いま一番はまっている旅が「街道歩き」です。
街道歩きのおもしろいところは、歴史に、文化に、自然に、そして、人に出会えることです。
妄想をたくましくすれば、いろいろなものが見えてきます。
かつて、鑑真和上が、豊臣秀長が、芭蕉が、そして多くの庶民が歩いた街道を歩いてみましょう。
今回は、枚岡神社~奈良までの街道歩きです。実際に歩いたのは、2013年10月27日ですが、今日は天気も良かったので、枚岡神社~南生駒(半日コース)をもう一度歩きました。
枚岡神社を少し北に行くと、峠への登り口があります。進入禁止の所を登っていきます。
国道308号線を登っていきます。この308号線については、後日詳しくお話しします。
少し登ったところに、勧成寺があり、そこに芭蕉さんの句碑がありました。「菊の香に くらがり登る 節句かな」
病の身で、伊賀から歩いて来られたんですね。(この2ヶ月ほどあと、堺で亡くなりました。)
少し登ったところで、振り返って見ると、大阪の市街地がよく見えます。
この辺から傾斜はさらに急になり、日頃の運動不足+暴飲暴食の報いとして、汗もポタポタとしたたり落ちてきました。この道を、「おかげまいり」といわれる、突発的な集団参宮が発生した時に、何万人もの人が通ったんですね。
やがて、傾斜が緩くなり、石畳が見えてくると、峠に到着でした。1時間あまりの行程でしたが、なんとか足のほうも大丈夫でした。
峠の茶屋で、ご主人から昔の様子なども楽しくお聞きすることが出来ました。昭和の初めの頃でも、参宮する人々で峠が大変にぎわっていたことや、人が多いときには、どの家も戸を閉めていたなど。時間があればゆっくり聞きたかったのですが。(宮本常一でもないので)
話題を変えて、茶屋の住所を聞くと、奈良県生駒市で、隣の家は大阪府東大阪市ということでした。(隣の家の一部は奈良で、一部は大阪と言ったかも?)
手前が奈良県にある峠の茶屋で、奥が大阪府?の家です。
峠の奈良県側は、大阪側と比べて傾斜は緩やかです。次に越える矢田丘陵と向こうに若草山も見えます。
やっと峠を越したところですが、話が長くなったので、後半は簡単にいきましょう。
暗峠を下りきると、南生駒です。そこから、もう一つ峠を越えて、さらに歩くと、宝来山古墳(垂仁天皇陵といわれていますが、どうも怪しいようです。)が見えてきます。やがて、尼ヶ辻に着きます。あとは三条通りをまっすぐ東に進めば、JR奈良を通って、奈良街道ゴールの興福寺(春日大社とも)に到着です。
(矢田丘陵から、越えてきた暗峠を望む。左の低くなっている所)
「峠を越えた」と言いますが、(例:寒さも峠を越えた)、このブログもまさに峠を越えると勢いがなくなりました
街道歩きのおもしろいところは、歴史に、文化に、自然に、そして、人に出会えることです。
妄想をたくましくすれば、いろいろなものが見えてきます。
かつて、鑑真和上が、豊臣秀長が、芭蕉が、そして多くの庶民が歩いた街道を歩いてみましょう。
今回は、枚岡神社~奈良までの街道歩きです。実際に歩いたのは、2013年10月27日ですが、今日は天気も良かったので、枚岡神社~南生駒(半日コース)をもう一度歩きました。
枚岡神社を少し北に行くと、峠への登り口があります。進入禁止の所を登っていきます。
国道308号線を登っていきます。この308号線については、後日詳しくお話しします。
少し登ったところに、勧成寺があり、そこに芭蕉さんの句碑がありました。「菊の香に くらがり登る 節句かな」
病の身で、伊賀から歩いて来られたんですね。(この2ヶ月ほどあと、堺で亡くなりました。)
少し登ったところで、振り返って見ると、大阪の市街地がよく見えます。
この辺から傾斜はさらに急になり、日頃の運動不足+暴飲暴食の報いとして、汗もポタポタとしたたり落ちてきました。この道を、「おかげまいり」といわれる、突発的な集団参宮が発生した時に、何万人もの人が通ったんですね。
やがて、傾斜が緩くなり、石畳が見えてくると、峠に到着でした。1時間あまりの行程でしたが、なんとか足のほうも大丈夫でした。
峠の茶屋で、ご主人から昔の様子なども楽しくお聞きすることが出来ました。昭和の初めの頃でも、参宮する人々で峠が大変にぎわっていたことや、人が多いときには、どの家も戸を閉めていたなど。時間があればゆっくり聞きたかったのですが。(宮本常一でもないので)
話題を変えて、茶屋の住所を聞くと、奈良県生駒市で、隣の家は大阪府東大阪市ということでした。(隣の家の一部は奈良で、一部は大阪と言ったかも?)
手前が奈良県にある峠の茶屋で、奥が大阪府?の家です。
峠の奈良県側は、大阪側と比べて傾斜は緩やかです。次に越える矢田丘陵と向こうに若草山も見えます。
やっと峠を越したところですが、話が長くなったので、後半は簡単にいきましょう。
暗峠を下りきると、南生駒です。そこから、もう一つ峠を越えて、さらに歩くと、宝来山古墳(垂仁天皇陵といわれていますが、どうも怪しいようです。)が見えてきます。やがて、尼ヶ辻に着きます。あとは三条通りをまっすぐ東に進めば、JR奈良を通って、奈良街道ゴールの興福寺(春日大社とも)に到着です。
(矢田丘陵から、越えてきた暗峠を望む。左の低くなっている所)
「峠を越えた」と言いますが、(例:寒さも峠を越えた)、このブログもまさに峠を越えると勢いがなくなりました