元薬師寺を訪れたついでに、近くにある国営飛鳥歴史公園(高松塚周辺地区)に行ってきました。
以前にも訪れたことがありますが、「中尾山古墳」のことが気になっていたので、再訪問となりました。
高松塚古墳は教科書にも載っているので、誰もが知っている古墳だと思います。しかし、有名なのは石室内に描かれた色鮮やかな壁画で、古墳の全体像については、あまり知られていないのではないでしょうか。
(意外と小さい古墳です)
それでも、直径18m、高さ5mの二段式の円墳です。造られたのは、藤原京の時代(694年~710年)と考えられています。被葬者は特定されていませんが、天武天皇の皇子説や臣下説、朝鮮半島の王族説などがあるようです。
(説明板の拡大)
壁画が発掘調査で見つかったのは、1972年のことです。もう43年も前のことになるのですね。教科書に載っていると言っても、50歳未満の人たちしか見ていませんね。
しかし、この壁画は発見されたおかげで?大変な目に会っています。カビがはえて、薬品をかけられ、それでもだめなので、現在ははぎ取られて修復されているとか…。
(別角度から)
たしかに二段式に見えます。発見当時は森のようになっていました。その後、公園として整備されたので、こんな美しい?姿になりました。
さて、今回訪問の目的地「中尾山古墳」です。駐車場からは、高松塚古墳より手前にあります。
(中尾山古墳)
写真からだとわかりませんが、八角形の古墳なのです。八角形でピンと来た人は、よほどの古墳通です。八角墳は7世紀中葉になると、大王墓のみが営まれるようになりました。ということは、この古墳は天皇陵?
(別角度から)
そうなんです。「中尾山古墳」こそが、真の文武陵だと考える研究者が多いのです。文武天皇は、天武天皇の孫で、25歳の若さで崩御し、火葬にふされたと記録に残っています。
古墳の話をするたびに書いてきましたが、ここにも天皇陵古墳の問題点がありました。
それでは、現在文武天皇陵と治定されている古墳には誰が眠っているのでしょう?
(高松塚から現文武陵を望む)
今回、訪れた国営飛鳥歴史公園(高松塚周辺地区)は、これからの季節にゆっくりと散策するのにぴったりの所だと思います。電車では近鉄飛鳥駅(貸し自転車もあります)からも近いし、車で行っても無料駐車場もあります。高松塚の他に、キトラ古墳も近くにありますよ。秋の1日、古代のロマンにふれながら、ぶらりするのはいかがでしょうか。
以前にも訪れたことがありますが、「中尾山古墳」のことが気になっていたので、再訪問となりました。
高松塚古墳は教科書にも載っているので、誰もが知っている古墳だと思います。しかし、有名なのは石室内に描かれた色鮮やかな壁画で、古墳の全体像については、あまり知られていないのではないでしょうか。
(意外と小さい古墳です)
それでも、直径18m、高さ5mの二段式の円墳です。造られたのは、藤原京の時代(694年~710年)と考えられています。被葬者は特定されていませんが、天武天皇の皇子説や臣下説、朝鮮半島の王族説などがあるようです。
(説明板の拡大)
壁画が発掘調査で見つかったのは、1972年のことです。もう43年も前のことになるのですね。教科書に載っていると言っても、50歳未満の人たちしか見ていませんね。
しかし、この壁画は発見されたおかげで?大変な目に会っています。カビがはえて、薬品をかけられ、それでもだめなので、現在ははぎ取られて修復されているとか…。
(別角度から)
たしかに二段式に見えます。発見当時は森のようになっていました。その後、公園として整備されたので、こんな美しい?姿になりました。
さて、今回訪問の目的地「中尾山古墳」です。駐車場からは、高松塚古墳より手前にあります。
(中尾山古墳)
写真からだとわかりませんが、八角形の古墳なのです。八角形でピンと来た人は、よほどの古墳通です。八角墳は7世紀中葉になると、大王墓のみが営まれるようになりました。ということは、この古墳は天皇陵?
(別角度から)
そうなんです。「中尾山古墳」こそが、真の文武陵だと考える研究者が多いのです。文武天皇は、天武天皇の孫で、25歳の若さで崩御し、火葬にふされたと記録に残っています。
古墳の話をするたびに書いてきましたが、ここにも天皇陵古墳の問題点がありました。
それでは、現在文武天皇陵と治定されている古墳には誰が眠っているのでしょう?
(高松塚から現文武陵を望む)
今回、訪れた国営飛鳥歴史公園(高松塚周辺地区)は、これからの季節にゆっくりと散策するのにぴったりの所だと思います。電車では近鉄飛鳥駅(貸し自転車もあります)からも近いし、車で行っても無料駐車場もあります。高松塚の他に、キトラ古墳も近くにありますよ。秋の1日、古代のロマンにふれながら、ぶらりするのはいかがでしょうか。