はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

郡山城趾のこと

2016-04-09 20:00:50 | 知らない街をぶらり
飯田線を旅した前日(4/5)のことですが、車で広島へ日帰りしました。
連れあいの母親が骨折をして入院したので、お見舞いに行ったのです。
病院は広島県の吉田町というところにあります。そこには、毛利元就の居城である郡山城があります。お見舞いに行ったついでに、その郡山城趾に行って来ました。


我が司馬遼太郎さんも、この町を訪ねています。『街道をゆく』<21>「芸備の道」に、吉田町のことが詳しく書かれています。
「安芸吉田の町に入って早々、宿には入らず、そのまま通りすぎて、町の北部に盛りあがっている郡山城趾に登ってみた。毛利元就の根拠地だったこの城山を、どこよりもまず知っておかないと吉田の町のなかにいる実感が湧きにくいとおもったのである。」


毛利元就は、この吉田のあたりの一領主にすぎなかったのですが、やがて中国地方を制した戦国大名です。その拠点となったのが、司馬さんも書かれているように、この郡山城でした。毛利元就は「三本の矢」の話でもよく知られていますね。「三人で力を合わせて、仲ようせにゃいけんよ。」とでも言ったのでしょうか?


孫の輝元の時代に居城が広島城に移りますが、しばらくは郡山城は存続していたそうです。


お城といっても、天守閣もなければ、石垣や堀もありません。江戸時代になってから廃城になり、すべて取り壊されたそうです。頂上に行けば、本丸跡があるらしいのですが、時間も無かったので、ふもとにある神社と公園を訪ねました。






毛利氏は関ヶ原の戦いの後、今の山口県に押し込まれてしまうのですが、天下をとるチャンスは十分あったと思います。もし、そうなっていれば広島が首都で、標準語は広島弁だったかもしれませんね。


そんな事を考えながら、長い帰路につきました。それにしても車で日帰り広島往復は疲れました。