先島諸島への旅、三日目は竹富島です。この島は、今回の旅でぜひ訪れたかった島です。
竹富島には、司馬遼太郎も訪れています。1974年(昭和49年)4月のことです。今から45年前のことになります。旅に出る前に『街道をゆく 六 沖縄・先島への道』を読み返しました。
当時も何も無い島のようでしたが、現在もあまり変わっていませんでした。「何も無い」というのは、悪い意味ではなく、沖縄の原風景がそのまま残っているという意味で、ごちゃごちゃした都会の文明が何も無いということです。
まさしく沖縄の原風景がありました。
司馬遼太郎が見た風景と、45年経っても変わっていないと思います。
司馬遼太郎が訪れた頃は、水牛車はありません。数台のオート三輪はあったようです。
私たちは、レンタルサイクルで巡ることにしました。(これも現在文明かな?)
しかし、サンゴの白砂の道は、自転車では走りづらかったっです(笑)
シーサーが迎えてくれます。
サンゴの石垣(グック)が続きます。この石垣の見事さに感動しました。
赤瓦の屋根とサンゴの石垣、そして青い空、竹富島にはこれしかありません。でも、ここへ来て本当に良かったです。
この家並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。そのことは現地で知りました。
ブーゲンビリアも迎えてくれます。
この島には「竹富島憲章」というのがあります。「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」という保全優先の基本理念です。
この憲章ができた背景には、本土復帰の頃に島外者による土地の買い占めが横行したという問題があったそうです。
大型リゾート開発から、美しい島を守って来た島の人たちに感謝です。でも、この島には、「星のや竹富島」があるんですよね。
そうこうしているうちに、きれいな海に出ました。
ここは、コンドイビーチという浜です。
遠浅の砂地が続いていて、こんな浜で海水浴がしたいですね。でも、海水浴っていつからしてないのだろう。
碧い海、白い砂浜、青い空、白い雲、まさしく南の島です。
私です。
<つづきます>
※撮影日 2019.11.9
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竹富島には、司馬遼太郎も訪れています。1974年(昭和49年)4月のことです。今から45年前のことになります。旅に出る前に『街道をゆく 六 沖縄・先島への道』を読み返しました。
当時も何も無い島のようでしたが、現在もあまり変わっていませんでした。「何も無い」というのは、悪い意味ではなく、沖縄の原風景がそのまま残っているという意味で、ごちゃごちゃした都会の文明が何も無いということです。
まさしく沖縄の原風景がありました。
司馬遼太郎が見た風景と、45年経っても変わっていないと思います。
司馬遼太郎が訪れた頃は、水牛車はありません。数台のオート三輪はあったようです。
私たちは、レンタルサイクルで巡ることにしました。(これも現在文明かな?)
しかし、サンゴの白砂の道は、自転車では走りづらかったっです(笑)
シーサーが迎えてくれます。
サンゴの石垣(グック)が続きます。この石垣の見事さに感動しました。
赤瓦の屋根とサンゴの石垣、そして青い空、竹富島にはこれしかありません。でも、ここへ来て本当に良かったです。
この家並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。そのことは現地で知りました。
ブーゲンビリアも迎えてくれます。
この島には「竹富島憲章」というのがあります。「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」という保全優先の基本理念です。
この憲章ができた背景には、本土復帰の頃に島外者による土地の買い占めが横行したという問題があったそうです。
大型リゾート開発から、美しい島を守って来た島の人たちに感謝です。でも、この島には、「星のや竹富島」があるんですよね。
そうこうしているうちに、きれいな海に出ました。
ここは、コンドイビーチという浜です。
遠浅の砂地が続いていて、こんな浜で海水浴がしたいですね。でも、海水浴っていつからしてないのだろう。
碧い海、白い砂浜、青い空、白い雲、まさしく南の島です。
私です。
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※撮影日 2019.11.9
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