天気のよい日に、のんびりと明日香を歩くのは気持ちがいいものです。これまで何回歩いたことでしょう。それでも、あきることはありません。今回も冬の明日香を歩いてきました。
明日香は、592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に藤原宮に都が遷るまでの間、日本の中心地だったところです。(途中で、難波宮や近江宮にも遷りましたが…)
1400年も昔、ここに都があったんですね。菜の花を見ながら昔を思い浮かべます。
『万葉集』に志貴皇子(しきのみこ)の有名な明日香風の歌があります。
「采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」(美しい采女の袖を吹き返していた明日香風。藤原宮は飛鳥から遠く離れているので、今では采女の袖を翻すこともなく、ただ空しく吹いているばかりであるよ。)
明日香から藤原宮へ都が遷って間もない頃に歌われたものですが、志貴皇子の気持ちが伝わってきますね。私も今その場に立って、1400年前の都を思い浮かべています。
今はすっかり田園風景になってしまったところを、美しく着飾った采女たちが歩いていたんでしょう。
明日香風とは、山に囲まれた明日香に吹く風のことのようですが、今日は穏やかな天気なので風は吹いていませんでした。
明日香川をのんびりとカモが泳いでいます。
明日香川の川べりに「弥勒石」があります。石仏として信仰を受けているようで、お堂の側壁には草鞋が奉納されていました。しかし、本来は堰として使われたものではないかと言われています。
遠くには飛鳥寺も望まれ、長閑な明日香の風景が広がっていました。
明日香は、592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に藤原宮に都が遷るまでの間、日本の中心地だったところです。(途中で、難波宮や近江宮にも遷りましたが…)
1400年も昔、ここに都があったんですね。菜の花を見ながら昔を思い浮かべます。
『万葉集』に志貴皇子(しきのみこ)の有名な明日香風の歌があります。
「采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」(美しい采女の袖を吹き返していた明日香風。藤原宮は飛鳥から遠く離れているので、今では采女の袖を翻すこともなく、ただ空しく吹いているばかりであるよ。)
明日香から藤原宮へ都が遷って間もない頃に歌われたものですが、志貴皇子の気持ちが伝わってきますね。私も今その場に立って、1400年前の都を思い浮かべています。
今はすっかり田園風景になってしまったところを、美しく着飾った采女たちが歩いていたんでしょう。
明日香風とは、山に囲まれた明日香に吹く風のことのようですが、今日は穏やかな天気なので風は吹いていませんでした。
明日香川をのんびりとカモが泳いでいます。
明日香川の川べりに「弥勒石」があります。石仏として信仰を受けているようで、お堂の側壁には草鞋が奉納されていました。しかし、本来は堰として使われたものではないかと言われています。
遠くには飛鳥寺も望まれ、長閑な明日香の風景が広がっていました。