はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

中山道を歩く (鳥居本から番場)

2015-04-29 09:00:49 | 街道歩き
街道歩きのおもしろいところは、歴史に、文化に、そして、人に出会えることです。かって、芭蕉さんも歩いた道です。そこで、私も旅人の一人となって、京から江戸へと続く街道を歩きたいと思ったわけです。我が芭蕉さんの「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂泊の思ひやまず…」みたいなところでしょうか。(ちょっと言い過ぎですかね。)

さて、中山道の旅は、去年の10月からはじめています。京の三条を旅立ち、6回に分けて、彦根市の鳥居本までやって来ました。これまでの旅については、またゆっくり書いていこうと思います。
ということで、今回は最新の旅日記です。

それでは、鳥居本(とりいもと)から旅をはじめましょう。旅したのは、4月26日です。初夏を感じさせるすばらしい天候でした。鳥居本宿は、京から七つ目の宿場です。大津宿を除いて、多くの宿場では街道に沿って、昔ながらの家並みが残っていますが、鳥居本もそんな宿場です。

(合羽屋。鳥居本の合羽(かっぱ)は、旅人の間では有名だったようです。)
合羽屋の奥さんが、昔のことを教えてくれました。何代目と言ったかな?

(昔の面影を残す街道です。道の突き当たりで右に大きく曲がっています。)
向こうから大名行列がやって来てもおかしくない雰囲気です。(電柱と舗装でなければの話ですが。)

(突き当たりの所からみた、枡形です。いい感じに曲がっています。)
枡形というのは、宿場の入口にある、曲がり角のある道です。敵の侵入を防ぐ目的で、街道整備時に作られました。車社会では邪魔な存在なので、消えていくところが多いようです。

宿場を抜けて、しばらく行くと矢倉川に架かる橋があります。現在は国道8号線となっている橋を渡りますが、当時は少し横に木製の橋があったそうです。そして、橋を渡ったところが、中山道と北国街道との分かれ道になっていました。そこにいた親切なおじさんが、橋のことや街道のことを教えてくれました。

(橋のたもとにあった道標。向こうにある石は当時の橋の遺物。)

おじさんに教えてもらった通りに行くと、中山道を歩きはじめて以来、初の地道になりました。ここからが、摺針峠(すりはりとうげ)です。

(昔の街道はこんな地道だったんでしょう。)

つづらおりの坂道を登りきると、望湖堂跡に着きます。その名の通り、振り返れば琵琶湖が見えました。これまで、大津から歩いてきたのですが、琵琶湖が見えたのは初めてです。(というかここが見納めなんですが。)

摺針峠には当時大きな茶屋があったそうで、多くの旅人や皇女和宮さんも景色を眺めながら、名物の「するはり餅」を食べたことでしょう。

街道は、やがて名神高速道路に沿って進み、番場(ばんば)宿に入ります。
名神高速とは、しばらく並行して進むことになります。もちろん名神高速が後に出来たのですが、中山道の経路が合理的に作られたということなんでしょう。
番場あたりの風景は実にのどかです。遠くに伊吹山がずっしりと腰を据え、周りの山々は新緑が輝き、田圃では田おこしがはじまっていました。

こんな風景の中を歩けるのが、街道歩きの楽しみのひとつでもあります。昔の旅人には、そんな余裕が無かったかもしれませんが。

今回はここまでです。この日は柏原(かしわばら)まで歩いたのですが、話が長くなってしまったようです。次回は、名水の里として有名な醒井から柏原宿です。

さいごになりましたが、3月に愛知川から鳥居本まで歩いた時から、先輩で大の親友でもある音楽家のベートーベン先生と歩いています。それまでは、一人で歩いていたのですが、一緒に歩く仲間がいるということは、とても楽しいものです。喜びや楽しみが共有でき、街道歩きも幅が広がった感じがします。

(近江鉄道鳥居本駅でのベートーベン先生です。)
※ベートーベン先生のブログは「平島勉ハッピートーク」で読めます。私のブログの師匠です。ウイットに富んだお話が聞けますよ。