユーモアで表現しているのである。
なるほど夏から秋へと移り変わる季節はあいまいだ。
春一番が吹き、桜便りが届けば寒い冬ももうじき終わると希望を持てるし、
逆に、木枯らし一号が吹き、初雪の知らせがあればもう冬かとおっくうな気持ちになる。
また、新緑が眩しくなれば夏の到来を感じ、梅雨が明ければ猛暑を覚悟する。
そんなふうにそれぞれの季節にはそれぞれの知らせがある。
ところが夏から秋への移り変わりだけははっきりしない。
それで、この時期になると夏に隠れてやってくるという秋を見つけてやろうと出かけるのである。
さて、そんな徒労とも思える所業を終えた帰り道でのこと。
「撮ってください!」とばかりに
リズミカルに置かれた三色のボート 。
「これは素通りできないな」と苦笑しつつシャッターを切ったのだが...。
ふと、その先に広がる風景が気になり始めた。
琵琶湖の水の色、さらには空の色の青が
こころなしか濃くなっているように思えたからだ。
このあたり真夏は水の蒸散が多いせいだろうか
もっと淡い青、水色に包まれるという印象がある。
陽が陰り始めたことで青が濃くなったと錯覚したのかもしれない。
けれどもその風景をしばらく眺め、時折吹く風を感じながらこう思ったのである。
琵琶湖の底に潜んでいた秋がそろそろ出番を待ちきれずに
ウズウズし始めているのではないだろうか、と。
花のように / ベッツィ&クリス
なにげなく見上げた青い空の雲が
風に揺れ誰かの姿に見えてくる
青空がかわった 青空がかわったの
なにげなく見上げた青空がかわったの
ハワイ出身の女性デュオ ベッツィ&クリスの「花のように」
透明感のあるコーラスが印象的な名曲で作詞は北山修。
恋の始まりの気持ちを空の色に映す乙女心を
50年近くたった今でも甘酸っぱく感じてしまう。